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「愛美、ご馳走様」
早瀬川家の玄関ドアを開け、百代は見送ってくれている愛美に声を掛けた。
「うん」
短い返事を返してきた愛美を、百代はじっと見つめた。
真新しいブランド物の眼鏡。
愛美にとても良く似合っている。
蘭子を迎えに来る運転手が愛美に届けてくれたのだ。
運転手の話では、店から直接、藤堂の屋敷に届き、愛美に渡してくれるようにと言付かったということだった。
誰から届いたのか、愛美は当然わかっているはずだ。だが、それが誰だか、彼女は誰にも知られたくないのだ。
パーティーの日から、愛美には色々なことが起きているようだった。
もちろん、愛美が語りたがらないのであれば、百代に知る術はない。
あのさ?と問いかけてみたくてならなかったが、百代は自分をぐっと抑え、「じゃあ」と口にして、ドアを閉めた。
階段に向かいながら、百代は愛美に関する、謎な事柄を頭の中で並べてみた。
まず、パーティーの最中、愛美が消えていた間、誰と一緒にいたのか?
保志宮氏である確率が一番高かったが、彼ではないということははっきりした。
もちろん、蔵元氏でもない。
そしてパーティーからの帰り道、車の中で愛美が流した涙のわけ…
さらに、土曜日のトリプルデートのあと、藤堂家へと戻る前に、保志宮氏は愛美を連れてどこぞへ向かった。
花屋で愛美に花束を買って贈っている状況証拠はあるのだが…それで納得できるはずなのだが…どうしてか百代はそれだけじゃなかったような気がしてならないのだ。
もっと何か…何か…?
階段を下りながら百代は考え込んだが、その何かがひらめくわけもない。
階段から地面に足をつけた百代は、通学鞄を反対の手に持ち直し、バス停に向かった。
昨日、愛美は父親と一緒だったと言っていた。
その言葉は嘘ではない。
けど、昨日、愛美はどこぞで眼鏡をなくし、眼鏡を届けてくれた相手が拾ってくれた。
眼鏡の経緯はまったくもってわからないが、はっきりしていることがふたつある。
そのひとは、パーティーで愛美と出会った運命の王子様。
そして愛美は、その王子様と昨日会ったか、少なくとも会おうとしたのだ。
ともかく彼は、愛美のなくした眼鏡を探し当て、壊れていたために、新しい眼鏡を購入し、藤堂家に届けさせた。愛美の手に渡るに違いないと考えて…
知らぬ間に足を止めた百代は、地面を見つめて小さく微笑んでいた。
愛美と、百代の知らないその男性、きっとうまくゆくだろう。
そう直感が囁く。
よしっ! これからは、百代にできる事をしてゆけばいい。
お次は蘭子の作戦だ。
MMOの芝居も純粋に楽しみだし、蔵元氏に会えるのも楽しみだ。
家に帰った百代は、素早く着替えて、おやつが待つ、居間に直行した。
「おやつ、おやつぅ〜。ありっ?」
居間の床に置いたどでかクッションに、悟り坊主が悠々として座り込んでいる。
どうやら、百代が二階で着替えている間にやって来たらしい。
「おいでんしゃい、悟り坊主殿」
「お前なぁ」
「あら、モモ、今度は慶介君のこと、悟り坊主って呼んでるの? どうして?」
盛大に期待を込めた口調で、母が聞いてきた。
「おばさん、別に聞いて面白くなんて…」
慶介はそう反論するように言いながら、テーブルの上のクッキーを二ついっぺんに口に入れた。
「愛美がトイレに行ってるときにさ、慶介がやってきて、眼鏡なしの姫君はって聞いてきたからさ…」
百代は、慶介に負けじとクッキーを三枚いっぺんに頬張った。
敵対心を燃やしたはいいが、三枚はさすがに、口に難儀な量だった。
ほっぺたを張り詰めさせて、必死にもごもごやっている百代の様を、慶介は余裕綽々の笑いを浮かべて見つめてくる。
こ、こんにゃろ!
「まあ、愛美ちゃんコンタクトにしたの? ママも見たいわぁ。モモ、愛美ちゃん、今度のお休みにでも遊びに来ないかしら?」
必死にクッキーを噛み砕いていた百代は、口を動かせるくらいまでなんとか飲み込んでから、母に向けて口を開いた。
「ママ、突っ走りすぎ」
「あら、そう?」
「愛美、眼鏡をなくしてさ。それで今日は、仕方なく眼鏡なしで登校したってだけのことだよ」
「あら、それじゃ、早く眼鏡を作らないと、ずいぶんと不便なんじゃないの?」
「もう手に入ったから。いまは新しいブランド物の素敵な眼鏡掛けてるよ」
「ブランド物?」
「ブランドの?」
慶介と美雪は、同時に声を出した。
「まあね。次に会った時、ふたりとも見られるよ」
「まあ、愛美ちゃんがブランド物って、ちょっと意外ね」
「まあ、もらいものだからさ」
「もらい物?」
慶介が眉を寄せて口にし、百代は彼に意味深な目を向けた。
悟り坊主の慶介であれば、いまのやりとりで…
「眼鏡ってなくしたばっかだろ? 土曜か日曜。でもいま、モモ、お前、早瀬川はすでに新しい眼鏡を掛けてるって言ったよな?」
「言った言った」
百代ははやすように言いながら、にやにやしつつ悟り坊主を見つめ返した。
こいつの頭の中では、さぞや謎がうずまいているこっちゃろう。
もちろん、いま現在、それは百代の謎でもある。
にっししし…
悟り坊主よ、悩め悩め…
「いまどきだもの、インスタント眼鏡とかってあるんじゃないの」
「はあ?」
母の意見に、百代は口をあんぐりと開けた。
イ、インスタント眼鏡? 何がいまどき?
このなんでも自由に発想する母ときたら…何を言い出すやら…
「おばさん、インスタント眼鏡ってなんですか?」
慶介は真顔で美雪に尋ねたが、百パーセント、こいつは愉快がっている。
「だから、自動眼鏡販売機みたいなのがあってぇ、フレームはこれで、度数はこれでって、ボタンポンポンって押すと、コロンって出てくるのよぉ」
馬鹿馬鹿しいとしかいいようのない美雪の言葉に、慶介は恐れ入ったというように大きく頷いた。
「いいなそれ。おばさん、ありえますよ。将来的には出来るかもしれないな」
「いやーねー、慶介君、将来的な話じゃないの。すでにあるのよぉ。じゃないと愛美ちゃん眼鏡を手に出来てないでしょ?」
「ははあ、それはそうだ。俺、おばさんに1本取られたなぁ」
頭をかきながら慶介が言い、ふたりは、あはあはと笑い合った。
おとぼけな母はいいとして、この悟り坊主、どこまで本気で話しているのか…
きっと、こいつは、百代の母の波長に合わせて会話しているだけに違いない。
「ところで、慶介。コミックは?持ってきてくれたの?」
母が夕食を作るというのでキッチンに引っ込んだところで、百代は慶介に尋ねた。
「あん?」
慶介は返事をしつつ、自分の側に置いている紙袋に目を向けた。
おお、新刊コミック、そいつか。
紙袋に手を伸ばした百代だったが、紙袋はさっと遠のいた。
「な、なんで?」
「ばーか、謎の答えと、引き換えに決まってる」
こ、このぉ〜
まったく、一筋縄では行かない野郎だ。
「悪いけど、その謎は私にも解けてないよ。ママじゃないけど、インスタント眼鏡だったりしてね」
「ふーん。まあ、おばさんのいうような眼鏡自販機はさすがにないだろうけど、いまどきは即日出来上がりって眼鏡屋もあるみたいだけどな」
「そうなの?」
「ああ。けど、早瀬川の眼鏡はブランド物だってことだったもんな?」
百代はこくりと頷いて考え込んだ。
ブランド物の眼鏡を即行で仕上げさせることが、もし可能としても、そういうことができるのは、かなりの権力と金を持っている人物だろう。
「それにさぁ、どうも勝手に作ったみたいなんだよねぇ」
「勝手に?」
「うん。だって受け取った本人、マジびっくりしてたもん」
「そりゃあ無茶だろ。本人がいないのに…」
「これまでの眼鏡をお店に持ち込んでる。だから可能ではあると思うんだ」
「落とした眼鏡、見つかったのか? それじゃ、それ使えばいいことで、わざわざ新しいの作る必要ないだろ?」
「壊れてたの、片方のレンズが割れて」
「ふーん」
慶介は呟くように言った。
謎が解き明かされ、どうやら今回のことに関する慶介の興味は、消え失せたようだった。
おもむろに紙袋を取り上げ、慶介は百代に差し出してきた。
「あんがと」
百代は、謎解きの相棒に、感謝を込めてお礼を言った。
風呂から上がり、いい気分でハミングしながら階段を上がっていた百代は、自室の部屋の中から携帯の音が聞こえてくるのに気づいて、急いで部屋に入った。
なんとなく、愛美の気がする。
携帯を手に入れて、ちょっと嬉しそうだったし…掛けてみたくなったのかもしれない。
鳴り続けている携帯を取り上げた百代は、きゅっと眉を寄せた。
知らない番号が表示されている。
つまり、登録していない番号であり、知り合いであるかどうかもわからないってことだ。
もしや、蔵元氏?
トリプルデートの第二弾の話を蘭子から聞いて、それで掛けてきたとか?
なんだか違う気がするが…
「はい」
電話に出たものの、相手は何も言わない。
ありっ、無言電話?
「誰ですか?」
百代は用心しつつ、電話してきた相手に語りかけた。
『はっ』と短い喘ぐような声が聞こえ、驚きに息を吸う音が聞こえてきた。
「えっ?」
いまの?
「愛美?」
『わ、わたし…』
焦ったような返事が聞こえた。間違いなく愛美だ。
だが、番号が違う。
『ま、まち…』
「携帯の番号…違ってるよね。なんで? どうして?」
百代は困惑して問い掛けた。
『間違えて掛けちゃったの、ごめんなさい』
間違えて?
「いったいどうして?…携帯の番号が変わったなんてことないよね」
『違うの。間違えただけ…あの、もう切るから…』
真っ青になっている愛美の顔が見えるようだった。
なにやらわからないが、ずいぶんと焦ってもいるようだ。
掛ける相手を間違えたということだから、彼女は百代ではない誰かに電話を…
「ふーん…。うん。わかった。明日話そう。それじゃあ、おやすみ」
『お、おやすみ』
愛美の返事を最後に携帯を切った百代は、ポスンとクッションに腰を下ろして座り込んだ。
間違いない。愛美はふたつ携帯を持っている。
そのひとつは、いまだ正体の知れない愛美の王子様から渡されたもの。
そして愛美は、その携帯で、彼に電話を掛けようとしていたが…なぜか百代に電話を掛けてきてしまった…と。
つまり愛美は、電話を掛けるのに、相当テンパってたってことだ。
どうやら、愛美と彼は、少しずつだが進展しているとみていいということのようだ。
安堵を感じた百代は、にっこり微笑み、小さなテーブルに頬杖をついた。
さて、明日は、何が待っているのだろう?
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