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「はいはーい」
蘭子からの電話に、百代は元気よく出た。
すっかり忘れていたが、蘭子に電話すると約束していたのだった。
掛かってこない電話に痺れを切らして、蘭子の方から掛けてきたのだろう。
「あんたね」
「悪かったよ。うっかり忘れちゃっててさ」
「それで? いったいなんだったの?」
「なんかね。櫻井を好きな子がいるらしくてさぁ」
「櫻井を? 物好きな女もいたものね」
ずいぶん高飛車な言い方だったが、その高飛車な分、蘭子は動揺していると見てよさそうだ。
「まあ、櫻井は男前だしさぁ、性格も男気があるし、もてる男だからねぇ。学内でも目立ってるし…」
「馬鹿馬鹿しい…そんなことより、彼がなんで愛美を連れて行ったのか教えなさい」
「ありっ、まだわかんない?」
「わからないわよ。まだ何も話を聞いていないじゃないの」
「愛美を彼女と思わせたんだよ。そんで相手を諦めさせよう作戦ってわけ」
「どうして愛美なの?」
どうして私じゃなかったのかと言っているように百代の耳には聞こえたが、もちろん蘭子は無意識だろう。
「愛美の話じゃ、助けてやった恩返しって話だけど…」
「助けて?」
「ほらほら、眼鏡を無くして駅で櫻井にって話だよ」
「あ、ああ、そんなこと言ってたわね」
「まあ、そういうこと。…でっ? 蘭子の方はどうなのよ?」
「何の話よ?」
「決まってんじゃんか、川田の代わり、見つけられそう?」
百代の問いに、蘭子は押し黙った。
その沈黙で、かなりのことを察知でき、百代はにやついた。
せっかちな蘭子のことだ、屋敷に戻った彼女は、川田の代わりに自分のパートナーとなる男を、必死に探していたに違いない。
だが、見つけられなかった。
もし見つかっていたら、まず最初にその手柄を得々として百代に話すに違いない。
もちろん、すでに櫻井との取り引きは完了しているのだから、見つかっていては面倒なことになるのだが…
「蘭子ぉ? 聞いてる?」
「き、聞いてるわよ。どんな男でもいいってわけにゆかないから…難しいのよ。なかなかこの私と釣り合うほどの男性はいないし…」
「だよねぇ。蘭子にお似合いのひとでなきゃと、わたしも思うんだ。その点、川田さんは力不足ってか…見た目はまずまずだったけど…いまいち性格がねぇ〜、どうにも弱っちかったよねぇ」
「そう。そうなのよ。川田さんにはほんとがっかりだったわ。もっと、男らしい男性でないと…」
「うーん。となると、難しいねぇ。蘭子より勇ましい男ってなかなかいないよ。 まあ、まだ時間あるし…あっ!」
「な、な何? 百代、あんたいま、何かひらめいたの?」
「う…まあ」
「誰か思いついたんでしょう?」
「んー、けどさぁ」
「そのひとでいいわ」
「はあ? 蘭子、そんなの…」
「いいの。あんたのひらめきは天下一品!」
「そんなの…相手の名前も聞いてないくせに蘭子ってば…だいたい蘭子が気に入るか…」
「顔は? 背の高さは?」
「そりゃ、悪くないんだけど。うーん、そうだね。蘭子と黙って並んだら、いい感じかもなぁ」
「ふふ。そう」
蘭子はそれが櫻井だとも知らず、ずいぶんと満足そうだ。
にっしっし…
笑い声が漏れそうになり、百代は顔だけあけっぴろげに笑みを浮かべた。
「容姿だけよければ今回はもう誰だっていいわ。百代、その人に頼んでちょだい。ともかく、見目のいいのを連れていないと、今回の作戦が全てパーになっちゃうんですからね。お願いよ百代」
切羽詰った人間は、後先考えないようだ。
だが、もちろん、百代にとっちゃ、願ったり叶ったりの流れ…
「う…ん。まあ、蘭子が任せるってんならぁ…声を掛けるとするよ」
「大丈夫そう?」
不安そうな声に、百代はにたついた。
それでも蘭子への返事には、不安定さを微妙に混ぜねばならぬ。
「そうだねぇ、声を掛けたらたぶんオッケーもらえると思う」
「そう。ならもう大丈夫と思っていいわね」
「容姿についても、わたしゃ、蘭子とお似合いだと確信もってるけどさ。蘭子、いい、当日、絶対に文句言わないでよね!」
百代は渋々な感じで口にし、最後は釘を刺すように、蘭子に念を押した。
「もちろんよ。助かったわ」
百代の言葉に安堵したらしい蘭子は、手放しで承諾した。
にっしっし…
なんとも、笑いたくなるほどうまくいった。
やはり、蘭子と櫻井は縁がある。
きっと、紆余曲折を辿る恋愛となるんだろうけど…このふたり、うまくゆくのかもしれないな。
あっ、そうだ…
「そいでさ、蘭子」
「なあに?」
「黒だよ」
「はあ? なんのこと?」
「ドレスだよ。私のドレスの色に決まってんじゃん」
「ははん。任せておきなさい」
蘭子は、押さえつけるように言う。
百代は苛立ちから、座ったまま身体を上下させた。
「だから黒だかんね。黒い以外、選択肢はないんだよ」
「はいはいはい」
こ、この軽すぎる蘭子の返事。こりゃあ絶対、空返事だ。
「黒のドレスじゃなきゃ…」
「わかってるってば。すべて私にお任せなさい。それじゃ、あんたの方も、間違いのないようにね。頼んだわよ」
言いたいだけ言い、ブチンと電話は切れた。
「蘭子ってば、もおお〜っ」
百代はすぐに、もう一度蘭子に電話を掛けたが、どれだけ鳴らしても蘭子は出なかった。
く、くそー!
どうやら今回も、百代は黒いドレスとは縁がないらしい。
ちぇっ!
百代はふて腐れて携帯を床に転がし、ごそごそとベッドに潜り込んだ。
やっぱりこうなったか…
百代は、鏡に映った桃色のドレスを見つめて唇を尖らせた。
黒黒とあれほど言ったのに…
「百代、ほんとに大丈夫なのね?」
蘭子から念を押すように聞かれ、百代はイライラ全開で蘭子に振り返った。
「大丈夫だってばぁ」
予想した通りのわけで、これが黒のドレスを用意されていたりしたら、驚き桃の木なわけだが…なんとも腹立たしい。
こんな桃色のドレス…
こいつはまず間違いなく、蘭子か橙子が小学生の頃に着てたやつに違いない。
この間のパーティーの時のドレスと大差なく、なんとも子どもっぽい。
そして、愛美が着ているドレスは、たぶん蘭子の姉の橙子のもの。
薄い黄色の生地で、無地に見えるが、光が当たると薔薇の花が浮かんで見える。
とても気品のあるデザインだ。
愛美って、こういうのがしっくりと似合うんだよね。
もとから、高貴な生まれですって感じにみえるというか、資質があるってか。
しかし、そう考えると、蘭子はセンスも見る目もあるといえるわけで、その事実を認めることは百代としてはさらに腹立たしい。
結局、百代には、この桃色のおこちゃまなドレスが似合うということになるのだから…
ちぇっ!
一度でいいから、黒を着させてくれたらさぁ〜
如何に、このわたしに黒が似合うか、その事実を立証できるのにさぁ〜
「男性がひとり欠けたら意味がなくなるのよ」
「ちゃんと来るって」
しつこい蘭子に、百代は投げやりに答えた。
「百代、いったい誰を呼んだのよ。まさか…石井じゃないでしょうね?」
蘭子の声には、慶介に対する蔑みの色があり、百代はかなりむっとした。
蘭子ときたら、慶介の何も知らないくせに…
「石井君じゃないわ」
百代は反抗を込めて、わざと君づけで答えた。
「なら、誰が来るのよ?」
「誰でもいいじゃん」
腹立ちが収まらないせいで、百代は蘭子の癇に障るように適当に答えた。
「誰でもいいわけがないでしょう。仮にも、この私のパートナーになるのよ。そんじょそこらの男じゃ納得しないわよ」
毎度、馬鹿馬鹿しい発言。
自分を如何ほど優れた人物と勘違いしているのか…
だが、まあ、これが蘭子なのだから仕方がない。
「蘭子」
百代は、大きく息を吸って吐き、気を落ち着けて蘭子に呼びかけた。
「なによ」
両手を腰に当てて、仁王立ちになっている蘭子の鼻先に向けて、百代は指を突き出した。
「代わりの男性を見つけられなかったのは、蘭子、あんたなのよ。見つからないって、わたしに泣きついて来たのはあんたなの」
彼女の言葉に、蘭子はぐうの音も出せず、顔を強張らせた。
「まったく、自分の立場理解しなさいよっ」
反論できずに、うぐぐっと呻きを上げた蘭子を見て、百代は「ふん」と鼻を鳴らしてやった。
ピンクのお子ちゃまドレスへの苛立ちが、これでちょっぴり消えた。
「とにかくさあ。蘭子は奥谷一派に、一矢報いたいんでしょ?」
「そうよ。そのためならなんだってやるわ」
蘭子は拳をぐっと前に突き出しながら叫ぶ。
「いい、蘭子。その言葉、絶対に忘れないのよ」
「わかってるわよ。静穂の鼻をあかせるなら、矢でも鉄砲でも持って来いだわ」
矢でも鉄砲でもねぇ。
ふふん、実のところ、そいつは櫻井なんだけどね。
ドアのノックの音に、百代の胸がピクンと反応した。
やってきたのは、藤堂家の使用人の女性だ。
「お嬢様、蔵元様が参られました」
その知らせに、百代はウキウキした。
最初に逢った時の彼はディナースーツ、この間はシックな服装だった。
今日はどんなだろ?
百代は自分の着ているドレスを見下ろし、きゅっと眉をしかめた。
こんなじゃ、黒の似合う彼とは、チグハグカップル。
あーあ…
三人して玄関ホールへゆくと、三次だけでなく、保志宮の姿もあった。
ほほお〜
細身なスーツ姿の男性ふたりが並んでいる様は、なかなかどうして、目の保養になる。
「あら、保志宮さんもいらしたのね」
「ええ。先週は遅れてしまいましたからね。後、もうおひとり…」
「表に来てましたね」
保志宮の言葉に付け足すように三次が答えた。
百代は胸が躍った。
どうやら、すでに櫻井もやってきたようだ。
さーて、蘭子の反応や如何に?
「川田君はどうしたんですか?」
愉快そうに保志宮が蘭子に尋ねた。
「彼はお払い箱になったわ」
眉間を寄せた蘭子は、吐き捨てんばかりに言う。
当然だろうが、蘭子はもう、川田のことなど持ち出して欲しくないのだ。
いまもまだ、川田への怒りが消えていないのだろう。
「それでは、外にいる彼が、蘭子さんの新しいお相手ということですか?」
「まあ、…そうですわ。いつまでもお待たせするわけには行かないわ、早く行ってご挨拶しなくちゃ…」
蘭子の言葉に、百代は危うく吹き出しそうになった。
必死になって笑いを押さえ込んでいた百代は、愛美が咎めるような目を向けているのに気づいて、いささか気まずくなり、なんとか真顔を取り繕った。
外へと出て行く蘭子を見て、百代は三次に目を向けた。
「蔵元さん、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
小さくきっちりと頭を下げる三次に笑み返し、百代は彼を促すように蘭子を追いかけて外へと出た。
早く追いかけないと、美味しい見物を見逃してしまう。
「どうしたんですか?」
「はい?」
百代は蘭子のいる方へと向かいながら三次に答えた。
「桂さん?」
再度問うように呼びかけられ、百代は後ろに振り向いて三次の腕を掴んだ。
「ちょっと楽しいことがあるんです」
「楽しいこと?」
百代はうんうんと頷きながら、三次を連れ、蘭子の後を追って駐車場へと急いだ。
「ど、どういうこと?」
車に寄りかかっている櫻井を見て、蘭子が混乱した大きな叫びを上げた。
「あれは…この間の…」
「はい。彼が、今日の蘭子のお相手なんです」
「どうやら蘭子さんは、そのことを、いま初めてお知りになったところのようですね」
「川田さんが今日来られなくなって、その代わりが見つけられなくて、蘭子が誰でもいいからって」
「それで、わざわざあの方を? 貴方は…困ったひとだな」
三次はそう言いながらも、愉快そうに苦笑しはじめた。
百代は、三次の笑い顔に見惚れた。
このひとの笑顔…やっぱりとっても素敵かも…
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