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「ですが、あのふたりはお似合いだな」
蘭子と櫻井を眺めながらの三次の感想に、百代は笑みを浮かべた。
うむ。やはり、彼はよく見えている。
そう考えていたところに、三次は首を後ろに回した。
「それに、あちらのカップルも」
百代は三次の言葉を聞いて、後ろに振り返ってみた。
へっ?
なんと、愛美が保志宮と腕を組んで歩いてくる。
百代はかなり驚いた。
保志宮は愛美の彼ではないはずだし、そうでない男性と彼女が腕を組むなんて…
「ま、まぁ〜」
混乱した百代は、思わず愛美と呼びそうになったが、危ういところでなんとか誤魔化した。
「どうして櫻井なんか誘うのよ」
飛んできた蘭子の言葉に、百代は顔を戻した。
「お前な、頼まれたから来てやったってのに」
蘭子の失礼な発言に、櫻井はむっとした顔で言い返す。
「何を企んでるのよ?」
ひどく疑わしげに、蘭子は櫻井に問い詰める。
櫻井は反論を込めた目で蘭子を睨みつつ顔をしかめた。
「なんの話だ。俺は別に何も企んでないぞ」
「嘘おっしゃい。あんたは私をぎゃふんと言わせてやろうって、いつもてぐすね引いてるくせに」
「まあ確かに、お前がらみの記事はみんなが喜ぶからな。そういうときもある」
櫻井の言い草に、蘭子が目を見開いた。瞳の奥でゴォーッっと怒りの炎が燃え上がったように見えた。
「蘭子、いいじゃん」
百代はそう言葉を掛けながら、蘭子と櫻井の前に踏み出した。
正直、いまはこのふたりよりも、愛美と保志宮のほうが気になってならなかったのだが…
「せっかくのチケット、残すのがもったいないって言ってたの蘭子じゃないの。櫻井は純粋にMMOのファンで、彼らの舞台が観たいんだよ」
蘭子は残すのがもったいないなんて、もちろん口にしていない。
だが、そう百代から言われた蘭子は、自分のいまの立場をなんとか思い出せたようだった。
静穂を見返すために、蘭子はどうしても自分のパートナーが必要なのだ。
櫻井と感情のままやりあって、もし櫻井が帰ってしまうようなことになってしまったら、今回の計画はすべておじゃんになる。
蘭子はそれらのことを再認識したようだった。
少し目を泳がせたあと、蘭子は気を取り直したように口を開いた。
「ファン? MMOの?」
蘭子は彼女にしてはずいぶんと奥ゆかしく、櫻井に話しかけた。
「ああ。悪いか?」
それまでの経緯から、櫻井は食って掛かるように言う。
「まあ、…悪くはないわ」
蘭子のその言葉は、櫻井にすれば、思ってもいない返事だったに違いない、彼は拍子抜けしたような顔になった。
「さあさあ、こんなところでぐずぐずしてないでさ、早くお芝居に行こうよ」
百代は全員に向けて促すように言い、見覚えのある三次の車へと足を向けた。
車の近くまで行って、愛美と保志宮に目を向けて見ると、愛美は彼女らしい遠慮がちな様子で車に乗り込もうとしている。
腕を組んでいたのは、保志宮から強要されたのに違いない。
そのぐらい強引に出なければ、愛美が男性と腕など組むはずがない。
つまり…保志宮さんは愛美の事を…
百代は、ぎゅっと眉間を寄せた。
「桂さん」
三次から呼ばれ、百代は眉を寄せたまま三次に振り返った。
「どうかしたんですか?」
「あ、いえ」
百代は小さく首を振り、助手席に乗り込んだ。
「今日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ。それで? 今日の目的はなんなのですか? 蘭子さんの」
最後に付け加えられた蘭子さんのという言葉に、百代は思わず吹き出した。
「前回のターゲットは櫻井君でしたが、今回はそうではない。また別の誰かがターゲットなわけですか?それとも、もっと他に何か?」
「推理はご自由にして楽しんでください。でも…」
「桂さんからの回答は、いただけない?」
「そういうことです」
そんな話をしている間に、車は櫻井の車に続くように走り出していた。
「ついてきていませんね」
「えっ?」
保志宮のことがひどく気に掛かり、彼について思案していた百代は、三次のその言葉に顔を上げた。
「ついてきて…えっ?」
言葉の意味に気づき、百代は後ろを確認してみた。
後ろに続いている車の中に、保志宮のあの目立つ車は確認できない。
「ええっ! ま、まさか、保志宮さんってば…またどこかに連れ去っちゃったっていうの?」
驚きがそのまま口から転がり出ていた。
「そう言えば、前回の時も…。保志宮氏は、芝居にゆかないつもりかな? 蘭子さんの作戦の方は、我々だけで大丈夫なんですか?」
愉快そうに言う三次に、百代は返事を返さず唇を突き出した。
作戦は、四人でもなんとかなるかもしれないが…
「まさか、保志宮さんがこんな行動に出るなんて思わなかったわ」
「不服そうですね?」
楽しげにそんなことを言う三次を、百代はむっとして睨んだ。
「蔵元さんは、楽しそうですね?」
「ええ。それはもう。今日は楽しめると思ってやってきましたからね」
「楽しめてよかったですね!」
あてつけがましく言った百代に対して、三次はさらに笑いを広げる。
思わぬ事態に苛立ちを感じているというのに、三次の笑いはなぜか彼女の腹立ちを和らげてゆく。
それにしても、これは困った事態かもしれない。
保志宮は、十中八九、愛美に異性としての好意を抱いている。
彼はおとなしい性格では無さそうだ。
欲しい物は、手に入れようと進んで行動するだろう。
愛美、保志宮とふたりきりで、連れてゆかれてしまって、大丈夫だろうか?
不安を感じた百代は、 ともかく愛美の携帯に電話を掛けてみた。
呼び出し音は鳴るが、愛美は出ない。
サイレントにしてあったから、気づかないのかもしれない。
百代は自分をなだめ、腕を組んで目を閉じた。
すーっと大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
胸にあった不安が簡単に消え、百代はパチリと目を開けた。
どうやら、大丈夫なようだ。
「桂さん?」
「はい」
「怒ったんですか?」
ずっと黙り込んでいたからだろう、三次が聞いてきた。
「いいえ、怒ってなんかいませんよ」
百代は明るく返事をした。
会場では、黒服を着たスタッフが彼らを出迎えてくれた。
愛美と保志宮がついてきていないことを知った蘭子は、すぐさま保志宮の携帯に電話をかけた。
「出ないわ」
イライラと蘭子が言う。
「運転中なら、出られないだろ」
櫻井の指摘に反抗心を煽られたらしく、蘭子はきっと睨む。
そうこうしている間に、蘭子の携帯が鳴った。
保志宮だったようだ。
「少し遅れてるけど、もうすぐ着くって」
蘭子はホッとしたように、三人に向けて報告した。
どうやら、愛美は保志宮に拉致されたわけではなかったらしい。
だが、たぶん、単に遅れただけではないと思えた。
ふたりの間で、何があったのだろうか?
ふたりがようやく到着し、待っている間、苛立ちを募らせていた蘭子は、運転手の保志宮を攻め立てた。
危うく作戦が台無しになるところだったのだから、蘭子としてみれば当然の苛立ちだろう。
案内係の誘導で、六人は自分たちに用意された席に向かった。
愛美と肩を並べて歩きながら、話を聞こうと思ったのに、愛美の横には保志宮が寄り添っていたし、百代の方は三次と並んで歩く形になり、どうにも話しかける機会は得られなかった。
愛美の表情が気に掛かる。
やはり保志宮と何かあったのだ。
愛美はここに来るまでに泣いている。
保志宮は、愛美を泣かせるようなことを言ったのだ。
気になってならないのに、聞けないなんて…
あー、もどかしいったらないよ。
もどかしさが頂点になったのは、席に座ったときだった。
なんでか百代が一番端っこ。
隣は三次で、蘭子、櫻井、愛美、保志宮の順。
完全に愛美と離れてしまって、これではお芝居が終わるまで、お預けってことじゃないか。
どうして今日は、こう何もかもうまくゆかないのだ。
「桂さん、ここまで何もありませんでしたね?」
潜めた声で囁かれ、百代は三次に顔を向けた。
何もない事はない。百代にすれば、すでにありすぎな事態だ。
「これから何かが起こるんですか?」
三次の言葉で、百代は今日の目的を遅れて思い出した。
そうだった。静穂たち…
百代は、くるりと後ろに首を回してみた。
三列後ろに、奥谷一派が勢揃いしている。
彼女達が食らった衝撃は、充分すぎるほど確認できた。
「どうやら、すでに目的は達成したみたいです」
顔を戻した百代は、三次の耳元に唇を近づけ、他の誰の耳にも届かないように囁き返した。
「ほお。どういうことか、お聞きしたいが…」
「いまは無理」
「それでは、後で。約束ですよ」
三次は、少し笑いながら、唇が耳に触れそうなほど近くで囁いてきた。
彼の声の響き、そして耳たぶにかかる温かな息。
ドキンと心臓が跳ね、頬が赤らむのを感じた百代は、焦って三次から顔を背けた。
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