《シンデレラになれなくて》 番外編
 百代視点


第16話 ドキンの囁き



「ですが、あのふたりはお似合いだな」

蘭子と櫻井を眺めながらの三次の感想に、百代は笑みを浮かべた。

うむ。やはり、彼はよく見えている。

そう考えていたところに、三次は首を後ろに回した。

「それに、あちらのカップルも」

百代は三次の言葉を聞いて、後ろに振り返ってみた。

へっ?

なんと、愛美が保志宮と腕を組んで歩いてくる。
百代はかなり驚いた。

保志宮は愛美の彼ではないはずだし、そうでない男性と彼女が腕を組むなんて…

「ま、まぁ〜」

混乱した百代は、思わず愛美と呼びそうになったが、危ういところでなんとか誤魔化した。

「どうして櫻井なんか誘うのよ」

飛んできた蘭子の言葉に、百代は顔を戻した。

「お前な、頼まれたから来てやったってのに」

蘭子の失礼な発言に、櫻井はむっとした顔で言い返す。

「何を企んでるのよ?」

ひどく疑わしげに、蘭子は櫻井に問い詰める。
櫻井は反論を込めた目で蘭子を睨みつつ顔をしかめた。

「なんの話だ。俺は別に何も企んでないぞ」

「嘘おっしゃい。あんたは私をぎゃふんと言わせてやろうって、いつもてぐすね引いてるくせに」

「まあ確かに、お前がらみの記事はみんなが喜ぶからな。そういうときもある」

櫻井の言い草に、蘭子が目を見開いた。瞳の奥でゴォーッっと怒りの炎が燃え上がったように見えた。

「蘭子、いいじゃん」

百代はそう言葉を掛けながら、蘭子と櫻井の前に踏み出した。

正直、いまはこのふたりよりも、愛美と保志宮のほうが気になってならなかったのだが…

「せっかくのチケット、残すのがもったいないって言ってたの蘭子じゃないの。櫻井は純粋にMMOのファンで、彼らの舞台が観たいんだよ」

蘭子は残すのがもったいないなんて、もちろん口にしていない。

だが、そう百代から言われた蘭子は、自分のいまの立場をなんとか思い出せたようだった。

静穂を見返すために、蘭子はどうしても自分のパートナーが必要なのだ。

櫻井と感情のままやりあって、もし櫻井が帰ってしまうようなことになってしまったら、今回の計画はすべておじゃんになる。

蘭子はそれらのことを再認識したようだった。
少し目を泳がせたあと、蘭子は気を取り直したように口を開いた。

「ファン? MMOの?」

蘭子は彼女にしてはずいぶんと奥ゆかしく、櫻井に話しかけた。

「ああ。悪いか?」

それまでの経緯から、櫻井は食って掛かるように言う。

「まあ、…悪くはないわ」

蘭子のその言葉は、櫻井にすれば、思ってもいない返事だったに違いない、彼は拍子抜けしたような顔になった。

「さあさあ、こんなところでぐずぐずしてないでさ、早くお芝居に行こうよ」

百代は全員に向けて促すように言い、見覚えのある三次の車へと足を向けた。

車の近くまで行って、愛美と保志宮に目を向けて見ると、愛美は彼女らしい遠慮がちな様子で車に乗り込もうとしている。

腕を組んでいたのは、保志宮から強要されたのに違いない。
そのぐらい強引に出なければ、愛美が男性と腕など組むはずがない。

つまり…保志宮さんは愛美の事を…

百代は、ぎゅっと眉間を寄せた。

「桂さん」

三次から呼ばれ、百代は眉を寄せたまま三次に振り返った。

「どうかしたんですか?」

「あ、いえ」

百代は小さく首を振り、助手席に乗り込んだ。

「今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ。それで? 今日の目的はなんなのですか? 蘭子さんの」

最後に付け加えられた蘭子さんのという言葉に、百代は思わず吹き出した。

「前回のターゲットは櫻井君でしたが、今回はそうではない。また別の誰かがターゲットなわけですか?それとも、もっと他に何か?」

「推理はご自由にして楽しんでください。でも…」

「桂さんからの回答は、いただけない?」

「そういうことです」

そんな話をしている間に、車は櫻井の車に続くように走り出していた。


「ついてきていませんね」

「えっ?」

保志宮のことがひどく気に掛かり、彼について思案していた百代は、三次のその言葉に顔を上げた。

「ついてきて…えっ?」

言葉の意味に気づき、百代は後ろを確認してみた。

後ろに続いている車の中に、保志宮のあの目立つ車は確認できない。

「ええっ! ま、まさか、保志宮さんってば…またどこかに連れ去っちゃったっていうの?」

驚きがそのまま口から転がり出ていた。

「そう言えば、前回の時も…。保志宮氏は、芝居にゆかないつもりかな? 蘭子さんの作戦の方は、我々だけで大丈夫なんですか?」

愉快そうに言う三次に、百代は返事を返さず唇を突き出した。

作戦は、四人でもなんとかなるかもしれないが…

「まさか、保志宮さんがこんな行動に出るなんて思わなかったわ」

「不服そうですね?」

楽しげにそんなことを言う三次を、百代はむっとして睨んだ。

「蔵元さんは、楽しそうですね?」

「ええ。それはもう。今日は楽しめると思ってやってきましたからね」

「楽しめてよかったですね!」

あてつけがましく言った百代に対して、三次はさらに笑いを広げる。

思わぬ事態に苛立ちを感じているというのに、三次の笑いはなぜか彼女の腹立ちを和らげてゆく。

それにしても、これは困った事態かもしれない。

保志宮は、十中八九、愛美に異性としての好意を抱いている。

彼はおとなしい性格では無さそうだ。
欲しい物は、手に入れようと進んで行動するだろう。

愛美、保志宮とふたりきりで、連れてゆかれてしまって、大丈夫だろうか?

不安を感じた百代は、 ともかく愛美の携帯に電話を掛けてみた。

呼び出し音は鳴るが、愛美は出ない。

サイレントにしてあったから、気づかないのかもしれない。

百代は自分をなだめ、腕を組んで目を閉じた。

すーっと大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

胸にあった不安が簡単に消え、百代はパチリと目を開けた。

どうやら、大丈夫なようだ。

「桂さん?」

「はい」

「怒ったんですか?」

ずっと黙り込んでいたからだろう、三次が聞いてきた。

「いいえ、怒ってなんかいませんよ」

百代は明るく返事をした。





会場では、黒服を着たスタッフが彼らを出迎えてくれた。

愛美と保志宮がついてきていないことを知った蘭子は、すぐさま保志宮の携帯に電話をかけた。

「出ないわ」

イライラと蘭子が言う。

「運転中なら、出られないだろ」

櫻井の指摘に反抗心を煽られたらしく、蘭子はきっと睨む。

そうこうしている間に、蘭子の携帯が鳴った。

保志宮だったようだ。

「少し遅れてるけど、もうすぐ着くって」

蘭子はホッとしたように、三人に向けて報告した。

どうやら、愛美は保志宮に拉致されたわけではなかったらしい。

だが、たぶん、単に遅れただけではないと思えた。

ふたりの間で、何があったのだろうか?


ふたりがようやく到着し、待っている間、苛立ちを募らせていた蘭子は、運転手の保志宮を攻め立てた。

危うく作戦が台無しになるところだったのだから、蘭子としてみれば当然の苛立ちだろう。

案内係の誘導で、六人は自分たちに用意された席に向かった。

愛美と肩を並べて歩きながら、話を聞こうと思ったのに、愛美の横には保志宮が寄り添っていたし、百代の方は三次と並んで歩く形になり、どうにも話しかける機会は得られなかった。

愛美の表情が気に掛かる。
やはり保志宮と何かあったのだ。

愛美はここに来るまでに泣いている。
保志宮は、愛美を泣かせるようなことを言ったのだ。

気になってならないのに、聞けないなんて…

あー、もどかしいったらないよ。

もどかしさが頂点になったのは、席に座ったときだった。

なんでか百代が一番端っこ。
隣は三次で、蘭子、櫻井、愛美、保志宮の順。

完全に愛美と離れてしまって、これではお芝居が終わるまで、お預けってことじゃないか。

どうして今日は、こう何もかもうまくゆかないのだ。

「桂さん、ここまで何もありませんでしたね?」

潜めた声で囁かれ、百代は三次に顔を向けた。

何もない事はない。百代にすれば、すでにありすぎな事態だ。

「これから何かが起こるんですか?」

三次の言葉で、百代は今日の目的を遅れて思い出した。

そうだった。静穂たち…

百代は、くるりと後ろに首を回してみた。

三列後ろに、奥谷一派が勢揃いしている。
彼女達が食らった衝撃は、充分すぎるほど確認できた。

「どうやら、すでに目的は達成したみたいです」

顔を戻した百代は、三次の耳元に唇を近づけ、他の誰の耳にも届かないように囁き返した。

「ほお。どういうことか、お聞きしたいが…」

「いまは無理」

「それでは、後で。約束ですよ」

三次は、少し笑いながら、唇が耳に触れそうなほど近くで囁いてきた。

彼の声の響き、そして耳たぶにかかる温かな息。

ドキンと心臓が跳ね、頬が赤らむのを感じた百代は、焦って三次から顔を背けた。





   
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