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蘭子の企みのためにやってきた舞台だが、すでに蘭子の企みは成功を収めたわけで、百代はゆったり気分で芝居を楽しんだ。
隣にはちょっと気になる殿方が座っているし…
それでも、愛美のことを忘れているわけではない。
愛美は気にかかるが、ともかく芝居が終わらないことには、彼女と視線すら合わせられないのだ。
ここはいったん、愛美のことは置いといて、舞台を楽しむのが上策。
一幕が終わり、緞帳が下がった。
照明がついて周りが明るくなり、百代は三次の向こう側にいる蘭子に目を向けた。
思ったとおり、蘭子は優越感たっぷりの顔を後方に向けていた。
たぶん、後ろにいる静穂は、悔しさのあまり、怒り心頭に発しているんだろう。
静穂たちにすれば、蘭子の相手が櫻井だったのは、驚愕くらいの驚きだったに違いない。
櫻井の家は、家柄がいいというわけではないが、それなりに親は金持ちだし、学園での櫻井は、女生徒にものすごく人気があるのだ。
「さあ、お楽しみにはこれからよ、櫻井」
ずいぶん高飛車な声で蘭子が言った。
お楽しみはこれから?
その蘭子の言葉を耳にしたからだろう、三次も蘭子に顔を向けている。
百代は三次の横から顔を出して蘭子を窺った。
「へっ? 楽しみってなんだ? 藤堂」
すっかり芝居に魅了されていたのだろう、自分にかけられた蘭子の声が、高飛車だったことなど、櫻井は気づかなかったらしい。
「ふふん。実はね、MMOのメンバーと面会させてもらえることになっているの」
超得意そうに蘭子は言った。
鼻が上を向きすぎて、にょきにょき伸び、天狗になるんじゃないかと思えるくらいだ。
普段の櫻井なら、そんな蘭子の態度に、すこぶる機嫌を損なうはずなのに、MMOのメンバーとの面会という事実は、そんな蘭子の態度すら意識から吹き飛ばしてしまうほど魔力のあるものだったらしい。
「おい、藤堂、マジかよ?」
信じられないとばかりに目見開いて櫻井が問いかけたところに、黒服を着たスタッフが駆け寄ってきた。
「藤堂様」と声を掛け、うやうやしく蘭子に向けて頭を下げる。
「ああ、どうもありがとう」
「では、こちらに」
「ええ、お願いするわ。さあ、みなさん、ほら、保志宮さんと愛美も」
蘭子は櫻井の隣にいる愛美と保志宮のふたりに声をかけ、すっと立ち上がった。
こりゃあ、すごいことになったもんだ。
さすがの百代も、胸がドキドキしてきた。
彼女はワクワクしながら、三次と並んでスタッフの後について行った。
劇場内から出るところでいったん後方を確かめると、蘭子と櫻井の後ろに、保志宮と愛美もちゃんとついてきている。
愛美が少しぼおっとしているようでこれまた気になったが、愛美と話すのは、ともかく芝居が終わってからだ。
それにしても、MMOメンバーとの面会を現実にするとは、さすが蘭子、藤堂家のお嬢様だ。
黒服をトップに、結構ひとのいる通路をずかずか歩いてゆくと、ついに関係者立ち入り禁止という領域へと足を踏み入れることとなった。
なんとも気分のいいものだった。
「楽しみですか、面会?」
三次が話しかけてきて、百代は彼を見つめて苦笑した。
「入っちゃいけないってところを抜けるのって、なんとも言えずウキウキしません?」
「それで嬉しそうに笑っていたんですか?」
「はい。禁止区域とか書いてあると、無性に入りたくなるんですよねぇ」
「危ない人だな」
叱るように三次は言ったが、彼が楽しんでいるのが分かる。
「危険人物ですもん、わたし」
「ええ、それはすでに承知していますよ」
「ありゃ、そうなんですか?」
百代がおどけて言ったところで、前を歩いているスタッフがドアの前で立ち止まり、百代も足を止めた。
何気なく後ろに首を回した百代は、眉を寄せた。
い、いない?
後ろにいたのは蘭子と櫻井だけだ。保志宮と愛美の姿がない。
なんだこりゃあ〜。
あのふたりってば、また消えたよ。
すでにドアを開けたスタッフが、彼らを部屋の中へ入るように促しているのだが…
「百代、どうしたの?」
怪訝そうに聞かれ、百代は顔をしかめて蘭子の背後を指さした。
「いないんだよ。ほら、後ろ」
蘭子はパッと後ろに振り返り、「まあ」と叫んだ。
「いいから、入らないと。メンバーが待ってくれてるんだぞ。こんなところでぐずぐずしていたら失礼だろ」
櫻井も一度確認のために振り返ったものの、いらだった様子で叫んだ。
MMOファンの櫻井にすれば、愛美と保志宮が消えたことより、MMOのメンバーの方が、そりゃあ大事に違いない。
「子どもが迷子になったわけじゃない。入りましよう」
この場で一番年長の三次がきっぱりと言い、百代はみんなと中へと入った。
舞台の一幕が終わったばかりのところで、出迎えてくれたメンバーは数人だったが、主役級のひともふたりいて、数分程度の面会の間中、櫻井はガッチガチに緊張していた。
いつも余裕のある櫻井のカチカチぶりを見るのは、もちろん面白かった。
サインを貰い、握手もしてもらい、彼にすればこれまでの人生で最高といっても過言ではない日だったろう。
もちろん百代も、サインと握手をしてもらった。
そう訪れない機会だ。堪能しないともったいない。
部屋を後にし、劇場へと戻る道々、興奮した櫻井は一言も口を聞かなかった。
蘭子はひっきりなしに自分の手柄といわんばかりの言葉をくっちゃべっていたが、そんな言葉など櫻井は耳にいれていなかった。
「保志宮さんたちのことが気になりますか?」
蘭子と櫻井という面白い見物を前にして、眉を寄せて考え込んでいた百代は、三次に声をかけられて目だけ向けた。
「だって、またですよ。保志宮さんが愛美をどこに連れて行ったか、蔵元さん、もしかして知ってます?」
「私は保志宮氏とグルではありませんよ」
くすくす笑いながら言われ、百代は頷いた。
もちろん、三次がグルとは思っていない。が、一応確認だ。
保志宮は、無理やり愛美を連れ出して行ったんだろうか?
ここに来るときに遅れてきたのはなぜなのだ?
そして、一幕を観たところで、なぜ消えたのだ。
最初から消える気なら、ここに来る必要もなかったはず。
愛美が、蘭子の企みを成功させるために、ともかく行くべきだと説得したとか?
そう考えた百代は、その考えを排除した。それはない。
何かあるのだ。もっと何かが…
保志宮は愛美を好きかもしれなくて、けど愛美は別の人を好きで、別の人は愛美が好き…
眉間を寄せて考え込みながら、席へと戻ってきた百代は、答えが得られそうな予感がして無意識に目を細めた。が、答えが得られると思った瞬間、強い視線を感じて、彼女はパッと舞台後方へと視線を飛ばした。
目が合った瞬間、相手がさっと顔を背けた。だが、その相手の横にいる女性はしっかりと誰であるか判断できる。
橙子さんだ。
橙子はいまこちらを見てはいない。
そして橙子の隣にいて、百代が顔を上げた瞬間顔を背けた男性は、いまは、百代から見えないように姿を隠している。
保志宮さんだ。間違いなく。
ならば、愛美は?
「座らないんですか?」
「いい気分ね」
三次と蘭子がほぼ同時に言った。
蘭子は緞帳が下りている舞台の方に目を向けているが、いい気分というのは静穂を負かせたからだろう。
百代は、いまさら静穂を探してみた。
むっつりとしていながらも、プライドからかひどく上品に澄ましている静穂がいた。
こんなことは無意味だと、蘭子より先に目を覚ませれば、本当の意味であんたの勝ちなんだよ。
百代は、自分と目を合わせるのを避けている静穂に無言で声をかけ、椅子に座った。
「芝居は楽しいんだが、いまは早く終わってほしくもありますね」
隣に腰かけている三次がそんな囁きを向けてきた。
「待つ時間を楽しまなきゃ」
余裕な笑みを浮かべて、三次にしたり顔で言っている自分を、百代は内心笑った。
消えた愛美が、いったいどこに連れて行かれたのか?
いま、保志宮が橙子と一緒にいるのは、なぜなのか?
さてと、そろそろ二幕が始まる。
幕が下りるまでに、謎の答えをじっくりと考えようじゃないか。
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