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緞帳がゆっくりと下りてゆくのを満足の思いで見つめながら、百代は痛いほど手を叩いた。
会場内も、割れんばかりの拍手が続いている。
さすが、MMO、心に感動だけでなく、躍動感を与えてくれる素晴らしい舞台だった。
夢中になって拍手していた百代は、ハッと我に返り、蘭子の隣に座っている櫻井に目を向けた。
いつもシニカルに人を観察している櫻井が、大興奮で無邪気に手を叩きまくっている。
にっしっし。
こいつを目に出来て、この芝居を観に来た価値は三倍増しになった。
「さあ、それでは帰りましょうか?」
そう口にした蘭子は、立ち上がりざま、何気なさそうに後ろに振り返る。
「あら」
少し拍子抜けした蘭子の声に、百代も後ろに向いてみた。
静穂たちの姿はすでにない。
どうやら、緞帳が下がり出したと同時に出ていったらしい。
そりゃあそうか、優越の塊になった蘭子など、静穂とすれば見ていたくないだろう。
さてさて、これから静穂はどう出てくるだろう?
諦めるか、さらに何か仕掛けてくるのか?
百代としては、もうどっちでもいい。
今回は、ことの流れで蘭子に手を貸すことになったが、友達といえど、蘭子の肩を持つ気もない。
その報酬というか…おかげで百代は、三次という一緒にいて好ましい男性と出会えたのだが…
まあ、この出会いも、偶然なんかじゃなく、きっと必然。
そして、愛美も…
あっ…
百代は頭の中が急にクリーンになり、望みの答えが飛び出てきた。
そうか、もちろん愛美は、彼女がパーティで出逢った運命の男性と、いま一緒にいるに違いない。
そして保志宮さんは、それに手を貸した。
百代はきゅっと眉を寄せた。
あれっ? ならば、なぜ保志宮さんは橙子さんと…
導き出される答えはひとつ、そして導き出された答えに対して、百代は顔をしかめた。
今日、橙子さんは誰と一緒に来たのだろう?
橙子さんはかなりもてるだろうから、そりゃあもう、いろんな人から誘われるんだろうけど…
誘われたからって、誰でも一緒に来るなんとことはないはずだ。
保志宮さん、謎の男性、そして橙子さん。
この三人がグルになっているとすれば、すべてが納得できる。
そうなんだろうか?
橙子さんが今日誰と来たのか、蘭子に尋ねてみれば、教えてくれるかもしれないが…
蘭子は、このことに関しては、絶対に何も知らないはずだ。
もちろん愛美だって、何も知らなかったはず…
ああ、もしかして、それでだろうか…
保志宮と愛美が遅れて来たのは、この話を聞いていたから?
確信を持ってもいいほど納得のいく推理なのに、なんとなく、すっきりせず、百代は唇を突き出して目を細めた。
「考え事は終わりましたか?」
百代は眉を上げ、声のしたほうへ顔を向けた。
話しかけてきたのはもちろん三次。
すでにほとんどの人が会場から出てしまっていて、百代たちの周りに人はいない。
「あれっ? 蘭子と櫻井は?」
「ずいぶんと集中して考え込んでいましたね。答えは出ましたか?」
問いに問いで返してくるとは…おぬし、やるな。
三次が何を聞いているのかは分かっている。
愛美と保志宮が消えたのは何故か、なんらかの答えを導き出せたのかと聞いているのだ。けど…ここで素直に答えるなんてつまらない。
「ふたりは?」
再び問い返した百代を見つめ、三次は気に入らないというように顔をしかめたあと、小さな笑みを浮かべた。
「貴方が考え込んでいる間に、蘭子さんが彼をからかって、むっとした彼が帰るぞと乱暴に言いながら立ち上がって、そのまま行ってしまわれたというわけですよ」
「ははあ」
百代は残念な気分で相槌を打った。
どうやら、楽しい見物を見逃してしまったらしい。
愛美の謎を推理するのは、蘭子と櫻井のそのやりとりを見物した後でもよかったのに…
「蘭子さんは彼を気にしつつ、私と貴方に顔を向けてきたので、お先にどうぞという意味を込めて手を振りました」
「それで、すでに先に帰っちゃったわけですね」
「ええ。では、私たちも帰りますか?」
百代は頷き、三次の後ろについて歩き出した。
蔵元三次…彼は慶介に似てる。
好敵手、もうひとり現る!
百代は胸の中で叫び、込み上げてくる笑いを噛み殺した。
彼女の人生に、またひとり、素敵な人物が加わった。
これはお祝いしないと。
「ねっ、蔵元さん」
百代は三次と並んで歩きながら、彼に話しかけた。
「お忘れですか、桂さん、問いの答えを、私はまだいただいていませんよ」
「そうだった。私、桂じゃないです」
「はい?」
不可解そうな表情の三次は、すぐに面白くなさそうな顔になった。
「貴方ときたら、どうしてまともな会話をしようとしないんです」
「まともですよ。ちゃんと意味通じてるでしょ? 私の名前、桂じゃないって衝撃的告白をしたんですよ。蔵元さん、まずそっちにびっくりな反応してもらわないと、言った甲斐がないじゃないですかぁ」
「そんなに驚かなかったからですよ。それで? 本当の名前はなんなのですか?」
「えーっ、それじゃあ、偽名かもって感じてたって言うんですか?」
「桂もも。足りないでしょう。どう考えても」
「どうしてですか? 可愛い名前じゃないですか、ももなんですよ」
「ですから…もし、苗字が桂だとしましょう。私が親だったら、桂という短い苗字に、ももなんて名はつけませんね」
「それじゃ、なんてつければ蔵元さんは納得するんですか?」
三次は足を止め、じっと百代の顔を見つめてきた。
百代はそんな彼の眼差しに対抗するように、まっすぐに見つめ返した。
「貴方には、桃太郎がお似合いですよ」
ようやく口を開いた三次は、そう言ってにやりと笑う。
も、桃太郎?
流石の百代も、この発言にはびっくりした。
「桂桃太郎。どうです、長さといい…」
「太郎じゃ男の子の名前じゃないですか」
「おや、女の子だったんですか? 男の子が女装しているのかと思いましたよ。普通の女性は、ドレスアップした姿で、ハイヒールを置き去りにして、裸足で全力疾走するようなことは、まさかしないでしょう?」
「私は、女の子だけどするんですよ。だいたいあのハイヒールはサイズが…」
「今日は大丈夫ですか?」
からかいの笑みを浮かべて、三次は百代の足元を見つめてくる。
そんな三次を見上げて顔をしかめていた百代は、唐突に笑みを浮かべた。
「ねえ、お腹が空いたんで、何か食べに行きません?」
百代の誘いに、三次は百代を見つめたまま黙り込んだ。
「美味しいところ知ってるんです。きっと蔵元さんも気に入りますよ」
そう口にした百代は、三次を気にせず出口へと歩き出した。
「まだ行くとは言っていませんよ」
「行くとは言ってないけど、行くでしょ? だって、蔵元さん…」
百代は中途半端に言葉を止めた。
劇場の建物から外へと出て、百代は三次の車のある方向に足を向けた。
「だって、なんですか?」
じれたように問いかけてきた三次に、百代はにやりと笑って見せた。
「わくわくしてるでしょ? それが蔵元さんの答えですよ」
「ここですか?」
車から下りた三次は、百代の想像していたとおりの言葉を口にした。
「ここですよ」
お好み焼き屋さんだ。
百代がヒイキにしているお店のひとつで、ここからなら、家まで走って帰れる。
小さなお店で、真新しくもない。が、年季を感じさせる店内が百代は大好きだった。
「お好み焼き、食べたことあります?」
鉄板がついたテーブルに、向かい合って座った三次に、百代は尋ねてみた。
「答えたくないな」
三次は面白くなさそうに答えた。つまりは、食べたことがないってことだ。
「それで?」
お好み焼きを食べたことがあるかないかなどどうでもいいと言わんばかりに、三次は言う。
「その問いは、どの質問の答えを求めてのものですか?」
「名前ですよ。桃太郎でなければなんです?」
「もものすけですよ」
「は?」
「ももじろうでもいいけど…」
悪ふざけが過ぎたらしく、三次の目つきが険しくなった。
こりゃあ、さすがにまずいか?
「桂崎です。桂崎百代」
充分に反省したところを見せて、百代は素直に口にした。
「初めから、素直に口にしようという気にはならないものですかね」
叱るように言われた百代は、腕を組んで首を傾げた。
「なりませんねぇ」
三次はまた何か小言を口にしようとしたようだが、ナイスタイミングでおばちゃん店員さんが注文を取りに来てくれた。
「蔵元さん、どれが食べたいですか?」
「おまかせしますよ」
百代は三次に頷き、彼女の好きなやつを二種類注文した。
「ここで焼くんですね」
他のテーブルの様子を確認し、三次は目の前の鉄板を指しながら言う。
「いい匂いでしょ?」
「桂崎さん」
「どっちを先に聞きたいですか?」
「もうそっちに話が行くんですか?」
渋い顔の三次に、百代はにこっと笑い返した。
「会話はテンポよく、頻繁に変化球で」
三次はついに笑い出した。
彼が声を上げて笑っているところに、お好み焼きの具がてんこ盛りの器が運ばれてきた。
百代は慣れた手つきで、鉄板に具を載せた。
「面白いな」
お好み焼きが完成間近になり、興味深そうに出来上がる行程を眺めていた三次は楽しげに言った。
しあわせそうな笑顔…少年みたいだ。
ほんとに、いろんな顔を持っているひと…
彼の笑顔に好ましい胸きゅんを感じながら、百代はそんな三次を見つめた。
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