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「なんだか…これといったこともなくて…つまんないわね。最近」
いつものように黒い手帳を眺めつつ、のんびり食後の時間を過ごしているところで、ひどく退屈そうに蘭子が言った。
百代は、こういうほのぼのとした雰囲気好きだし、ずーっと続いたって構わないのだが、賑やかなことの好きな蘭子にはたまらなくつまらないのだろう。
蘭子がつまらないのは、百代と愛美を週末に誘わないからだ。
平日は色々習い事をしてる蘭子だけど、土日はそういうのもない。
家族とどこかに出かけたりすることはあるだろうけど、蘭子の友だちは百代と愛美のふたりだけ。
この高ビーな性格、敬遠されっかんなぁ〜。
「いいことじゃないの」
百代は、つまらなそうな顔をしつつ自分のピカピカの爪を検分している蘭子に言った。
「何かないの?」
噛み付くように蘭子が言う。
そんな蘭子の態度に百代は呆れた。
ちょっと相手をしてあげようと言葉を返してあげたら、これだよ。
「何かって?」
百代は手帳を眺めつつ適当に返事をした。
愛美の誕生日会をするつもりだけど…もちろん蘭子を誘わないわけにはゆかないよなぁと考えていたところだった。
「ちゃんと人の話、聞いてなさいよ」
「はいはい」
軽い返事をしつつ、百代は考えを進めた。
あと日にちも…いつがいいだろうか?
「愛美、あんた保志宮さんとはどうなったの?」
百代は、愛美に向けられた蘭子の問いに、さっと顔を上げてふたりを見た。
「え?」
相手が保志宮ではない愛美は、ちょっとびっくりしたような反応を見せている。
その様子を見て、蘭子が眉をひそめた。
「彼と会ってるんでしょ?」
重ねての問いに、愛美は否定して首を振る。
保志宮と付き合っていると信じ込んでいた蘭子は、ぽかんとしてる。
「だってあんたたち、コンサート会場から二人して消えたじゃないの?」
確かに…あのことだけを考えたら、蘭子同様、百代も保志宮と付き合っていると思い込むだろう。
「でも、付き合ってないから」
「なーんだ。それじゃあ、保志宮さんとはそれっきりってわけ?」
気が抜けたように蘭子が言う。
自分の問いに愛美が素直にこくりと頷いたのを目にした蘭子は、先ほどまでの退屈さなど消え去り、晴れやかな笑顔になった。
その笑顔のまま、蘭子は百代に向いてきた。
「百代は? あんたと蔵元さんはどうなったのよ?」
「いまのとこ友達」
百代の返事を聞き、蘭子は「なーんだ」と口にして、椅子の背もたれに疲れたように寄りかかった。
「それなら遠慮せずに休日に誘えばよかったわ。ふたりともデートだとばかり思ってたから」
「い、意外だわ。蘭子、遠慮を知ってたの?」
百代はびっくり仰天したというように蘭子に言った。
久しぶりに、蘭子の睨みが返ってきて、危うく吹き出しそうになる。
それでも一瞬後、蘭子の顔には嬉しさが滲んだ。
ふたりに彼氏が出来てしまったと思い込んでいたのが、違ったとわかってほっとしたのだろう。
自分の都合でくっつけた相手だった手前、文句を言うこともできずに、蘭子の気性としては、ひどくもどかしさを味わったに違いない。
まあ、たまにはいい薬だが…。
「やっぱりそうよね。恋愛対象にはなりえないわよね。保志宮さんも蔵元さんも、年齢的にどうかなと思っていたのよ」
百代は蘭子の発言に呆れた顔をしてみせた。
「あんたが決めた相手じゃないのよ」
「そうなんだけど…」
気まずそうに言った後、蘭子はにっと笑った。
「いいじゃない。これでまた三人ともフリーに戻ったわけだし、また心置きなく三人で遊べるわね」
およよ。フリーになったわけじゃないのだが…愛美は。
百代は愛美の様子を窺ったが、蘭子の元気が戻ったのを純粋に喜んでいる様子だ。
これぞ愛美の性格の良さだとは思うが…
いいのか?
だが愛美には、別の男性とパーティで出会い、いま現在付き合っていることを蘭子に話す、またはほのめかすというような選択など、まったくないようだった。
「それじゃあ今度の土曜日には、ふたりして泊まりにいらっしゃい。日曜日には遊園地かどこか、遊びに行くのもいいわね」
「あ、あの。土曜日は…予定があるの」
蘭子の決定と言わんばかりの発言に、愛美はかなりの焦りっぷりで言った。
ほほお。
百代は笑いを噛み殺した。
どうやら愛美は、土曜日に王子様とデートらしい。
つまり、そのときに誕生日のお祝いをしてもらうってわけか。
「予定? いったい何があるのよ?」
蘭子は眉を寄せ、不服そうに問いただす。
やれやれ。
ここは百代の出番らしい。
「愛美だって色々あるわよ。それで? 日曜日は空いてるの?」
「あ。うん」
愛美のその返事に、蘭子は途端に機嫌を直したようだった。
「それじゃあバースディパーティは日曜日で決まりね」
「バースディパーティー?」
目を丸くして驚きとともに口にする愛美に、百代は眉を上げて目を向けた。
どうやら、自分の誕生日パーティの話になっているとは、これっぽっちも気づいていなかったらしい。
「何で驚くのよ。自分の誕生日じゃないの。来週の二十二日」
「あ…わたしの?」
戸惑ったように口にする愛美を、百代はぎゅっと抱きしめてやりたくなった。
ほんと、とんでもなくいじらしい子だよ。
蘭子もそう感じたに違いない。
「決まってんでしょ。当日が一番だけど、平日じゃたっぷり遊べないし…」
愛美の様子に戸惑いつつも、蘭子はそんな戸惑いを与えた自分に照れくさくなったようだ。
口にしている言葉のそっけなさがあまりにわざとらしくて、百代は笑いが込み上げた。
「愛美のお父様だって、娘とお祝いしたいだろうから…でも本当は、夜通しでパーティやりたかったのに」
つんと澄まして、不満そうに言う蘭子に笑いが増す。
蘭子ってば、誕生日パーティが出来るということになって、嬉しくてたまらないくせに…
嬉しさを誤魔化そうと、無理やり文句言ってるし…
「そいで、どんなパーティにするの? 場所は蘭子の家?」
「そうねぇ。私の家が良いんじゃない。料理は私に任せてもらえるわよね?」
「そりゃあ、もうなんでも蘭子の好きにしていいよ。料理に関しては、愛美は好き嫌いないし。あと、私も手伝えることがあったらなんでも手伝うよ」
「そうねぇ、それじゃ土曜日に、一緒に必要なもの買出しに行く?」
パーティの買出しの誘いに、百代は俄然楽しくなってきた。
蘭子と一緒なら、お金の心配など必要なく、パーティグッズを物色できるってもんだ。
百代は「いいね、いいねぇ」と声を上げながら、いまだ手にしていた手帳をパタンと閉じ、ポケットにねじ込むと、蘭子に向けて身を乗り出した。
バスに揺られながら、いつもと変わりないようでいて変化に富む外の景色を興味深く眺めていた百代は、携帯がポケットの中でブルブルと振動し、取り出してみた。
登録されていない番号が表示されてた。だが、誰だろうと考えることもなく、これは三次だと直感が告げてくる。
いったい誰に携帯の番号を聞いたかも明らかだ。
もちろん蘭子だろう。
だが、いまはバスに揺られているところだし、電話には出られない。
正直、すぐさま出たかったのだが…
彼の性格から言って、自分から電話して、その電話に百代が出なかったら、もう二度とかけてこない気がする。
その時、タイミングよくバスがバス停に止まった。
降りるバス停ではなかったが、ためらいなく降りた彼女は、まだ鳴り続けている電話に急いで出た。
「こんにちはぁ、蔵元さん」
百代は元気よく挨拶した。
「…桂崎さん…どうして私からだと…? 蘭子さんとご一緒だったのですか?」
「蘭子とは十分くらい前に別れましたけど…」
「十分? …ああ、私の携帯の番号をすでに知っていらしたんですね」
「いいえ。知りませんよ」
「…ならば、どうして私からだと…」
「単なる直感ですよ。それで、何か用事ですか?」
「貴方は…どうして、まともな会話をしないんです」
いらだったように三次が言ってきた。
まだまだ冷静さはあるようだが、あんまりイラつかせて嫌われても困る。
「すみません」
百代はしょげたように謝った。
「あ…まあ、わかってくださればいいのですよ。いま、蘭子さんから電話をいただいたんですが…」
「蘭子から?」
そう口にしたところで、なんとなく話の成り行きが読めた。
このタイミングで蔵元に電話をかけたということは…
蘭子は、愛美のバースディに、トリプルデートの男性陣にも召集をかけたに違いない。
百代は苦笑した。
その中には、もちろん櫻井も混じっているはずだ。
櫻井だけ呼べないし、三次と保志宮も呼ぶことにしたのだろう。
保志宮さんかぁ…
愛美、ちょっと困るんじゃないかなぁ。
「バースディパーティを開くそうですね」
「はい。蔵元さん、参加なさるんですか?」
「ええ。貴方にお会いできるし、そうすれば、謎の答えもいただけるのでしょうからね」
嫌味のスパイスの効いた台詞に、百代はくすくす笑った。
「あと、女性にどんなプレゼントを用意すればいいのか思いつけませんし…桂崎さんに、相談に乗っていただこうかと思って…」
百代は笑いを噛み殺した。
プレゼントの相談なら、電話で彼を招待した蘭子に出来たはず。
「彼女はなんでも喜ぶと思うけど…本が好きみたいだし、図書カードとかはどうですか? あとは、季節柄、手袋とか…可愛い靴下なんていうのもいいかも」
「図書カードでいいでしょうか?」
「はい。いいと思いますよ」
「それだと選ぶ必要がなくて、私としては助かるんですが…。ただ、金額がはっきりするというのがどうも…」
確かに、もらった金額があからさまだと…愛美、困っちゃうかもなぁ。
それに金額がはっきりするものって、どうしても高くなりがちなもんだし…
「手袋にするとしたら…その…桂崎さん、選ぶのにつきあってはいただけませんか?」
「いいですよ。いつですか?」
百代の快諾に、三次は少々まごついたようだった。
「そ、それでは…明日の四時くらいではどうですか? 大学が終わった後にでも…」
「はい。大丈夫ですよ」
ほっとしたような息が耳に届き、百代は笑みを浮かべた。
「あの、桂崎さんはどちらの大学に通われているんですか? …よろしければ、車で迎えにゆきますが…」
百代は思わず唇を突き出した。
そうか、名は名乗ったものの、まだ年齢は訂正しないままだったか…
けど、ここで告白しては、あまりいいことなさそうだ。
明日、会った時にでも…
「蔵元さんは、どこの大学なんですか?」
返って来た大学の名に、百代はびっくりした。
それって、百代が通っている高校と同じ大学ではないか。
ほとんど隣り合わせと言っていいくらいの位置にあるのだ。
「わかりました。それじゃ、蔵元さんの大学の校門前で、四時に待ってますね、では明日ぁ」
百代は言いたいだけ言い、ぽちりと携帯を切った。
いまの彼女の言葉で、三次の頭の中には、またまた問いがいっぱい発生したことだろう。
明日には、その謎の大半は解決することになるのだし、これから丸一日、それらの謎を抱えて過ごすのも、彼にとっては悪くないはず。
百代はグッドなタイミングでやってきた次のバスを目にして、にんまり笑みを浮かべた。
彼と一緒にお買物か…
これってデートって言ってもいいかもね。
初めてのデートに心が躍り、百代は弾む足取りでバスに乗り込んだのだった。
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