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「知りませんよ」
眉を寄せている三次に、百代は答えた。
三次の楽器が、イメージしたバイオリンだったことに、ちょっとだけ驚いた百代だったが、はっきりした途端、バイオリンよりほかには思いつけない。
「勘で口にされたというんですか?」
助手席のドアのところに立ったまま、三次は重ねて聞いてきた。
「イメージがぽっと浮かんだんですよ。ピアノの横に立った蔵元さんが、バイオリンを構えてるイメージ」
百代の言葉を聞き、三次は面白くなさそうに表情を変え、唇をきゅっと引き結ぶと、運転席側へと回り込んできた。
「次の演奏会は、もう予定されてるんですか?」
運転席に乗り込んできた三次に、百代はウキウキしつつ尋ねた。
このひとがバイオリンを弾く姿は絶対にさまになるだろうし、彼がどんな音色を奏でるのか知りたい。
一曲聴いたら、彼の一面を知ることができるだろう。
「クリスマスの頃に…」
渋々というように三次は言う。
どうやら彼は、百代に来て欲しくないようだ。
「場所はここですか?」
「いえ。大きなホールを借りて…。チャリティーコンサートを…」
「そうですか。それで、プレゼントは何にします? 手袋にしときますか?」
演奏会の話を、百代が唐突に切り上げたせいで、三次はちょっとむっとしたようだった。
そして、矛盾した思いに囚われている自分に、苛立っている。
「手袋にしますよ。桂崎さん、お勧めの店がおありですか?」
「ありますよ。お気に入りの店。けど…」
「けど、なんです?」
「彼女の好みじゃないかも」
「貴方と早瀬さんの好みは、そんなに違うんですか? 貴方の好みは、いったいどんなものなんですか?」
「わたしは、個性のあるものが好きです。それ独自の自己意識を持ってるようなもの…」
「手袋なんですよ。貴方は、手袋ごときに、独自の自己意識なんてものを求めるというんですか?」
「はい」
百代はこくりと頷いた。
「いったいどんな手袋が…自己意識のある手袋があるものなら、見せてもらいたいもんですね」
「独自のですよ。それじゃ、まあ〜、彼女の好みのものはその店では見つけられないと思うけど…行ってみます?」
「ええ、是非」
挑戦するようにきっぱりと言った三次は、車のエンジンをかけたが、走り出さずにまた百代に向いてきた。
「貴方はもう、用意されたんですか?」
それはもちろん、愛美へのプレゼントのことだろう。
「はい」
「早瀬さんとは、まるで好みの違う貴方が、いったい何を彼女のプレゼントに選んだのか、知りたいですね」
「石ころですよ」
「は?」
ポンと答えた百代に、三次は顔をしかめた。
「石ころとは…どんなものなのですか?」
「お気に入りの石ころショップがあるんです。そこの店長さんが、とっても不思議なひとで…」
「不思議なひと? 貴方が不思議だと感じるなんて、よほどなんでしょうね?」
「そうなんですよ」
百代は我が意を得たりと、大きく頷いた。
予算ぴったりだったのには、ほんとびっくりさせられた。
「もう見えないものがなんでも見えてるんじゃないかって思えるひとで…まるで気配を感じなかったり…けど、必要なときには現れるみたいな」
「そんな人が、本当に現実にいるんですか?」
三次は疑わしげに聞いてくる。
百代は、普通のひとならば自然な反応に、思わず笑った。
「はい、いますよ。よかったら、今度一緒に行ってみます?」
「場所はどこですか? これから行ってみましょう」
「えっ、けど、今日はプレゼントを買いに行かないと…。わたし、そんなに遅くまでは付き合えないですよ」
「貴方のおっしゃるところの石ころショップには、アクセサリーなどもあるんですか?」
「もちろんありますよ」
「では、私もその店で選ぶことにしますよ」
「それは駄目ですよぉ」
「どうしてです?」
「彼女にいま必要な石は、すでに私が買っちゃってるし…アクセサリーは…」
百代は眉を寄せ、うーむと考え込んだ。
「桂崎さん?」
「ピンとこないんです。手袋より、ピンとこないから…やめた方がいいです。もっと別の素敵なものが見つかりますよ」
「いいですか桂崎さん、私はその石ころショップで、アクセサリーを買おうと思ったのですよ。だいたい私が差し上げるプレゼントなのですから、私が決めてもいいはずでしょう?」
およよ。
困ったな。意固地になっちゃったよ。
どうやら、彼女の言葉選びが悪かったようだ。
けど、石関係の品は、わたしがあげる玉だけで充分だし…
石ころショップに行ったところで、買わずに出ることになっちゃうのに…それを言っても、彼は納得しないんだろう。
「貴方の勘が納得しないからという理由だけで、変更する気にはなれませんね」
納得しないんだろうと考えたところに、三次が納得という言葉を口にし、百代はぷっと吹き出した。
「何がおかしいんです?」
「納得の言葉が、シンクロしたからですよ」
「はい? なんのことです?」
怪訝そうに聞かれ、百代は顔の前で、いいのいいのというように、手を振った。
「ともかく、お店に向かいましょうよ。最初に手袋を見に行って、蔵元さんがピンとこなかったら、石ころショップに行くってことにすればよくないですか?」
一番の解決策と思って提案したのに、三次は苛立ちが増したようで、さらにむっとした顔を向けてきた。
「桂崎さん、どうして貴方は、問いを消化させずに、話を変えるんです?」
「だって、話したところでたいした話じゃなかったし…話し込んでばかりいたら、どんどん時間が過ぎちゃうなと思って…」
「私の精神が、消化不良でイライラするんですよ」
百代は、三次の顔をじっと見つめた。
確かに、そう言われると…そのとおりかも。
これは自分が悪い。
「ごめんなさい」
頭を下げて謝った百代に、三次はきゅっと眉を寄せた。
何か言うと思ったのに、彼はふっと小さく息を吐き、車を発進させた。
「蔵元さん、どうでした? ピンとくるのありました?」
手袋を三次が見ている間、他の品を見て回っていた百代は、三次に歩み寄ってゆき、尋ねた。
彼はきっと、変な手袋ばかりだと思っているのに違いない。
いや、手袋に限らず、この店のものは、どれもこれも奇抜なものばかり。
百代はとっても気に入ってるけど、愛美の雰囲気のものはひとつだってないと断言していいだろう。
「ありませんよ」
得々とした顔で三次は言う。
これで石ころショップに行くことになるのだと思っているのだろう。そして、百代に対しては、だから最初から石ころショップに行けばよかったのだと言いたいのに違いない。
だが、実は、愛美の喜びそうなものを売っている店が、すぐ近くにあったりしちゃうのだ。
「では、ゆきましょうか?」
三次はさっさと売場を後にするつもりのようだ。
百代は、素直に彼の後に続いた。
「ねぇねぇ、蔵元さん」
まっすぐに歩いてゆく彼の腕を、百代は掴んだ。
三次は顔だけ向いてきた。
「ほらあそこ、よさそうですよ」
百代はくいくいと指をさして言った。
彼女の示す方向へと、三次は視線を回す。
お姫様グッズがいっぱいの、乙女チックなお店。
「ここ、ですか?」
彼が入るのをためらう気持ちはわからないでもない。が、贈り物を渡す相手は、十代の乙女なのだ。
ああ、そう言えば、彼はまだ、愛美もまた百代と同じ年だとは知らないんだった。
自分のことは正直に告げたけど、愛美のことを、彼女の一存で教えるわけにはゆかないし…
三次は店の中へ入らずに立ち止まって店内を見回している。
百代はそんな三次を置き去りにして、店内に踏み込んだ。
薔薇の柄のティーカップ、ちょこっと、クリスマスグッズも並んでる。
宝石箱に、お姫様仕様のフォトフレーム。
これらのどいつでも、愛美は喜んでくれそうだが…
うーむ。
陳列されている物を見て歩いていた百代は、さっきからずっと同じところに立ち尽くしている三次に目を向けた。
石ころショップにずいぶんとこだわっていたから、イラついているかもと思ったのに、彼は、じっと何かを見つめている。
およよっ? どうやらこれは…
百代は、彼のところに急いで戻った。
三次が見つめていたのは、手鏡だった。
コンパクト型になっていて、派手なやつに、可愛いの、そしてシックなのと色々ある。
「へえっ、いいですねぇ。蔵元さん、どれがいいと思います?」
「私は…」
反論しようとしたようだったが、三次は考え直したようで口を閉じた。
そして、並んでいる手鏡をまた見つめる。
「これにしますよ」
三次が指さしたのは、愛美らしさを感じる、とても上品なデザインのものだった。
「ピンときた?」
「頷きたくはありませんが…そうですよ。ですが…誕生日の贈り物とするには、これだけでは…」
「どうしてですか?」
そう聞いたものの、三次の考えていることは理解できていた。
手鏡はそんなに高くない。
こんな安いものではと、彼は思っているのだろう。
「彼女、喜びますよ」
「ですが…」
「これ以上もらっても、困らせちゃうと思います。でも、これひとつなら、きっと素直に喜んでくれますよ」
百代の説得で、三次は納得したようで、選んだ手鏡を包んでもらった。
「送ってくださってありがとうございました」
家の前で三次の車を降りた百代は、笑みを浮かべてお礼を言った。
色々あって、本当に楽しかった。
彼はどうなんだろう?
イライラさせすぎてしまったし、もう会いたくないと思っていないだろうか?
自分の思考に、百代はどきりとした。
わたしってば、マイナス思考に囚われるなんて…らしくないぞ。
「桂崎さん、今日はありがとうございました。それでは」
上品に頭を下げて挨拶の言葉を口にした三次は、すぐに車を発進させた。
「よおっ、戻ったか」
走り去ってゆく車を見送っていた百代は、その言葉と同時に頭のてっぺんをぐいっと押され、後ろに振り返った。
不意打ちのように、百代にこんなことをするのは、慶介しかいない。
「慶介」
「いまの誰?」
走り去ってゆく三次の車を見つめながら言う。
車から降りるのを、見られちまったようだ。
「まあ、偽物彼氏ってとこかな」
「はあっ? なんだその偽物彼氏ってのは?」
「偽物彼氏は、偽物彼氏だよ。蘭子の企みでね」
「藤堂か?」
ふーんと言うように、顎に手を当てている悟り坊主を見て、百代は笑いが込み上げてきた。
そう言えば、一番最初に、蘭子に彼氏候補のリストを書けと無理強いされて、慶介の名前を書いたら、問題外とかなんとか言って、あっという間に消されちゃったっけ。
あんときは、かなりむっとしたけど…
確かに、この悟り坊主は、わたしの彼氏にはなり得ない。
「なににやにや笑ってんだよ?」
おお、そうだった。
「あの格闘ゲーム、今日発売の…慶介、昨日のうちに手に入れてんでしょう?」
うん?というように、慶介は百代を見つめてきた。
「このわたしの目は誤魔化せやしないよ。さあさあ、やらせてもらおうじゃないのよ」
「お、おい。俺はこれから美雪さんの手作りおやつをだな…」
慶介の腕をむんずと掴んだ百代は、ぐだぐだ言い続ける悟り坊主を、有無を言わさず、彼の家に向かって引きずっていったのだった。
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