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「そうだ。ねぇ、蘭子。クラッカー買おうよぉ」
百代は並んで歩いている蘭子に提案した。
明日の愛美の誕生日パーティに必要なものの買出しを終えたところだ。
買った品物は、全て、一緒についてきてくれたお手伝いさんと運転手さんが車に運んでいってくれた。
「クラッカー?」
「ほら、そこの売場にあるの」
百代は蘭子の腕を取り、クラッカー目指して足を向けた。
「誕生日のお祝いなんだよ。ドパーンとさ、派手にぶちかまそうよ」
ウキウキしながら言った百代は、蘭子がぐっと踏ん張り、足を止めた。
「蘭子?」
すっと前に蘭子が出てきて、仁王立ちになった。どうしたというのか、なにやら怒り顔をしている。
「どったの?」
いまのいままで、上機嫌で買い物してたのに…?
「私の誕生日の出来事を思い出したのよ」
刺々しく蘭子は言う。
蘭子の誕生日は五月だ。
そのころ愛美は、まだ蘭子とあまり仲良くなっておらず、誕生日には呼ばれなかった。
友達として招待されたのは百代だけ。
もちろん、百代は毎年招待されているし、藤堂家の息女の誕生日パーティなのだ、招待客は毎年大勢いる。
まあ、それで、百代はクラッカーを買い込み、藤堂家で蘭子に迎えられた瞬間、ドドパーンってな具合に、五個いっぺんにクラッカーを鳴らしたのだ。
びっくり仰天した蘭子は、ポンと飛び上がり、どっすんと尻餅をついたわけで…。
ずいぶんと綺麗に着飾っていたから、あれはかなり見ごたえがあった。
…が、いま蘭子は、クラッカーと聞き、そのときのことを思い出してしまったのだろう。
「蘭子、わたしの誕生日でもやるといいよ。ねっ」
「知っているあんたにやっても、驚くはずがないでしょう? 仕返しになりはしないわ!」
まあ、それはそうかもしれない。
「けどさ、わたしの誕生日は、三月の終わりだし、そのころのわたしはきっとクラッカーのことなんぞ忘れてるって」
びっくりこいて、派手に尻餅をつく真似くらいしてやろうじゃないの。
「嘘おっしゃい!」
噛みつくように言われ、百代はへらへら笑った。
「ともかくさぁ、買おうよぉ。ねっ、蘭子。愛美がビックリ仰天して、蘭子と同じに尻餅ついちゃうかもしんないしさ」
「わたしはそんな…ま、まあ、いいわ、買っても」
そんなわけで、クラッカーを大漁にゲットし、百代はほくほくとしつつ車に戻った。
「あんた、プレゼントはなんにしたの?」
「蘭子は何にしたの?」
「私が先に聞いたのよ」
「まあ、ラッキーアイテムみたいなもんだよぉ」
百代は適当に誤魔化して言った。
あの石ころショップのことは、蘭子には秘密にしてる。あの店の石を、プレゼントとしてあげたこともない。
なんでって、あの店を知ったら、蘭子は不必要に感化されてしまいそうな危うさを感じるのだ。
石は必要に応じて手にすればいいものなのだ。けど、蘭子はお金に不自由していないから、あれもこれもと手に入れたがるに違いない。
「ラッキーアイテム? いったい…」
「ねぇ、それより蘭子は何にしたのか教えてよ。愛美が喜びそうなものなんでしょ?」
「まあね」
「なに、なに?」
百代はせっつくように尋ねた。
「明日になればわかるわ」
蘭子は、いたく満足そうに首を横に振る。
ふむ。
百代は座席にもたれて、考え込んだ。
この蘭子の様子だと、明日蘭子が参加させようと目論んでいた面々は、全員ちゃんと揃うようだ。
たぶん、櫻井も参加するんだろう。
蘭子が、いったいどうやって奴を招待したのか興味が湧くが…
愛美の誕生日パーティに招待するから、貴方もいらっしゃいよとストレートに誘ったんだろうか?
そんなもの、行く義理はないと言いそうだけど…
あっ、でも……他の参加者は誰なのかと、櫻井のことだから聞いたはず。
前回の観劇会で、保志宮氏と蔵元氏が参加したのだから、またあのふたりが来るのではないかと、頭の切れる櫻井なのだから推察するに違いない。
そして、あのふたりが来るのなら、自分も参加したいと思うはず。
だって、男櫻井としては、己の将来のために、あのふたりとは親交を深めておきたいはずだなのだ。
考えてみたら、櫻井にとっては、願ってもないチャンスなわけだよね。
蘭子も拍子抜けするほど、櫻井は、簡単に食いついてきたかな、こりゃ。
もちろん蘭子のことだから、百代が推理したようなことなど、まるで考えついてはいないはず。
櫻井がなんなく招待に応じてくれたのは、自分と一緒に過ごしたいからだと思ったかな?
まあ、櫻井は、蘭子を悪く思ってはいないはずだけどね。
けどまだ、恋に発展するまでにはいたらないんじゃないだろうか?
保志宮は、愛美をとても気に入った様子だったから、誘われたら来るに違いなくて…
そんなこと知らされていない愛美は驚くんだろうけど、来ないでくれとは言えないし…
まあ、仕方がないか…
今日、愛美は、運命の王子様と会っているはずだが…楽しんでいるんだろうか?
精神を集中して、感じようとしてみたが、さっぱりだった。
やれやれ…なんかいまの愛美は受け取れないというか、繋がり難いというか…
「百代、あんた、何を考えて、そんな深刻そうな顔してんのよ?」
「いやさぁ、明日が楽しみでさ」
「そんな風には見えなかったけど」
「色々考えて…。あっそうだ。クラッカー、わたしにもひとつちょうだいよ」
「あんたってば、いったい誰を驚かしてやろうと思ってるのよ? 言っておくけど、美雪お母様を脅かすなんて絶対に駄目よ」
百代の母である美雪を崇拝している蘭子は、目を尖らせて言う。
なぜか百代の母は、聖母マリアのように人に愛され慕われる。あの能天気さが、心の壁をまったく感じさせないからなのかもしれない。
「ママじゃないよ。もち、愛美だよ。明日さ、玄関先でババーンとやってやんの。大勢のほうがいいから、藤堂家のひと総出でさ。橙子さんや蘭子のパパとママにも参加してくれって頼みなよ」
「ふふん、姉様も両親も、とっても大事な用で、一緒に出掛けてていないの」
蘭子ときたら、ずいぶんと嬉しそうだ。
「なんだ。みんな愛美の誕生日パーティに参加するんだと思ってた」
しかし、大事な用とは…ははぁ。
「もしかして、橙子さん、縁談がまとまりつつあるとか? ほら、前に蘭子が言ってた、王子様とさ…」
あ、ありっ?
すっかり忘れてたけど…
「ねぇ、蘭子。パーティのとき、橙子さんの王子様っていたんだよね?」
他を圧する家柄の御曹司とまで、蘭子は言っていたはず。
「いたわよ。でも百代も愛美も会っていないわよ」
ということは…
「ふんふん、王子様は橙子さんとずっと一緒にいたわけか」
「…まあ、そんなとこよ」
蘭子が答えるまで一瞬の間があり、百代はそれが気になった。
だが、蘭子の言う他を圧する家柄の御曹司が誰かは、教えられなくともわかるわけで…
上流階級の息女たちから、氷の王子様と呼ばれているひとだ。
あのひとよりほかに思い浮かばない…
けど、あのひとと橙子さんかぁ…
橙子さん、あのひとでしあわせになれるんかなぁ?
まあ、直接おしゃべりしたこともない相手なわけで、見た目のイメージだけで決めつけるもんじゃないか。
「ねぇ、蘭子。あのひとってさぁ、笑ったりすることあるの?」
「は?」
怪訝そうな目を向けられ、百代はきゅっと唇をすぼめた。
「いったい誰のことよ?」
「そりゃあまあ…橙子さんの王子様?」
「知ってるっていうの?」
「知らないけどさ。予想はついてるよ。で、笑うの?」
「なんであんたが知ってるのよ? 予想がつくって何よ?」
「上流階級とそんなにご縁ないけど、氷の王子様のことは知ってるよ。かなり前だけどさ…遠目に見たこともあるんだ」
蘭子の機嫌が一瞬にして悪くなった。
「その名で呼ばないでちょうだい」
「わかった」
百代はあっさり言った。
彼女があまりに簡単に引き下がったことで、蘭子の怒りは行き場を無くしたようだった。
そのせいで、消化不良になったような気分だったのか、蘭子は苦々しい顔で百代を見つめていたが、ぷいっと顔を背けてしまった。
しかし、あの氷の王子、実際どんな人物なのか、知りたかったのに…
やさしげに微笑む顔なんて、まるきり想像つかない…
「このまま屋敷に遊びに来ない?」
ぼそぼそと独り言みたいに蘭子が誘ってきた。
いましがた怒ったばかりだったから、誘いの言葉は口に出し辛かったようだ。
「今日はこれから予定があるんだ」
今日はこのあと、昨日の続きで、慶介と格闘ゲームの対戦をすることになっているのだ。
「今日は屋敷に誰もいなくて…つまらないのよ」
「そいじゃ、うちに来る?」
「あ、あら、いいの。美雪お母様、いらっしゃるの?」
蘭子はそわそわと嬉しそうに聞いてきた。百代は首を横に振った。
「いらっしゃらないよ。パパと出かけちゃったもん。戻るのは夜だよ。わたしゃ、今夜慶介のとこでご飯食べるんだ」
「あんたってば、石井ばっかりなんだから」
なんじゃそりゃ? 石井ばっかりってのはなんなんだか?
蘭子は、あの悟り坊主が、ほんと苦手なんだよねぇ。
「格闘ゲームの対戦するんだ。蘭子もやってみちゃどうよ。まぜてあげるよ」
「格闘ゲーム? そんなものに興味はないわ。格闘のゲームだなんて、低俗よ」
「蘭子、そういう言葉は、勝ってから言わないと、負け犬の遠吠えだよ」
結局、蘭子は不機嫌なまま、百代を家まで送ってくれ、屋敷に戻っていってしまった。
「ねぇ、慶介ってさ、櫻井とそこそこ仲良かったよね?」
「比呂也か。まあ悪くはないな」
ゲームのコントローラーを余裕の手つきで操作しつつ、慶介は答える。
「蘭子のこと、好きになりかけてるなって感じする?」
「ああ…藤堂と比呂也か…いいんじゃないか。藤堂は…」
「蘭子は、何?」
「影響を受ける」
影響?
「おっ、よっしゃもらった、三勝目」
「ああん。いい感じだったのに…。よしっ、もうひと勝負だ」
チャララーンと勝負開始の音楽が鳴り、百代はゲームに熱中した。
この悟り坊主相手に、集中力を欠いちゃだめだ。
「なあ、早瀬川は、元気か?」
「えっ? 愛美? なんで?」
「いや、ふと思っただけ」
「いまの愛美はしあわせいっぱいなはずだよ。明日は誕生日会だし」
「思い込みだ。お前、曇ってるぞ」
「えっ、曇って…?」
「おっし、四勝目」
「ああーん、もおっ。どうして話しかけてくんのよ。集中してるのにぃ」
「その集中の幅が一定で狭いからだって、いつも言ってるだろ。おぬしはまだまだだぞ百っぺ」
認めたくないが、この悟り坊主のほうが、彼女より一枚も二枚もうわて。
もちろん面白くない。
コントローラーをぽいっと放り投げた百代は、テーブルの上の悟り坊主のぶんのおやつをパッと掴んで口に放り込んだ。
「お、おい、それ俺んだぞ」
口に入れちまえばこっちのもんだ。
悟り坊主に向けてあっかんべーをした百代は、口いっぱいのおやつをムシャムシャ食べたのだった。
もちろんそのあと、悟り坊主の報復を受けたのは、言うまでもない。
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