|
「ママぁ」
階段から下りようとしていた百代は、階段下に母の姿を認め、大きな声で呼びかけた。
母は立ち止まり、百代を見上げてきた。
「あらぁ、良い感じじゃない」
「でっしょう」
百代は母の言葉に気を良くして、階段をリズム良く下りていった。
「去年のクリスマスに、蘭子からもらったワンピだよ。こんなときでもないと着らんないからね」
蘭子はいつも、そりゃあもう豪華な贈り物をくれるのだが、百代のライフスタイルをまったく考えずにくれるから、使うときがなかったり、このドレスみたいに着る機会がなかなか訪れないものが多い。
そして手にしている桃色ビーズのちっこいバッグも、またしかり。
こいつは、去年だったかの誕生日にもらったものなはず…
どうも蘭子は、百代イコール桃色という公式を、頭に埋め込んでいるようなのだ。
百代に桃色が似合うからというより、名前が百代だからなんじゃないかと思えてならない。
蘭子は、ほんと単純だからなぁ〜。
ドレスはシックなデザインの黒がいいのに、蘭子ときたら、百代には似合わないと頭から決めつけちゃってる。
まあ、わたしの普段着は、シックから程遠いけどさ…
ほんでも、この桃色のドレスも…まあ悪くはない。
百代は、玄関前に置いてある姿身のところに立ち、ドレスの雰囲気をチェックし、ゆっくりとひとまわりして確認した。
彼女のあとについてきていた母も、着飾った娘を、楽しげに瞳を揺らして眺めている。
「もう迎えが来る時間だったかしら?」
「いんや、まだだよ。まだ三十分くらいあと。時間もあるし、いっぺんくらい着てみとくかなと思ってね」
「着てみとくって、これ着てゆくんじゃないの?」
「ううん、着てはゆかないよ。蘭子の家で着替えるの」
「あら、そうなの? でも、車で迎えに来てもらえるんだし、このままドレスアップして行ったらいいんじゃないの?」
「愛美も向うで着替えるからさ、わたしも一緒のほうがいいと思うんだ」
「ああ、そういうことね」
「うん。ほいじゃ、脱いでくるよ」
階段へと小走りで戻っていた百代は、横合いからぬっと現れた人物にぶつかりそうになり、キキーッと急停止した。
「もおっ、パパ、急に出てきたら危ないじゃん」
「ほおっ、ずいぶんとおめかししたじゃないか。もものすけ」
「わたしゃ素材が良いからね。着る物を選べばこんなもんよ」
百代は、両手を腰に当てて、父に向けてぐいっと胸を張った。
「やれやれ惜しいなぁ…どうにも色気がいまひとつ…」
残念そうに首を振りながら、ぶつぶつ言いつつ、父は百代の前を去ってゆく。
百代は頬を膨らませた。
「惜しいってどういうことよ、パパっ!」
「まあまあ、ほらモモ、早くしないと遅くなっちゃうわよ」
父に噛み付いている百代のところに、笑いながらやってきて、母が言う。
百代はわざわざ居間のドアを開け、ソファにくつろいだ様子で座っている父をひと睨みしてから部屋に戻った。
「愛美ちゃんに、ママの分もおめでとうって言っておいてね」
「オッケー」
母に見送られ、百代は手を振りながら玄関から出た。
両親からはしっかりと、愛美の誕生日プレゼントの資金協力をしてもらっている。
でなきゃ、この玉は買えていない。
門のところまで出た百代は、道の先を窺い、まだ藤堂家の車がやってこないのを確かめてからバッグを開いた。
バッグの底に転がっている玉を、百代は指で摘んで取り出した。
やっぱ、いい玉だ。輝き具合がいいよ、うんうん。
お店で綺麗にラッピングしてもらったが、もう一度玉を手にしてみたくなって、開けちゃったのだ。けど、うまいこと開けられず、包装紙はちょっと破れちゃうわ、リボンはよれよれみたいになるわで、再ラッピングを諦めたのだ。
まあ、いいのだ。プレゼントはこの玉であって、ラッピングじゃない。
コロンと玉を戻し、バッグの口をパチンと閉めたとき、見慣れた黒塗りの車が目の前に到着した。
「愛美ぃ」
百代は後部座席の窓を覗き込み、かしこまって座っている愛美に声をかけた。愛美は百代と目を合わせて、ほっとしたような笑みを浮かべる。
そうしている間に運転手が下りてきて、ドアを開けてくれた。
別に自分で開けて乗り込むから、わざわざ下りてこなくてもいいのだが、運転手さんとしては、そうもゆかないらしかった。
「桂崎様、お待たせいたしまして」
「そんなに待ってないですよ。今日もよろしくお願いします」
顔馴染みの運転手はにっこりと微笑み、百代を後部座席に乗り込ませると、運転席に戻った。
運転手さんは車を走らせる前に、携帯でこれから百代の家を出るという報告をした。
もちろん蘭子にだろう。
そしてそれは、クラッカー大作戦を成功させるため。
ウキウキしてきた百代は、隣に座っている愛美をにんまりしながら見つめた。
蘭子が、愛美のためにどんなデザインのパーティドレスを用意しているのか、まことに楽しみだ。
「なあに? 百ちゃん」
愛美の全身を眺めつつ、ドレスをイメージしていた百代は、戸惑っている愛美に、にかっと笑いかけた。
「今日の愛美のドレスは、どんなドレスなんかなぁと思ってさ」
百代の言葉を聞き、愛美は困ったような顔をする。
「な、なんか…蘭ちゃんにしてもらってばかりで…わたし」
「そんなの、ぜんぜん気にすることないよぉ。蘭子が好きでやってることだからね」
「でも…わたし、この服でいいのに…ドレスアップとか、別にしなくても…」
「だーめだめ。愛美は今日の主役なんだよ」
百代の言葉に愛美は小さな笑みを浮かべたが、どことなく翳りがあるように見える。
なんかしんないけど…愛美、元気がなくないか?
「愛美、どったの?」
「えっ? な、なんで?」
「うーん。なんでもないや」
どうやら、元気がない理由を口にしたくないらしい。
百代は、昨日、慶介が言った言葉を思い出した。
早瀬川は元気かなんて言い出して、しあわせいっぱいなはずと百代が言ったら、曇ってるぞと。
思い込みだとも言っていた…あれって、つまり…
そっか。わたし、愛美はしあわせいっぱいと思い込んでいたんだ。だから…感じられなかったのか?
唇をきゅっと突き出した百代だが、いまさら反省しても意味がない。
それより…愛美、彼と何があったんだろうか?
百代は、そっと愛美の横顔を窺った。
けど、破局したってわけでもなさそうだよね。
聞いたところで答えてくれないだろうし、いまは経過を見守るしかないか…
藤堂家に到着し、車は玄関前に滑り込んでいった。
玄関先には、蘭子を含めた藤堂家の使用人の人たちが、車を待ち構えていた。
よしよし、蘭子、予定通りにしっかりと人数を集めてくれたらしい。
すでに三次や保志宮も来ているのかもしれないが、ここには彼らの姿はないようだ。
車を下りる愛美を見て、百代は、にっしっしと含み笑いをした。
まさか、クラッカーで派手に出迎えられるなんぞ、思ってもいまい。
「せーの!」
蘭子が大声で叫び、愛美がその声にぎょっとしたところで、ババーン!とクラッカー音が鳴り響いた。
愛美は尻餅こそつかなかったが、仰天して小さく飛び上がった。
尻餅をついたときの蘭子と違い、その仕草はずいぶんと可愛らしかった。
蘭子は、愛美の仰天顔が見られて満足だったらしく、ずいぶんご機嫌でケラケラ笑っている。
「まったく派手なお出迎えだねぇ」
百代は愛美の頭から色とりどりの紙テープが垂れ下がっているのをみて、くすくす笑いながら車を下りた。
「一年に一度のバースディですからね。思い出に残るものにしなきゃ」
大笑いしながら蘭子が言う。
その言葉は、これから迎える楽しい一日を暗示しているもので、百代は俄然楽しくなった。
いったいどんな演出が待っているのだろうか?
楽しみでならない。
愛美の顔を見ると、先ほどまでとは違いとても楽しそうで、百代はほっとした気持ちになった。
おおっ、いいじゃないか。
箱の中に収まっているドレスを見た百代は、思わずうんうんと頷いた。
紺色のドレスだ。愛美には白とか淡い水色なんかが似合うけど、この紺も似合うだろう。
何より、愛美の肌の白さが際立ちそうだ。
愛美はおずおずとした仕草で、ドレスを箱から取り出す。
「いつも私のドレスばかりじゃなんでしょ? 自分で持ってれば、返す手間もなくなるもの。このドレスには、前にあげた薄桃色のパンプスとバッグが合うと思うから、クリスマスパーティのときには、それを使いなさい」
「クリスマスパーティ?」
困惑したように愛美は言う。
「そう。とっても楽しい催しいっぱいのパーティよ。楽しみにしてらっしゃい」
そう言った蘭子は、百代についっと視線を向けてきた。
もちんあんたも来るわよねという意味が強烈に込められた、鋭い視線を食らった。
そういえば、昨年も同じ誘いをもらったのだった。
これまで、上流階級の集まりなんぞてんで興味わかなかったから、蘭子にいくら強引に誘われても全て断ってきた。
以前一度だけ、そういう場に行って懲りたせいもある。
パパの仕事の付き合いだとかで、招待されて、パパに行きたければ連れてってやるって言われて…
つまりは、ご馳走が食べられるぞなんて甘い言葉に乗っちゃったわけなのだが…
なんてのか…
参加者たちの見栄の張り合いを見せつけられて…
それ以来、行く気をなくしてたのに、蘭子の企みに乗っかって、パーティに行っちゃったんだよねぇ。
でも…あのパーティは、出かける必要があったのだ。
百代は三次と出逢ったし、愛美もまた彼女の王子様と出逢った。
「それって、いつなの?」
「クリスマスの前の週の日曜日。恒例になってるの」
蘭子の答えを聞いた愛美の顔は嬉しそうではない。
「あの…わたし…」
「さあ、ふたりともさっさと着替えてちょうだい」
断りを言い出すのが見え見えの愛美に、蘭子はみなまで言わせるつもりなく、勝手に話を進める。
「支度は整ってるし、ご招待したお客様も、すでに全員揃ってるのよ」
蘭子の言葉に、愛美はそうとう驚かされたようだった。
保志宮に三次、そして櫻井が参加する事実を聞いた愛美は、百代に向いてきた。
「百ちゃん、知ってたの?」
「ううん。いま聞いた」
参加する事実は知っていたが、百代が蘭子から直接聞いたのはたったいま。嘘はついてない。
蘭子は「ふたりをびっくりさせてやろうと思って」と、あっさり言い、先に会場に行っていると、さも忙しそうにせかせかと部屋から出て行った。
文句を言われる前に逃げたのだろう。
「三人だけだと思ってたのに…」
蘭子にしてやられたという表情で、愛美は唇を噛み締めている。
確かに、保志宮さんも参加しているのでは、愛美としては困るんだろうけど…
「まあ、いいじゃないの」
思わずくすくす笑いながら百代は着替えを始めた。
「保志宮さんと、蔵元さんは隠れ蓑なのよ」
百代は、着ていた上着を脱いでハンガーにかけながら愛美に言った。愛美の方も服を脱いで着替え始めた。
「どういうこと?」
眉間を寄せた愛美は、怪訝そうに聞いてくる。
蘭子の様子を見ていれば、明らかなことなのに、なぜか愛美は、蘭子の思いに気づけないらしい。
「愛美がどうして気づかないのか、わたしにはそのほうが不思議だよ」
「え?」
目をパチパチさせて愛美は叫ぶ。
「蘭子は櫻井が気になるんだよ」
百代はそう口にしながら、紙袋の中からドレスを取り出し、頭からかぶった。
「う、うん」
ストレートに教えたってのに、愛美のこの返事じゃ、まだまだ理解に及べていないようだ。
「わかってないね。異性としてということだよ」
ようやく理解できたらしい。紺色のドレスを着た愛美は、驚いた様子で目を見開く。
「そっ、それじゃあ、蘭ちゃんは櫻井君を好きだって、百ちゃんは言うの?」
百代は愛美の背後に回り、ファスナーを上げてやりながら話を続けた。
「蘭子の中で好きまで確定しているかはわかんないけどね。いまは気になる程度くらいなんじゃないの」
百代が頼むまでもなく、愛美は百代の話を聞きながら、背中のファスナーをあげてくれた。
「それで蘭ちゃんは、ここに櫻井君を呼びたくて、保志宮さんたちまで招待したの?」
「そんなことはないよ。もちろんあくまで櫻井は蘭子の中でおまけだよ。今日の彼女の目的は愛美のお祝い。櫻井のこと、蘭子自身もまだはっきり自覚しているわけじゃないと思う。無意識に近い意識なんじゃない」
百代は愛美を見つめ、首を傾げた。
髪を垂らしていて、このままでも良い感じだけど…
百代はさっと周りを見回し、蘭子の鏡台の上に置いてある髪飾りに目をつけた。
蘭子のやつだから、派手なのばっかりだけど…
唯一、愛美に似合いそうなおとなしいデザインのリボン形の髪飾りを取り上げ、百代は愛美に断りもせず、ぱちんとつけてやった。
うん、とっても良い感じだ。
「これでいいわ」
もの問いたそうな愛美の背中を、百代はなだめるようにトントンと叩いた。
「蘭子も白黒はっきりつけられないんだよ。愛美もそういう気持ち、思い当たるでしょ?」
愛美は少し考え込んでから頷く。
「ほら、愛美、これ持って。行くよん」
渋る愛美にバッグを持たせ、自分もビーズのバッグを手にすると、百代は愛美を押すようにして部屋から出た。
ちょっとドキドキしてきた。
少人数のちっちゃなパーティだけど、パーティは、パーティ。
三次はどんな服装でやってきているのだろうか?
黒いシックなスーツが彼には一番似合うだろうけど…
愛美と歩き続けながら、百代は自分の桃色のドレスを見下ろした。
あぁあ、やっぱし、黒だったら良かったのに…
黒のシックなドレス、クリスマスにでも、パパにねだって買ってもらおうかな。
プチ無念を抱え、百代はパーティ会場となる部屋の入り口に歩み寄っていったのだった。
|
|