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目が合った瞬間、さっと視線を外した櫻井に、百代はにやついた。
櫻井ときたら、現実社会では怖れるものは何もなしってなやつなのに…ほんと、霊的なものとか超常現象とかに、とことん弱いんだよね。
巷の噂に踊らされてるってか…まあ、いまの櫻井の反応は、巷の噂のせいだけじゃないんだが…
やつは、百代を怖れている。そして、自分が百代を怖れていることを自分に認めまいとしている。男の沽券に関わるから。
ふっ。
百代が鼻で笑ったとき、恐る恐るというように、櫻井はゆっくりとこちらに視線を戻してきた。
百代はやつに向けて、へらりんと笑って見せた。
どれほど気味が悪かったというのか、櫻井はその場でぴこんと跳ねた。そして、その反応を隠蔽しようとしてか、ジタバタって感じで身体を動かす。変だった。
櫻井の周りにいる男連中が、なんだ?ってな視線をやつに向けたが、櫻井は、「なんでもねぇよ」と邪険に言い、すべてなかったことにした。
面白くはある。だが、面白くない。
わたしの何が、そんなに普通じゃなく見えるってんだ。
ちょっとばかし、見えないものに敏感なだけの、ごく普通の女の子なのにさ。
とはいっても、今回は、彼女が目的達成のために、わざと櫻井の恐怖を煽ってるわけなんだけど…
慶介はちゃんと依頼を果たしてくれたらしい。
どんな話をしたのか詳細はわからないが、百代が超常現象を起こしかねない、能力者であるかのような話を真実のように話したはずなのだ。
休み時間になり、蘭子と愛美はお手洗いに行ったばかり。少なくとも五分は戻らない。
さて、行くとするか。
百代は、まっすぐに櫻井に歩み寄っていった。
ツカツカと歩み寄ってくる百代に気づいた櫻井は、ぎゅっと眉を寄せ「ちょっと、トイレ行ってくるわ」と仲間に告げ、そそくさとその場から逃げた。
百代は逃すまいと、素早く追いかけた。
駆け足でトイレに向かっていたわけじゃない櫻井は、なんなく捕まった。
もちろん、思い切り肩を掴んでやった。
「櫻井、ちょっと話がしたいんだけど」
「は、話? なんのだ?」
ぎょっとしてる。ぎょっとしてる。
愉快がっていると、数メートル先の廊下に、慶介の姿があるのに気づいた。
あ、あいつめ、面白い見物を逃すまいと、出てきてたな。
ずいぶんと、すかした顔で立っている。
まあいい、いまのターゲットは櫻井だ。
「学園祭の撮影会のこと」
ストレートに言った百代に、櫻井は怪訝な顔をする。
「それが?」
都合よく、声が届く距離には、慶介よりほかに生徒はいない。
「どうしてかわかんないんだけど、ぱっとひらめいたのよ」
「ひらめいた?」
さらに怪訝さが増す。
「うん。なんでか愛美が、クリスティーになってるのよ」
櫻井の表情が激変した。
慶介から、すでに情報は仕入れ済み。
こいつは、人気ゲームの僧侶であるクリスティーが大のお気に入りらしいのだ。
「ク、クリスティー、早瀬川がかよ」
「うん。そっくりだったんだよぉ。そいでさあ、考えたらもうすぐコスプレ撮影会があるじゃん。愛美を出したら一番人気だろうって思ったらさ、どうしても実物を見てみたくなっちゃって」
「お、おう、そうか」
櫻井の目が泳ぎ始めた。
愛美とクリスティーを、脳内で合体させようとしているんだろう。
慶介はと見ると、壁にもたれるようにして立ち、櫻井に自分の存在を悟られぬように気配を消している。
悟り坊主め…やはり、やりおる。
百代は、櫻井に意識を戻した。
「この話、どこの部に持ちかけてもよかったんだけどさ…あんたんとこの報道部が主催なわけだし、まず一番に声をかけてみたわけよ。もう今年のモデルが決まってるってんなら、ほかあたるからいいんだけど…」
「いや、まだ。そうか、早瀬川…いいかもしれないな。その…桂崎」
「なあに?」
「ひらめいたってことだが…そんなに似てたか?」
「ああ、愛美とクリスティー? そりゃあもう、そっくり瓜二つってほどだったよ。写真撮れるもんなら撮りたかったって、マジで」
「そうか。…その話、他の部には回さないでくれよ。早瀬川には、報道部でやってもらいたい」
「いいよ。だけどさ、現実に向けて、ひとつだけやっかいな問題があるんだよね」
「やっかいな問題?」
「そう。愛美に引き受けさせるっていう難題。あんたさ、情熱を持って、愛美を誘ってよ」
「お、俺が?」
「あんたがよ。わたしからばっかりモデルやれやれって言ったところで、あの控えめな性格の愛美が応じるとはあんたも思わないでしょ? ここはあんたとわたしがタッグを組んで、夢の実現のために力を合わせようじゃないかと、こういうわけよ」
そろそろ五分が過ぎてしまう。百代はちょいとトイレの方を気にしつつ早口に話した。
「よし、わかった」
櫻井は覚悟を決めたように言う。
おっ、やったね。
「詳しい相談したいし、今夜にでも電話させてもらうね。そいじゃ、よろしくぅ」
百代はそう言うと、即座に教室に駆け戻った。
背を向ける直前、百代は慶介を確認したが、やつはすでに自分の教室に入るところだった。
しかし、これで第一段階はクリア。
息切れも収まりかけてきたところで、愛美と蘭子のふたりが戻ってきた。
百代はふたりに向けて、にこやかに手を振ったのだった。
家に戻った百代が、着替えを終え、さあこれから母の手作りおやつをというタイミングで、悟り坊主がやってきた。
まったく、このタイミングのよさには、毎度呆れる、腹が立つ。
だが、櫻井の情報をたっぷりといただいた上に、協力させているのだから、おやつを半分取られても文句が言えない。
「んで?」
おやつを口に頬張り、慶介が聞いてきた。
やつの太腿の上には、今日買ってきたばかりの新作コミックが開かれている。
「うん。慶介のおかげ。ありがとね」
百代もコミックの一冊を読みながら答える。
「引き受けさせられると思うか?」
愛美にということだ。
「まあ、色々と好条件が揃ってるし…蘭子のためと聞けば、どんなにいやでもやってくれるよ」
「まったく、いい子だな」
「うん。しあわせになってほしいよ」
「何かあるのか?」
百代の声の響きに、何かありと感じたらしい。
コミックから顔を上げて慶介を見つめた百代だが、やつはこちらには顔を向けずにコミックを注視している。
百代は苦笑した。
「でも、うまくゆくと思うよ。愛美が逃げなかったらだけど…」
「ふむ」
「危ぶまれる?」
「うん。でも…お前がついてるから、彼女は大丈夫だな」
「そ、そう?」
「おお。それで、櫻井のほうはどうだい? なんなら、もっと怖れさせるか?」
慶介は今度は顔を上げ、勢いよく言ってきた。怖れさせるのが楽しいらしい。
「慶介のおかげで、すでにかなり怖れられちゃってるけどねぇ…でも、わたしを怖れてくれることで、櫻井はかなり扱いやすくなるからねぇ」
「普通にいったんじゃ、太刀打ちできる男じゃないからな」
「だよね。そういうとこが、蘭子にお似合いなんだけど」
「あのふたり、お互い気づいてないけど、波長ぴったりだもんな」
くすくす笑いながら慶介が言い、百代も頷きながらあははと笑った。
今夜の電話で、櫻井には色々と忠告しとかないと。
コスプレ衣装を着ての撮影会だということは、絶対に愛美に悟られないようにしたほうがいいだろうし…。
愛美は四月に転入してきて、昨年の学園祭を知らないのがありがたい。
あと、愛美がモデルをやることは、蘭子には内緒ってことにしよう。
蘭子には、櫻井と愛美が急接近したように見えて、気を揉むに違いない。
なるべく百代も、ふたりに関わらないようにしたいもんだが…せめて最初のうちだけでも…
教室に入った百代は、すぐに愛美の姿を探した。だが、どこにもいない。
蘭子がやってくるのはもうちょっと後だが、愛美はこの時間、絶対にいるのに…
暇つぶしに授業の予習なんてものをしていたところに、ようやく愛美がやってきた。
「愛美ぃ」
百代は手を上げて声をかけた。
「百ちゃん、おはよう」
何かあったのか、どこか顔が冴えない感じだ。なのに、それを気づかれまいとしてか、無理して笑みを浮かべる。
百代を気遣っているように思えた。
とすると…櫻井かな?
「いつもより遅いじゃん」
「あ、うん」
「なんかあったね?」
わかるぞぉという含みを持たせて言ってみる。
「な、何も……」
「で、何があったの?」
愛美は百代の顔をじっと見るばかりで何も言わない。だが、その唇が微かに動く。
やっぱり櫻井、すでに愛美にアタックしたようだ。もちろん、撮影会のことを頼んだのだろう。
やつときたら、やること早いな。
百代は黙ったままの愛美に、話を向けてみた。
「櫻井、何か言ってきた?」
「えっ? ど、どうして……」
「いま、櫻井って名前、口にしたじゃん」
「く、口にした? ほんと?」
「うん。唇が動いたよ。それで、櫻井、なんだって? ていうかさ……。だいたい予想ついてるんだけどね」
百代はにやっと笑った。
いったい櫻井、どんな風に頼み込んだのだろうか?
「百ちゃん、どういうこと?」
「ほら、話したじゃない。例の作戦よ。昨日の夜、やつに電話したんだ」
愛美が眉を上げる。
「ちょっとさ、どきまぎするようなこと言ってやったから」
くすくす笑いながら話していると、ドアのところにその櫻井が姿を見せる。
「わたしのこと、そうとうに恐れてるはずなんだ」
櫻井がこちらに向いたのを確認し、百代はやつに向けて、わざと「けへへ」と気味悪く笑ってやった。
仰天したらしい櫻井は、足元をもつらせたようにひっくり返った。
ゴンガンとドアと床にぶつかった音が教室に響き渡る。
おっと、これはさすがに冗談が過ぎたらしい。
昨日の電話の最後にも、調子こいて、悪い冗談付け加えちゃったしなぁ。
だってさ…櫻井がマジでびびるから面白くて…
「百ちゃん、櫻井君に何を言ったの? 彼、ひどく怖がってたわよ」
ちょっとばかし、良心に疼きを感じていると、愛美が責めるように言ってきた。
「そうでなくっちゃ。まず第一作戦は成功のようね」
「作戦って、なんなの?」
蘭子と櫻井くっつけ作戦だってこと、愛美に話さないといけないな。
「今日の帰りに…そうだ。明日、土曜日で休みだし、予定ないんなら、愛美、うちにおいでよ」
「あ、うん…」
頷く愛美の様子を窺ったが、撮影会のモデルを頼まれたなんて話は最後まで出てこなかった。
愛美と櫻井、話はしたようなのに…
やつときたら、俺、桂崎が怖いんだよぉなんて話を愛美にしたってのか?
まさかね…
しかし、櫻井ときたら、肝心な話をしないなんて…役に立たないったら…
百代は不服顔で、櫻井の席に視線を向けた。
櫻井は百代をちらちら見ていたらしい。
ぎょっとした櫻井なんぞ無視し、百代はそっけなく視線を外した。
その行為が、櫻井のナイーブなハートをブスリと刺したとも知らず。
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