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お買いものついでにお風呂に入るだって?
満足するだけ笑った百代は、愛美の頭を小突いた。
「あんたは、コントのボケ担当かっての」
小突かれた愛美は、むっとして睨んでくる。
相も変わらず、可愛いねぇ。
「スーパー銭湯ってのは、サウナとか岩盤浴とか、ともかくいろんな設備があるお風呂屋さんのことだよ」
百代の説明を聞いて、ようやく理解できたらしい愛美は、頬を桃色に染めた。そして、もじもじしながら、百代の視線を避けつつ口を開く。
「ス、スーパーって聞いたら、誰だって……その、食料品とか売ってるお店、思い浮かべると思うけど……」
しどろもどろに言う。
「へいへい」
百代は笑いながら愛美の背中を叩いた。愛美はさらにむっとしたようだ。
「そんじゃ、今度さぁ、蘭子も誘って……」
スーパー銭湯に行こうと言いかけた百代の脳裏に、藤堂家の豪華な風呂が浮かぶ。
「考えたらスーパー銭湯なんぞ行くより、藤堂家のお風呂に入らせてもらったほうがいいよね。あの家の風呂は、スーパー銭湯なんぞ比べ物にならないくらい、色々取り揃ってるもん」
贅沢には、金に糸目をつけない蘭子の両親だからなぁ。
「先に部屋に行っといて。おやつ持ってくからさ」
キッチンに足を向けながら、百代は言った。
「わたしも手伝うわ」
「お客様にそんなことさせられないよぉ。それに持ってくのは、お盆ひとつだし」
キッチンに入った百代は、お茶の用意を始めた。
ヤカンを火にかけ、お湯が沸くのをひたすら待つだけだ。
母親お気に入りのポットはすでに出しておいたし、カップもふたつ。
ハーブティーもブレンド済みだし、大きなお皿に山盛りのお菓子。
愛美が来るってんで、昨日学校から帰って母親と買い物にゆき、お菓子を買ってもらったのだ。
いつもだと、母のがまぐちの口はなかなかゆるまないのだが、愛美が遊びに来ると聞いて、いつもの三倍はゆるかった。
ふふん。
贅沢チョコ粒入りクッキーを取り上げた百代は、さっそくひとついただくことにした。
お湯が沸くのを待つ自分へのお駄賃だ。
結局、お駄賃はクッキー二種類に、おせんべいひとつ、そしてイチゴチョコ一個まで加算された。
ようやくお湯が沸き、ハーブティーを淹れる。
ポットにカバーをかけた百代は、トレーを抱えようとしていったん手を止め、大きなバタークッキーを口に放り込んでから、トレーを取り上げた。
階段を上がるのに、山盛りお菓子が雪崩を起こしそうになり、百代はクッキーをむしゃむしゃやりながら、一足一足、ゆっくりと上がっていった。
愛美にドアを開けてもらおうと思ったが、部屋の中から話し声が聞こえてくる。
誰かと話しているようだ。携帯で電話しているんだろう。
蘭子のように大声で語る愛美ではない。
ドアも閉じているから、話しているとわかるだけで、何を話しているのかまではわからない。
邪魔しちゃ悪いなと思い、しばらく待ったが、終わる気配がない。
長くなりそうだな。
どうしようかと思ったが、百代はいったん床にトレーを置き、ドアを開けた。
携帯をぎゅっと握りしめるようにして耳に当てている愛美は、相手の言葉に集中しているらしく、部屋に入ってきた百代にまるで気づかないようだ。
声をかけようかと思ったが、なんとなくためらわれ、テーブルにトレーを置き、愛美の左側に座り込む。
まだ気づかない。
お菓子の山をテーブルの中央に置き、ポットカバーを外し、ハーブティーをカップに注ぐ。
愛美の前にカップを置いた百代は、自分の存在にまるで気づかない友に呆れつつ、カップを口に運んだ。
しかし…これほど必死に携帯に耳を傾けているひとを、はじめて見たかも。
彼の言葉の一音すら、聞き漏らすまいとしているかのようだ。
愛美が振り向く気配に、百代はさっと視線をそらし、ハーブティーを口に含んだ。
ぷくくっ。
愛美ってば、大きな目玉をかっぴらいて、ぎょっとしてるよ。
夢中になってた通話の方も、驚きが過ぎたために完璧に頭から飛んだようで、お留守になっちゃってる。
『まな?』
微かに電話の相手の声が聞こえた。
ほほおっ。なんとも品の良い、やさしい声じゃないか。
その声だけで、百代の脳裏に、愛美の彼氏のイメージがリアルに浮かぶ。
歳の頃は二十七、八…背がすっと高くて…やさしい笑みを浮かべるひと。
うんうん。愛美にぴったりこんな相手だ。
ちょっと大人すぎる感じもするけど…それでもまあ、許容範囲かな。
「は……い」
愛美は呆けたような返事をした。当然だろうが、相手は不審に思ったようだ。
『どうかしたんですか?』と言っているのが聞こえた。
「いえ…百ちゃん…友達が、部屋に戻って…」
『あ、そうでしたか。それでは、もう通話を終えましょう。またかけます』
あらら。別にわたしに遠慮して切らなくたっていいのに…。
「い、いつ?」
愛美は急くように尋ねた。
声に含まれている哀しさの度合いが気にかかる。
こりゃあ、かなりの重症だね。
『貴方が大丈夫なら、明日の朝七時くらいに…貴方の時間は、夜の九時くらいだと思いますが…構いませんか?』
ふーむ。相手の声には、かなりの余裕があるように聞こえるが…
そうでもないか…
「はい。もちろん大丈夫です」
『それでは、その時に』
「は、はい……おやすみなさい」
『ありがとう。おやすみなさい……まな』
そっか、愛美の彼、愛美のことまなって読んでんだ。
しかし、とんでもなく甘くてやさしい呼びかけで、こっちが照れちゃうよ。
目元のやさしい男性の顔が浮かぶ。愛美にメロメロなんだろう。
実は愛美が高校生だったと相手が知り、気持ちや態度に変化がおきるのではと、ちょっぴり気にかかったりもしていたが…
このふたり、大丈夫そうだ。
カップをテーブルに置いた百代は、愛美がもじもじしているのに気付き、顔を向けた。
「お茶飲んだら?」
物凄く気まずそうに愛美は笑みを浮かべて見せる。
「あ……ありがと」
恥かしくてならないらしい。別に気にすることないのに…
「ハーブティーよ。カモミール、リンデンフラワー、レモンバーベナ、フェンネル、オートストロー、スカルキャップ、カレンデュラ。このお茶は、精神を落ち着かせてくれるよ」
「うん、そ、そうなんだ」
愛美は照れながら答え、カップを持ち上げた。
深々と香りを嗅いでから、ゆっくりと口に含む。
百代は首を傾げた。愛美が息を吐き出した途端、なんでか空気がおかしい…
「澱んでるわ」
思わず口にし、「え?」と小さく叫んだ愛美に、百代はハーブティーをもっと飲むように勧めた。
「あ、うん」
愛美は素直にハーブティーを飲む。
彼との語らいで、楽しい時間を過ごしたばかりなのに…この澱みは、愛美から出たもの。
いったいどうしたことなのだろう?
「も、百ちゃん」
急に何か思い出したかのように、愛美は性急に呼びかけてきた。
「うん、何?」
「わたし、見たの。あれって、ほんとじゃないわよね?」
眉を寄せて問いただしてくる。
何を言ってるのかさっぱり意味がわからない百代も眉を寄せた。
「はあ? いったい何のことよ?」
まったく、愛美ときたら、わたしが語らずともなんでもわかると思ってんだから、呆れるよ。
クッキーを手に取り、百代はぱくりと口に頬張った。
「み、見えたの。電話がかかってくる直前に、あの……」
見えた?
「ゆ……優誠さんが……」
百代はきゅっと眉を寄せた。いま、この子、なんて?
彼女は首を回し、愛美に顔を向けた。
眉を寄せた百代は、身体ごと愛美に向き直った。
「優誠?」
「あ、うん」
戸惑ったように愛美は頷く。
百代は唖然とした。
優誠なんて名前のひと、他に思いつけないのだが…け、けど…
「優誠って……不破優誠?」
「そ、そう……だけど」
百代が驚いていることに、愛美はびっくりしているようだ。
目をパチパチさせて肯定する。
不破優誠だったのか…この友の相手は…
あの……あの……あの……
百代の脳裏に、一度だけ見たことのある不破優誠の姿が浮かぶ。
微笑むことなどけしてない男……その名も、氷の王子。
あ、あのやさしい語りかけが、あの氷の王子だったというのか?
マ、マ、マジで?
愛美のことを、まなって言ってたよ。
あの声には、欠片ほどの冷たさも感じなかった。それどころか…
(ありがとう。おやすみなさい……まな)
あの甘くてやさしい呼びかけが…こっちが、照れちゃうようなあの声が…
ふらりとめまいがした。
頭の中で、氷の王子不破優誠に、いまの台詞を語らせてみようと思うが、頭が拒絶し、無理だった。
困惑して百代を見つめている愛美に、彼女は目を向けた。
「あんた」
「は、はい?」
「とんでもないのに見初められてんじゃん」
きょとんとしている愛美の表情に苛立ちが湧き、百代は思わず大声で叫んだのだった。
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