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バスを降りた百代は、我が家を目指して一目散に駆けだした。
待ち望んでいる荷物は、今日、間違いなく届くはず。
少し息を弾ませ、門を勢いよく開け放ち、百代は玄関まで飛んでゆき呼び鈴を押した。
一秒、二秒、三秒…
「もおっ、ママ遅いよぉ」
一秒の長さが普段の十倍ほどに感じられ、ついつい口の中から文句が飛び出る。
足踏みして、出迎えてくれるのをひたすら待つこと、一分弱、ようやくドアの向こう側に母の気配を感じた。
「ママ、荷物届いたぁ?」
鍵を開けている音を耳にしつつ、百代は待ちきれずに叫んだ。
「なあに、モモったら、家に帰ったら、なにはさておき、ただいまの挨拶でしょ?」
顔を見せた母は、行儀の悪い娘に、決まりきった小言を食らわせる。
「わたしゃいま、そんなのったら気分じゃないんだよ。で、荷物は?」
「届いてないわよ」
その言葉は百代を面食らわせた。
荷物は今日の午前中には届くはずだったのに…
「はあっ? な、なんで?」
「なんでって、届いてないものは届いてないわよ」
「えーーっ。届いてると思ってたのにぃ…今日には絶対に届くはずなんだよ」
もしや、この母…
待ちに待った荷物が届くはずだから、申し訳ないけど、留守にせずに受け取っといてねと、頭を下げて頼んでおいたのに…
「マ、ママ。今日、出かけたんでしょう? 留守の間に…」
「配達の通知は、入ってなかったもの」
自分に非は無しと言わんばかりの母を、百代はむっとして睨んだ。
「留守の間に来たに決まってるよ。せっかく楽しみにしてたのに、今日中に再配達してくれなかったら、また明日なんてことになっちゃうじゃんか」
「もおっ、女の子がそんな口きかないの」
「腹立ってるから、こんな口のききかたになっちゃうんじゃん。ママも、自分の非を素直に認める…」
「桂崎さん、お荷物で~す。ハンコお願いします」
背後から声が聞こえ、一瞬喜んだ百代だが、その声の主は、慶介だと気付いて顔をしかめた。
「慶坊、宅配便の配達員装うなんて、悪趣…」
くるりと後ろに振り返りざま、文句を言った百代は、鼻先に大きな段ボールを突き出され、顔面衝突した。
「いだっ!」
「あら、慶介君、その荷物?」
「おばさん、留守んとき来たって、こいつ、お袋が預かってました」
百代は、瞳をキラキラさせて、荷物をがしっと両手で掴んだ。
「おおっ。慶介。サンキュー」
目的の品を手にし、百代は上機嫌で慶介にお礼を言った。
「慶介君、おやつ食べてくでしょ?」
すでにキッチンに歩んでゆきながら、母は慶介に聞く。
「嬉しいなぁ。おばさん、いつもありがとさんです」
荷物を抱えている百代の脇をすり抜け、慶介はにこにこ顔で靴を脱ぎ、先に上がり込む。
「お、おいおい、この礼儀知らずめ。レディファーストという言葉を、おぬしは知らんのか?」
頬を膨らませた百代は、慶介の背中に怒鳴りつけた。
「おぬしだなんて言葉を使っている野郎を、レディと認めろと?」
こなまいきな慶介は振り返りもせずに言い、スタスタと居間に向かう。
「ガラの悪いレディだって、いても悪かないはずだよ」
荷物を抱えた百代は、いけしゃあしゃあと言い、荷物を置きにひとまず自分の部屋に向かった。
「ふっふんふん」
リズムをつけて頭を左右に振りながら、百代はおやつのチョコレートムースを口に入れた。
「うん、うまい、うまい」
母は夕食の支度に取りかかり、いまは居間に慶介とふたりきりだ。
今日の慶介は、分厚い本に夢中になっている。
この本は、百代の父の持ち物だ。慶介は食わず嫌いせず、どんなジャンルのものでも読む。速読という才能も開花しており、一冊を瞬く間に読んでしまう。
もちろん、書物によっては、時間をかけてじっくりと味わうように読んだりもしてる。けど、コミックを読むのは、百代と大差ない。
ちょっと不思議に思うけど、慶介の頭は、文字だけのほうが情報を容易に受け取れるらしい。
「楽しそうだな」
ページを繰りながら慶介が話しかけてきた。
「まあね。予想した障害は目の前に立ちはだかってるけど、楽しいよ」
「楽しみ過ぎだな。だが、楽しんでるんだから悪くない」
その慶介の言葉は、ひどく心にひっかかり、百代は眉をひそめて彼を見つめた。
「なに? 楽しみ過ぎ?」
「クリスティーの衣装なんだろ?」
慶介は、先ほどの荷物のことを聞いているのだ。
「まあそう」
「楽しいんだろうから…楽しむことを悪いとは言わん。が…口うるさく思うだろうが…思考の半分は冷静でいろよ」
「冷静でいるつもりだけど…そうじゃないとでも?」
むっとして言った百代だったが、腹立つことに慶介はまるで相手にしてくれない。
「ところで、早瀬川の相手、誰だかわかったんだろ?」
「な、なんで?」
「すっきりしてる以上に、百っぺ、軽いからさ。で、なんでこっちは、コスプレ撮影会の障害にならない?」
「海外出張中だからよ。帰ってきたときには、すでにすべてが終わってるよ」
「普通に考えれば…早瀬川には荷が重そうな相手だが…」
「確かに、びっくり仰天するくらいの大物だったよ」
「ふむ。不破優誠氏か、保志宮輝柾氏か?」
なんなく口にした慶介に、さすがの百代もびっくりした。
「な、なんで?」
「百っぺから得たすべての情報を考慮し、早瀬川の相手としてお前が認める人物を考えたら、このふたりが思い浮かんだ」
やはり、この悟り坊主、驚くべきやつだ。
「どっちだと思うわけ?」
にやにやしながら百代は問いかけた。
「そうだな。保志宮輝柾氏のほうが、無理がない」
「無理がない…か」
「不破優誠氏は…」
口にしていた慶介は、なぜだか急に言葉を止めた。
「慶介?」
「ああ。いいんだ。藤堂の姉さん、橙子さんだったよな?」
「う、うん。…急になんで?」
そう言った瞬間、百代ははっとして、目を見開いた。
すっかり忘れていたことが、物凄く色濃く浮かび上がってきた。
「そ、そうだった…」
百代はひとり言のように呟いた。
蘭子の姉の橙子。
藤堂家が、あの華やかなパーティを開いた目的。それは橙子の結婚相手を選ぶためだった。
そうだよ。わたしってば、どうして忘れてんだ?
蘭子はこう言った。姉には意中のひとがいる。その相手の男性は、他を圧する家柄の御曹司。
そして、あのパーティ会場で耳にした、噂話。
それによると、不破優誠と橙子が結婚すると…
あの噂話は、真実だったのか?
けど、氷の王子こと、不破優誠は、確かに愛美と…
てことは、蘭子が信じ込んでいる橙子と不破優誠カップルは現実とはならない。
百代の頭の中で、橙子と氷の王子はしっくり馴染まないし…
しかし、思い出せてよかった。
思い出させてくれたのは…認めたくないが、慶介とのいまの問答。
「ちょっと慶介。あんたのせいで、やっかいな可能性が浮上しちゃったじゃん」
お礼をいうべきだが、つい文句が飛び出る。
だが、慶介は腹も立てずに、こくりと頷く。
「そりゃ、よかった。現状を知ることは、未来を予想しやすいし、変換させる手段も手に入れやすい」
蘭子が結ばれて当然と考えている橙子の相手、それが不破優誠なのか、はっきりさせといたほうがよさそうだ。
悟り坊主の言うとおり、現状を知ることで、必要な作戦を立てられる。
『はい。百代、何か用事?』
蘭子らしくない弾みのない返事に、百代は元気よく、携帯に向けて「ヤッホイ」と、答えた。
櫻井のことが心にひっかかっているらしく、蘭子は元気がない。
「あのさぁ、ちょっと気になることが浮上してさぁ。どうしても聞きたくなっちゃってね」
『気になること? いったいなに?』
訝しげな声で言われ、百代は顔が見えてないにも関わらず、誤魔化すような笑みを浮かべてしまう。
「参加させてもらった、パーティのことなんだけどさ」
『パー…あ、ああ。あのパーティね。それが?』
「あの日さぁ、超大物が招待されてたってこと、いまになって思い出してさ。それはいったい誰だったんだろうって思ったら、どうにも気になっちゃってね」
『ああ。わたし、話したんだったかしら…?』
「うん、聞かせてもらったよ」
『そう。実は、あなたたちと入れ替わるようにして、おいでになったのよ』
そうなんだろう。だから、百代は会わなかったのだ。
「そんで、それは誰だったの?」
『ふふ。聞いて驚きなさい』
蘭子ときたら、彼女らしいというか、嬉しげに高飛車に言う。
「驚かせてもらうよ。んで? 誰だったの?」
その答えは、すでにわかっているせいで、ドキドキする。
保志宮氏は、愛美のお相手になったのだから、保志宮氏ではありえない。つまり、不破優誠である可能性が強力。
そして、不破優誠だと知ってしまったら、やっかいなことになるわけで…わたしゃ、もれなく大変になるってことなのだ。
『藤城トウキよ』
へっ? へいっ?
不破優誠という名だけを待っていた百代は、ぽかんとした。
「藤城?」
『そう。俳優のね』
「ふ、藤城トウキが来たっての? あ、あのパーティに」
驚き桃の木だよ。藤城トウキがきたってんなら、そりゃぁもう、百代だって会ってみたかったし。
「蘭子ってば、なんで教えといてくれないのよ。それなら、八時半まで帰るの待ったのにさ」
『ご招待はしていたけど、いらっしゃるかどうか、とても微妙だったの。派手に自慢してて、もし来てくださらなかったら、恥かしいじゃない』
まあ、蘭子や藤堂夫妻ならそうだろう。
おおっぴらに話して自慢したいけど、来ることが絶対ではなければ、体面が保てない。だから、口には出さなかったのだ。
『映画監督の久野監督と、奥様もお見えになったのよ。すぐに帰ってしまわれたけど』
なんとも、ほへーっだ。
驚きとともに感心してしまった百代だが、本来の目的を思い出し、気持ちを切り替えた。
「あのさぁ。久野監督さんやトウキがってのもびっくりしたけど…橙子さんのお相手のこと、あの日、噂話を耳にしたんだ。なんか、相手は不破優誠だとかって…」
『百代、優兄様のこと、そんなふうに呼び捨てにしないでちょうだい』
そうか…やっぱり、不破優誠だったらしい。
「あのさあ、橙子さん、彼が好きなの?」
『まあね。お互いに好意を抱いているわ。時々デートにもでかけているようだし…まあ、優兄様、お忙しいひとだから、なかなかなんだけど…。けどね、もう結納に向けて両家が動いているの。だから、婚約なさる日は近いはずよ』
百代は顔をしかめた。
どうやら、ことは蘭子の思い込みだけにとどまらないらしい。
互いの家が、ふたりの結婚を望んで動いているのだ。
なんてこった。そうなると、愛美は…?
百代は、脳裏に氷の王子を思い浮かべた。
そして愛美から聞いた不破優誠。
あまりに違う。けど…愛美が接している不破優誠が真実だ。
百代は、安堵が湧き、ふっと笑みを浮かべた。
まだ直接会ったことはないけれど、不破優誠は、親のいいなりになるような玉じゃない。
それだけは確かなこと。
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