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「それじゃ、ごきげんよう」
鼻をつんと逸らして、帰りの挨拶を口にした蘭子は、優雅な身のこなしで背を向け、廊下を歩み去ってゆく。
その後姿を見つめ、百代は苦々しさに、口をむにょむにょとうごめかした。
「駄目…だね」
百代は自分の隣に立ち、そんな台詞を吐きながら、蘭子を見送っている愛美に顔を向けた。
この子ときたら、胸の中に湧いているこの苦々しさに、さらにスパイスを足してくるとは。
「事態は悪くないよ。あの態度は、企てが強烈に効いてる証拠だかんね」
負けん気を出して、百代は力強く言ってやった。
ここで愛美と一緒に肩を落としては、状況は悪いほうへ進む。
「だって…蘭ちゃんも仲間に引き込むはずだったのに…」
「まあね」
どうやら、効き目がありすぎたというか…やりすぎてしまったらしい。
蘭子は、愛美と櫻井が完全に両思いだと思い込んでしまっている。
やりすぎくらいやってやったほうが、櫻井への思いを、蘭子は自分に否定できなくなると思ったんだが…
まあ、実際、その点については、作戦は成功してるのだ。
だからこそ、蘭子はどんなに強固に仲間に引きずり込もうとしても、拒んでくるのだ。
この拒みが、櫻井への思慕を知られてしまう結果になるとわかっていても、蘭子は、櫻井と愛美が一緒にいるところを見ていられないのだから。
正直、いまの蘭子を見てると、可哀想で、真実を告げてほっとさせてやりたくてならない。
だが、ここはぐっと我慢だ。一番いいタイミングは、まだこれからやってくる。
胸が疼いてならないけど、いまはその時を待とう。
「準備のほう、本当に大丈夫なんだな? 明日もう本番だぞ」
気難しい顔で櫻井が問い詰めるように聞いてくる。
最終の打ち合わせで、愛美とふたり、報道部の部室にいる。
部室にいるのは、三人だけだ。
報道部の他のメンバーは、明日の準備に大わらわでこの場にはいない。
櫻井も、百代たちとの打ち合わせが終わったら、撮影会場の準備に行くはずだ。
「ちゃんとわかってるよ。準備はオッケーだって」
化粧品の代金も、半額払ってくれるというし、もうこちらから話すことは話し終えた。
「さーて、愛美、帰ろっか?」
「う、うん」
愛美はたちあがったものの、ずいぶんと覇気のない返事をする。
まあ、それも仕方がない。蘭子のことも気にしてるんだし、明日のことも気になってならないのだろうから。
ふたりが立ち上がったところで、向かい側に座っている櫻井がため息をついた。
不安そうな顔で、眉間を寄せている。
「櫻井、どったのよ? まだ心配なの?」
「だってよ。お前、全部自分ひとりで準備しちまって…経過報告もなかなかしてくれないし…」
蘭子がいたなら、もっと櫻井を準備に引き込んだんだけど…蘭子が不参加なままじゃ、その必要もないんだもんなぁ。
「まあ、明日を楽しみにしてなさいって」
百代は、愛美と違って明日の撮影会が楽しみで堪らない。
愛美をどれだけクリスティーに似せられるだろうか? それは百代の腕次第だ。
「わかったけど…なあ、衣装もちゃんと合わせたんだろうな?」
その櫻井の言葉に、愛美が百代に視線を向けてきた。その視線を受けて、百代はにっと笑う。
衣装に関しては、さすがにちょっと不安がないでもなかったりする。
愛美のこの大きな胸が、あの衣装にきっちりと納まるのか?
むむむ…
「な、なに? 百ちゃん」
自分の胸を友達に凝視され、愛美は焦ったように両手で胸を隠す。
なんでか、櫻井が真っ赤になってるし…
櫻井は百代の視線を食らい、真っ赤になっている顔を気まずそうにそらした。
こいつも一般男子なんだねぇ。
大きくて美味しそうな胸には弱いらしい。
こりゃあ、明日は、櫻井大変かも。むっふっふ。
「なあ、ほんとうに早瀬川だって、わからないように化粧できるのか?」
モデルの名前は公表されるのだが、愛美だけは本名を公にせず、伏せることを条件に入れた。だから、愛美とわからぬように、別人に仕立て上げる必要があるのだ。
「細かい心配ばっかりしないの。クリスティーに関しては、このわたしに任せときなさいって」
蘭子と櫻井をくっつけることが一番の目的だが、やる以上は愛美をトップモデルにする。
本番の明日、なんとしてでも、愛美を本物のクリスティーに仕上げてやるのだ。
校門前で愛美と別れ、バス停に行くと、馴染みの顔がいた。
「慶介」
先に百代に気づいていた慶介は、無言で頷く。
「明日だな」
横に並ぶと、景色に目を向けながら慶介が言った。
「うん。準備は万端だよ。そういえば…慶介は何すんの?」
「俺は占い」
なんとも、占いとは…慶介にぴったりかも。
学園祭の花形イベントと言えるコスプレ撮影会担当になったから、クラスの出し物には、今回まったく参加していない。
「どんな占い? ねぇ、衣装とかも着たりする? 頭からマントかぶったりとかさ」
「へんな期待すんな。もちろん制服のままだ」
「なんだ。占い師らしい衣装着たほうが、雰囲気でるのに。で、慶介ひとりで占いするの?」
「まさか、もちろん、ほかにもいるさ」
「えーっ! ほかのみんなも、占いなんてもんできるの?」
「いいんだ。遊びなんだから。学園祭の即席占い師に、そこまでもとめやしない」
「でも、慶介の占いならあたるじゃん」
「あてない」
身も蓋もない言葉に、百代は吹き出した。
「しかし興味あるねぇ。ねぇ、明日お客で行くからさ、蘭子と櫻井の今後とか、占ってよぉ」
「あのふたりは意味ないな」
「どうして? うまくゆくから?」
「いや…未来が複雑すぎる」
「そっか…」
「だが、いい方向に向いているんじゃないか? お前らの頑張りで」
「そ、そう?」
慶介にそう言われると、すでに自分でもそう感じていたとしても、ほっとできる。
「明日…」
「え、明日が何?」
珍しく眉間を寄せ、難しい顔をしている慶介を見て、百代はちょっと気が張り詰めた。
「慶介?」
「うん、まあ…大丈夫そうだな…」
「いったい何を感じたっての?」
「何か…事が起こるみたいだな」
「ええっ、何が?」
はっきりした答えなどもらえないとわかっていながら、思わず聞いてしまう。
慶介は、肩をすくめた。
「俺、明日は必要そうな頃、お前らの近くにいるとするわ」
悟り坊主の慶介が、感じたことを言葉にするってのは、百代がそれと知っていた方がいいと判断したからだ。
「そうしてくれたら安心。慶介、ありがと」
慶介は百代の頭を、ぽんぽんと叩いてきた。
バスがやってくる音が聞こえ、百代は道の向こうに顔を向けた。
ありょ?
バスの前を走ってくる車…
フロントガラス越しに、百代は運転している三次と目を合わせた。
三次の視線は、一瞬慶介に向き、そして車は走り去っていった。
「蔵元三次…だったな」
慶介ときたら、動体視力ありすぎだ。
それに、名前まで知っているとは…
なんか面白くないってか、微妙に気恥ずかしいのはなんでだ?
バスに乗り込みながら、百代はふてくされた。
後方に空いている席を見つけ、慶介と並んで座る。
「慶介、蔵元さんのこと、知ってるんだ」
「自分が通っている学校の、経営者の跡取りだしな。それに…」
「あー、いいよいいよ」
百代は手を振って、慶介の言葉を制止した。
それに…のあとは、聞かずともわかる。
百代が三次と知り合いなのも、こいつはすでに御見通しなのだ。それでなければ、車で通り過ぎただけのひとの名前をわざわざ口にしたりしない。
「あんたさ、知らないことないの?」
「ある。知らないことの方が多い」
「ほんとにもおっ。どうしてあんたは、そうなのよ」
「こういう性格だから。それより…」
「な、何が言いたいのよ?」
「いい男だ。味もある」
「そう」
「そう」
同じ言葉を繰り返したふたりだが、百代の「そう」には焦りがあり、慶介の「そう」は笑いがあった。そのことが面白くない。
百代は、窓の外の流れゆく景色を眺めている慶介を横目で睨みつけた。
「おおっ。いいよ、いいよ、愛美ぃ。あんた最高だよ」
ついに学園祭当日。そしてコスプレ撮影会開始まで、あとちょっとだ。
クリスティーの衣装は愛美にぴったりこんだった。
胸ははち切れそうなほどだが、これでこそ、クリスティーなのだ。
愛美はそう思っていないようだけど…
自分の胸の谷間に視線を向け愛美は、百代の声も耳に入っていないのか、声を失っている。
はやり、ショックが強すぎたか…
「ま、な、み?」
百代は、愛美に軽い感じで呼びかけた。
愛美が不意に顔を上げてきて、その哀しげな顔に、ちょっと気まずさが湧く。
「なんか……何もかもが滅茶苦茶な気がしてならないんだけど……」
この衣装のこと、これからモデルをやらなければならないこと、そして蘭子と櫻井のこと、全部をひっくるめて言ってるんだろう。
「これで大丈夫だって。ほら、絡んでぐっちゃぐっちゃになった後で、事は丸く収まるって、相場が決まっておるのだよ」
空元気を出し、百代は明るく宣言した。
張り切らなきゃ、テンションが落ちる。
悪いことばかり考えてちゃ、悪い事態を引き寄せやすくなる。
慶介によると、なにやら…起こるようだし…いまは、そのことが一番気になる。
「もう、愛美ってば、なんて顔してんの」
考え込んだ様子で、暗い顔をしている愛美に目を向け、百代は言った。
「これ以上ないほど似合ってるって。こいつは、人気ゲームの僧侶のコスチュームなんだよ」
「僧侶?」
異議を唱えるように愛美が言う。
「百ちゃん、胸のところがこんなに開いてるのわかってて、わたしにわざと隠してたんでしょう?」
おっ! さすがに気づくか…
「そりゃあそうするしかないじゃん。愛美が嫌がるのわかってて、わざわざ教えたりしないよ」
「百ちゃん……」
哀しそうな呼びかけに、ちょいと良心が痛む。
「愛美の衣装はおとなしいもんだよ。ほら、周りの子の着てるもの見てごらんて」
百代の示す方向に視線を転じた愛美の瞳が、怒りに燃えた。
「あんなだったら、絶対着ないわ」
呟くように言った愛美の声は、かなり不穏な響きがあり、潜めた声だったのに百代はちびりそうになった。
「愛美の許容範囲はわかってるって」
ちびりそうになったなんて悟られぬように、わざとあっけらかんと言う。
百代は、残り時間を確認し、急いで愛美のメイクを始めた。
衣装は完璧。あとはメイクでいかにクリスティーに似せるかだ。
このコスプレ撮影会、モデルの部コンテストは、どれだけ本物に似ているかで勝負が決まるのだから。
メイク道具を手にした百代は、この最近で、一番真剣になったのだった。
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