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「なんか、凄いことになってそうだね。わたしの顔」
心配とあきらめの混じった愛美の言葉に、百代は笑った。
絶対に、愛美とわからないようにしなければならないのだ。
これでもかってほどの厚化粧を施した。ファンディションをたっぷり塗りたくり、アイラインで目の縁にしっかりラインを引いた。こいつが難しかった。
そして、まつ毛にマスカラをたっぷりつけ、先端に向けて細くなるように塗るのも、かなり難しかった。だが、それが終わったとき、愛美はクリスティーへと変身を遂げていた。
「愛美が言ったんじゃん。愛美だってわからないようにしてくれって。これくらい分厚くなくちゃ。でも、かなり似てきたよ」
実のところ、かなりどころでなく似ていると思う。
むふふっ。わたしって、ほんと器用だねぇ。
自分を絶賛し、満足してひとり頷く。
クリスティーの特徴をしっかり出せた。頭にあるクリスティーのまんま。
たぶん、並べてみても遜色ないんじゃないだろうか?
まあ、本物は二次元の住人だけど。
「似てきたって、誰に?」
いまさらそんなことを言う愛美に、ちょっと呆れてしまう。
「あんたのコスプレの主にだよ、もちろん。クリスティーっていうんだよ」
「そうなの」
拍子抜けするほど気のない返事をもらい、百代の肩は、自然とかくんと落ちる。
自分が扮するキャラに、もう少しくらい肩入れしてほしいもんなのに。
そしたら、精神的にも繋がって、もっとクリスティーらしくなれるのにさ。
愛美ときたら、まったく興味をもとうとしないんだから……
しっかし、クリスティーファンの櫻井にお披露目する瞬間が、いまから楽しみだよ。
あいつ、いったいどんな反応をするのやら。
「顔、見てみるんなら、はい、鏡」
百代は、手鏡を愛美に手渡した。
そして、立ち上がって伸びをしつつ、周りを観察する。
準備をしている控室は、コスプレ撮影会が行われる会場に近い、部屋。
愛美と同じモデルたちもこの部屋でお化粧している。
おかげで、わいわいがやがやと、ずいぶんにぎやかだ。
がっちり学園祭に同化してるってこの感じ、いいかも。
愛美がくすくす笑い出し、化粧道具を片付けようとしゃがみ込んだところだった百代は顔を上げた。
「どう? 感想は?」
「わたしじゃなくなっちゃったわ」
「でしょ。いまや愛美はクリスティーそのひとだよ。この化粧を落とすまでは、もう愛美じゃないの。そういう気持ちでモデルするといいよ」
「う……うん」
愛美は納得できない表情で、困ったように返事をし、疲れたようにため息を吐く。
どうやら、気を軽くしてやろうとして口にした言葉なのに、逆効果だったようだ。
これからモデルをするんだと意識させられたらしい。愛美はひどくテンションを落としてしまった。愛美の肩をトントンと叩き、百代は励まそうとした。
ここまで来てしまったのだ、もうすでに舞台に上がったも同然。
愛美は百代と目を合わせ、問うように見つめてくる。
ありゃ? テンションが落ちてんのは、モデルのことだけじゃないらしい。
蘭子のことを考えてるんだな。
結局蘭子は、最後の最後まで、いっさいコスプレ撮影会にかかわろうとせず、別行動。
もちろんお昼も一緒に食べてるし、校門までは一緒に帰ったりしてるけど……それだけだもんねぇ。蘭子はこれまでになく口数が少なくて、会話は弾まなかった。
本来なら三人して、高校最後の学園祭を楽しんだはずなんだよね。
そういう道も選べたのに…
蘭子と櫻井をくっつけることに重点を置くと、楽しい思い出作りを諦めなくちゃならなくて……
いやいや、弱気になっちゃいけない。
これは、蘭子の将来のための、最善の道なんだよ。
作戦は七割ほど失敗したかもしれないが、残りの三割くらいは大成功。
蘭子は櫻井を意識している自分を、しっかり認識したはずなのだから。
「百ちゃんの勘……外れたね……」
愛美が、残念そうにぽつりと言った。
百代はどきりとして、愛美に目を向けた。
愛美は別に百代を責めてるというわけじゃないが、失敗を認めている百代の胸にはちょいと堪えた。
「言っとくけど、勘とは関係ないよ。それに、これも想定内だかんね」
想定ってのは、幅が広いものなのだ。なので嘘じゃない。
「ほんとにぃ?」
疑惑のこもった言葉に、百代は肩を竦めてみせた。
「ほら、もう過ぎたことはいいから」
いまはそんなことを気にしてる場合じゃない。
いまの愛美は愛美でなく、クリスティーだということをしっかりと意識してもらわなきゃ。
百代は勢いよく立ち上がると、右手を大きく振り上げ、大きな声で「我々は」とおっぱじめた。
愛美がギョッとしたのを見つつ、振り上げた手を大袈裟に振り回しながら、よどみなく言葉を継ぐ。
「もう前を向いて進むしか残されてはおらぬ」
バンと力強く手を上げると同時に顔も上げ、胸に手を当ててから神妙な顔になり、低い声で言葉を紡ぐ。
「さあ、僧侶。光の道へと行くのじゃ。我もともに参ろうぞ」
百代が言い終えた途端、周りでどよめきが上がった。
どうやら部屋中の注目を集めてしまっていたらしい。
百代は、拍手に応え、身体を回しながら何度もお辞儀を返した。
「いったい百ちゃんは、何者なわけ?」
小芝居を終えた百代に、愛美が笑いながら言う。愛美の笑顔にちょいとほっとした。
「僧侶のお供の、従者に決まってんじゃん。愛美、後ろ向いて」
クリスティーの最大の特徴である、背中の羽根をいい感じに調整し、満足した百代は、愛美のお尻を思い切り叩いた。
「い、痛いよー」
「はい。わかり過ぎてる文句はもういいから。しゃんと背を伸ばす」
そう言って、愛美のスカートのひだを手直しする。
「百ちゃん、大丈夫?」
愛美がひどく心配そうに言ってきた。百代は、首を傾げて愛美と目を合わせた。
「何で?」
「え? な、なんとなく……大丈夫かなって……」
つまりは、愛美の目に、わたしは大丈夫でなく見えてるってことか……
百代は首を振った。
「もう捨てたよ」
「捨てたって何を?」
「過去だよ。反省はしたもん。引きずってたら、いつまでも良い方向へ転換させられないっしょ?」
そう口にした途端、自分の中の自分が笑った。
引きずってないなんて嘘なくせに、無理しちゃってと、別の百代が含み笑いをしてる。
いい方向へ転換してゆけるのかなって、自信もなくなりかけてるからこそ、口から出ちゃった言葉たち。
いやだなー、自分の中の自分に笑われて、こうまで気まずい気分にならなきゃならないなんて……
「あ……あの、百……」
愛美が戸惑ったように声をかけてきて、百代は肩を竦めてみせた。
胸にあることを、素直に言うしかないようだ。
「先を見過ぎたわ。……うまくゆかないかもって……ちゃんと感じてたのに。でも……」
百代はぶつぶつ呟くように言った。
途中で方向転換できたはずだった。なのに百代はそれをしなかった。なぜかって……
「百ちゃん?」
「時間だそうです。講堂に移動しま~す」
百代は愛美に向けて、笑みを浮かべた。
反省会はあとだ。百代は細長い杖を取り上げ、愛美に差し出した。
「さて、行こか」
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