|
その5 慰めの対戦
「ここ?」
5階建てのマンションが目の前にあった。
両親の帰りが遅いと聞いた佐原が、それなら夕飯をおごってやるととんでもなく嬉しい申し出をしてくれて、沙帆子はこの場にいるのだが…
おごってくれるというから、レストランみたいなお店に行くものと思ったのに…
「俺の家」
「先生の?いいところにお住まいですね」
沙帆子は、マンションの目と鼻の先にある、明るい光を放っている大型のスーパーを見つめながら言った。
「便利だぞ。このスーパーがあるから、ここに決めたんだ」
「でも、学校は遠いですね」
「ああ。学校に近くないほうがいいんだ。買い物に行って、生徒にバッタリ出くわしたりしたくないからな」
「そんなものですか?」
「プライベートは守りたい」
「そんなものですか?」
沙帆子は同じ言葉を繰り返し、佐原の後に続いてマンションの部屋に、気後れしつつ上がりこんだ。
部屋は、一人暮らしなだけあって、ごたごたと物がなく、すっきりとした空間を保っていた。
家具は黒で統一され、壁の白さとのコントラストがいい感じだ。
男の一人暮らしにしては、まずまず片付いている方ではないだろうか。
生活感をほどよく感じさせる程度に散らかっていたりして、沙帆子はこの部屋に対して好感が持てた。
テレビの近くに、新製品のゲーム機が置いてあるのを見て、沙帆子は意外に思った。
「先生、テレビゲームとかするんですね」
「ああ。けっこう好きだけど…悪いか?」
凄むように言われて、沙帆子はブンブンと手を振った。
「そんなこと。ただ、イメージと違うなって」
「俺に、いったいどんなイメージ持ってるんだ?」
「なんか…薄暗いバーとかで、お酒のグラスなんか傾けて、ものも言わずに煙草ふかしてる。…みたいな?」
「まあ…近いものはあるな」
佐原が苦笑した。
沙帆子は、馴染みとなった胸キュンに襲われた。
「榎原、お前は?こういうゲームは好きじゃないのか?」
「好きです。これ、やってみたいです。まだ持ってなくて触ったことないし…。佐原先生、どんなゲーム持ってるんですか?」
沙帆子は、ゲーム機の側に行き、その場にしゃがみこんだ。
佐原も歩み寄ってきて、彼女の側に屈んできた。
「いろいろ買ったけど…スポーツのこれ、かなりはまるぞ」
「あ。テニス、やってみたいです」
「後でやるか?対戦相手はずっとコンピュータだったから、楽しみだな。それで?榎原、お前、何が食べたい?」
「先生、お料理、作れるんですか?」
「いや。全然。そこのスーパー行って、適当に買ってくるつもりだけど…」
「それなら、ファミレスとかでよかったのに」
「お前の具合が良くなさそうだったから…外食よりいいかと思ったんだが?」
「先生って」
「なんだ?」
「案外、優しいんですね」
心からの言葉だったのに、佐原は気に食わなかったようだった。
いい雰囲気だったのに、沙帆子は佐原に睨まれて小さくなった。
「適当に買ってくるぞ」
佐原は、さっさと玄関に向かい、振り向きもせずに出て行った。
ひとりで留守番をしている間、沙帆子は身の置き所なく、ソファに座り込んでいた。
あちこち探検したい気持ちは強かったが、佐原がいない間に部屋の中をうろつくというのは、彼の厚意を無にしてしまうように思えた。
30分くらい過ぎた頃、佐原は荷物を抱えて戻って来た。
夕食のメニューは、様々だった。
カツサンドに寿司に、お惣菜。
砂糖の入ったコーヒーもあった。
それにデザートも…
「わあっ、美味しそう」
「そうか。それじゃ食うか」
沙帆子は、佐原と、彼の買ってきた夕食を食べながら、いまの自分が信じられなかった。
片思いをしていた相手…手の届かない高嶺の花のはずの先生と、こうして一緒にいるのだ。
佐原は、沙帆子が遠慮しないようにと思ってか、彼女にあれこれ食べ物を差し出してくれる。
沙帆子はありがたく受け取っては、口に入れた。
「気分が悪いのも、良くなったみたいだな」
パクパク食べているところに、佐原から笑い交じりの声を掛けられ、沙帆子は、頬を染めた。
ガッツキすぎただろうか?
恋わずらいの女の子は、胸がいっぱいで、恋しい相手の前では食べられないのが定番なのに…といまさら思う。
「は、はい。悩みがあって…この最近眠れなくって…それに食欲もなくて…」
そう言った途端、沙帆子は顔が燃えた。
これだけ食べておいて、食欲がないだなんて…
「何か悩みごとか?」
思いやりか、佐原は食欲ない発言に触れてこなかった。
そのせいで、沙帆子はなおさら恥ずかしさが増した。
「わたし…実は…ひっ…ひっ…」
突然涙がぽろぽろ出てきた。
胸が苦しくて、言葉が続けられなくなった。
「お、おい。榎原、急にどうしたんだ?」
「す、すみません。引っ越さなくちゃならないんです。学校も転校しなくちゃならなくて…」
「どうして?」
「父が…転勤することになってしまって」
「高校、後一年じゃないか。お父さんには、単身赴任で行ってもらったら」
「母は、父と離れて暮らすようなこと、絶対にしません」
「仲が良すぎるのも困ったもんだな」
沙帆子は同意を得られて大きく頷いた。
「お前、残りたいんだろ?一人暮らしさせてもらってはどうだ?」
「いまのアパートは引き払うって。お金が大変だからって…」
「まあ。それは家庭の事情だろうからな。そうか…仕方がないな」
「はい」
沙帆子は弱々しく返事をした。
萎んだ彼女の肩を、佐原がポンポンと元気付けるように叩いてきた。
「ゲームでもやるか?気分転換に」
「はい。やります」
沙帆子はこくりと頷いた。
せっかく佐原と一緒にいるのに、めそめそばかりしていたら、もったいない。
佐原はゲームに熱中するたちらしく、ゲームがそれほどうまくない沙帆子を、大人気なくコテンパンにのして喜んだ。
佐原らしいと言えるのだろうが、そのクールな喜びようが、イラつくほど癪にさわり、沙帆子の勝負熱はカッカと燃え上がった。
|
|