ナチュラルキス+2
natural kiss plus2

啓史サイド
第2話 それしかない



「珍しいな、お前から誘ってくるんてさ」

バーのカウンターに落ち着いたところで、敦は何気なく話しかけた。

「ああ」

いつも愛想のないやつだが、今日の声にはパワーがない。

お前どうした、何があった? と嬉々として……い、いや、真剣に聞いてやりたいが……まずは落ち着け俺……時候の挨拶だ。

「まだ二月だってのに、ここ最近、だいぶ暖かいな。コートも、薄手で良さそうなくらいだ」

「そうだな」

ふっと息を吐きながら、答える。

相変わらず、見惚れるほどのいい男だ。

また薄暗いバーってのが嵌り過ぎてる。

さらに、物憂げにバーテンダーに酒を注文する。

ちょい、鳥肌が立つ。

真似がしたいもんだが、こいつの真似は誰にもできないだろう。

自分も酒を頼み、啓史を見たが、その目は何も見ていないようだった。

なんだか声もかけづらく、啓史を気にしつつ酒のグラスを傾ける。

グラスを口から離した啓史が、ほっとしたように息を吐いたのを見て、いまがチャンスと、敦は口を開いた。

「なんかあったのか?」

ついつい、心配が言葉に滲んでしまった。

「別に……」

啓史は言うだろうと思った台詞を、いつものようにそっけなく口にする。

「教職に向いてなかったんじゃないのか? まだまだ精神的に未熟な子どもの相手なんて、お前には似合わないぞって、だから俺ぁ、言ったろうが」

なかなか悩みを口にしそうもない啓史から聞き出す手管として、悩みを勝手に決めつけて言う。

「似合わなかろうが気に入ってるんだ。お前には意外かもしれないが、生徒受けもいいしな」

確かに意外な答えだ。驚いた。

「へーっ。ならなんで、そんなしけた面してんだ?」

「しけた?」

表現に機嫌を損ねたらしく、睨みつけてくる。

おっ、ちょっと元気が出たか?

「ああ、そう見える。なんかうまくいってないときの……」

そこまで言って気づいた。

啓史の手にあって当然の、煙草が……

「あれ、そういえば煙草は? こういうイライラ時の定番だろ、お前の喫煙は」
「勝手に定番とか決めつけてんじゃねえ」

低い声で吠える。そしてグラスを傾ける。

なんだ?

「煙草忘れたのか? 俺のでよけりゃやるよ……ほら」

敦はポケットを探り、煙草の箱を取り出して啓史に差し出した。

啓史は煙草の箱をじっと見るばかりで、手を出さない。

うん? その目、物欲しそうなのに……

「いらねぇ」

敦は驚いて目を丸くした。

「なんで? こいつじゃ気に入らなかったか?」

「そんなんじゃない。とにかくそれ、さっさとしまえ!」

このいらつきよう?

「なんだよ。まさか禁煙中とかか?」

まさかと思いながら聞いてしまう。啓史が禁煙なんかするわけがない。よな?

「うるせぇ!」

「おーこわ。なんだ、禁煙中かよぉ」

どうやら、こいつは母親の説得についに負けたらしい。

「なら協力させてもらうわ。お前のお袋さんも心配してたしな。禁煙はいいことだ。うんうん」

こいつが禁煙するなら、俺も挑戦するかと思いつつ言う。

「それじゃあ、なんだぁ。お前禁煙してるせいで、いらついてたわけか?」

「お前のほうこそ、仕事はうまくいってんのか?」

啓史は唐突に話題を変えてきた。

敦はにかっと笑った。

様子がおかしかったのは、禁煙のせいだったらしい。

そうとわかりゃ、安心だ。

教職のほうも、期待を裏切……い、いや、意外にうまくやっていけてるようだし。

「まあなあ~、まだ一年目だからな。俺の勝負はまだまだこれからさ」

「そうか。ガンバレよ」

「おお」

吸おうかと思った煙草は、そのままポケットに戻し、敦はグラスを手にした。

頑張って禁煙しようといらついてるやつの前で、プカプカ吸っては気の毒だ。

「また合コン参加しないか?」

話を変えようと、敦は頭に浮かんだまま言った。

合コンの話がでるたびに、啓史を誘ってくれと女たちから頼まれるのだ。

啓史が合コンに参加したとの話を聞いたからだろうが……誘えばくるかもしれないと思っているのだろう。

「またミス白百合が、なんて言わないだろうな?」

酒を飲もうとしていた敦は、その言葉に吹き出し、危うく酒を零すところだった。

「お前、タイミング見て物を言えよ」

「すまん」

クールに謝罪され、笑いが込み上げる。

ほんと、こいつときたら……

「お前、相変わらずだな。だが、そろそろ恋のひとつもしたほうがいいぞ、いったいいま幾つだ?」

「馬鹿か、お前と同じ年だろ」

「そういうこと言ってんじゃねえってわかってるくせに。お前の経験の足りなさが俺は心配なんだって」

「もう酔ったのか?」

酔ったか? いや、酔っちゃいない。と思う。

「かもしれん。なあ、佐原、ひとは経験してこそ育つんだ」

「前にも聞いた」

「黙って聞け」

うざそうな顔をしているのは見て取れたが、言わずにおれない。

「特に恋愛ってのは、人の心を成長させる。うまく行ってるときは楽しいもんだけど……そんな時ばかりじゃない。相手に伝わらないもどかしさとか、切なさとか……苦しみとかな。経験したことのないお前にはわからないだろうが、そりゃあもう口では言い表せないくらい辛いもんだったりするんだ」

「それを望んで経験しろって?」

啓史の言葉に、敦は思わず顔を向けた。

こいつらしく、皮肉たっぷりに返してくるもんだと思ったのに……

妙に淡々と言うじゃないか?

「おお。……それでも経験する価値のあるもんだ」

恋愛の講釈を終えた敦は、ありっと眉を寄せた。

ここで、馬鹿馬鹿しいと返してしかるべきなのに……こいつ、なんで何も言わない?

しかも、真剣に考え込んでしまってるし。

おかしい。おかしいぞ。

「佐原?」

「え?」

敦の呼びかけに、啓史はハッとしたように顔を上げて、彼に視線を向けてきた。

おかしいぞ、こいつやっぱり。

「いや、ずいぶんと真剣な顔で、空のグラス睨みつけてるからさ」

「あ、ああ」

我に返ったように返事をし、今度は自分を否定するような笑みを浮かべる。
まさに自虐的。

「やっぱ、禁煙ってだけじゃないな。お前、なんかあっただろ? まさか……」

「別に!」

敦の言葉を遮るように啓史が力を入れて叫ぶ。

これでは、まさかのあとに続けようとしたことが、肯定されたようなもんだった。

「お前、変な女にでも引っかかって、別れられなくて困ってるんじゃないのか? そのイラつきようは、それ以外のなにものでもねえな」

それしかないと思えた。女だ。絶対に。

「馬鹿か」

決定的と思ったのに、啓史はくすくす笑いながら言う。

敦はむっとして啓史に視線を向けた。

「なんだ、間違いなく、当たりを掴んだと思ったのにな」

「お前、よく考えろよ。俺がいつ女と付き合ってた? 忙しい中、暇があればお前とばかり飲んでんだぞ」

その通りだ。その通りなのだが……

「確かにそうだよな。ちぇっ、俺の鋭い勘が、なまくらになったみたいじゃないか」

敦の言葉に、啓史は愉快そうに笑い続ける。

むかついたが、少しは元気になったようで、敦は安心した。





   
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