|
18 狙い外れて
「席が窓側だとよかったのになぁ」
窓の方を見つつ、詩織はそんなことを言いながらお弁当を開けている。
いつもだと秘密の場所まで行ってお弁当を食べるのだが、今日は雨なので教室で食べるしかない。
「雨なのに?」
詩織同様にお弁当を開けつつ、千里は訝しげに詩織に聞き返す。
「だってわたし、雨を眺めるの好きだもん」
へーっ、そうなんだ。友達を丸二年もやってるわけだけど、それは初めて聞いたかも。
「ああ、でも、この季節限定かな。冬の雨はあんまりいただけないしね。……ん?」
沙帆子が自分のお弁当のふたを開けたら、詩織はそれまでの自分のおしゃべりのことなど忘れたかのように「おおっ!」と叫び、沙帆子のお弁当を覗き込んできた。
「沙帆子のお弁当、今日もイケてるねぇ」
「イケてるって何よ」
おかずに箸をつけようとしていた千里が、詩織に突っ込む。
「だってさぁ、このお弁当は特別じゃん?」
沙帆子の弁当を力を込めて指さし、詩織はそんなことを言う。
「特別?」
沙帆子は戸惑い、自分の弁当の中身を改めて見た。
別に、イケてると言われるほどのものではない。普通のお弁当だ。
前日に下ごしらえをしていたとはいえ、寝坊したせいで、それはもう慌てて作ったわけで。
卵焼きに焦げ目がついてしまって、せいぜい六十点かな。
焦げた部分を見つめ、ついついしかめっ面になってしまう。
卵焼きは佐原先生の大好物なのに……明日は絶対失敗しないぞ!
「だってさぁ。こいつはお揃……じゃん♪」
心の中で拳に力を込めて誓っていたら、詩織が言葉を弾ませて言う。
すると、その途端、千里が詩織の頭をパチンと叩いた。
「痛った……」と詩織が言い掛けた時、
「なんだよぉ」
という叫びとともに、突然、すぐ近くに座っていた男子が立ち上がり、沙帆子はびっくりした。
「江藤がイケてるって言うからよぉ、よほどすごい弁当かと思ったら、普通じゃないかよ」
「普通だ? あのねぇ、このお弁当はね」
憤慨して言い返そうとする詩織の腕を、千里が掴んで引っ張った。
「詩織、何をムキなってんのよ」
諫めるように千里に言われ、詩織はハッとして口を押さえた。
「ふ、普通でした」と言い直す。もちろんあまりに不自然で、千里は痛そうに顔をしかめた。
沙帆子もどんな顔をしていいやら分からない。
「なんだよそれ? イケてるとか言っときながら、変な奴だな」
「へ、変なんだよ、わたしゃ。えへへへへ」
どうしようもなかったらしく、詩織が笑いで誤魔化したが、そこで、教室の端の方でガタンと大きな音がした。
クラスのみんなが驚いて音のした方を向く。
男子が椅子を蹴立てて立ち上がったらしい。なぜか彼は、慌てふためいて教卓に駆け寄る。
「どうしたのよ?」
千里が呼びかけたら、「忘れてたんだ」と叫ぶ。そして彼は、教室に設置されているテレビをつけた。
「あら、天野君」
テレビの近くの女子が口にした。確かにテレビに天野が映っている。
「天野から、昼休みになったら絶対にテレビつけろよって頼まれてたのに、忘れちまってたぜ」
汗を拭く真似をしつつ言った彼は、自分の席に戻っていく。
「放送部の打ち合わせって、今日のお昼の放送についてだったってわけね」
千里はテレビ画面の中の天野を見つつ口にするが、その天野はいつもとずいぶん様子が違う。
「天野、何やってんだ?」
そんな声があちこちで上がる。
それも当然というか、マイクを持った天野は、こそこそとした動きで廊下を歩いているのだ。
先程の男子がまた立ち上がり、テレビのリモコンを手に取る。
「ちょっとボリューム大きくするな」
その言葉の後、天野の潜めた声が聞こえ始めた。
「さあ、みなさん。到着しました。目的地は、ここです、ここ、ここ」
天野の潜めた声が、教室内に大きく響く。
物凄く潜められた声を、こんな風にボリュームを大きくして聞くというのは、なんか変なものだ。
「あっ!」
女子が叫んだ。そのあと幾つも同じ叫びが上がる。沙帆子も「ああっ!」と叫んでしまっていた。
なんとなれば、画面に物理室のプレートのアップが映し出されたのだ。
ええっ?
天野君、佐原先生のところに行こうとしてるの?
な、なんで?
「天野君、何をやろうとしてるわけ?」
沙帆子の内心の疑問をそのまま、千里は代弁してくれた。
「佐原先生に、突撃インタビューとか?」
詩織が答える。
と、突撃インタビュー?
教室中が興奮し、大騒ぎになった。
「ちょっとみんな、静かにしてよ。昼食中の佐原先生が見られるのよ」
女子の叱責が飛び、騒ぎはたちまち静まった。
「うわーっ、できるものなら、録画したーい」
小声ではあるものの、弾んだ声が近くから聞こえた。
やはり、いまでも佐原人気は健在のようだ。
結婚したと啓史自身が宣言したのに、生徒たちはその話を信じていないかのように感じる。
指輪を外しちゃったから……信ぴょう性が薄まったのかもしれない。
けど、それはいいことなのだ。
いまは、結婚した事実をうやむやにしておくほうがいいのだから。
これから同じ部活で活動することで、ふたりは親しくなり結婚という運びになったのだと周囲に思わせられたら一番いい。
「さあ、みなさん。ついに突撃しますよ! スリー、ツー、ワン」
画面の中の天野は、興奮からか頬を紅潮させカウントダウンする。
そしてマイクを持っていない方の手を大きく振りかぶる動作をして、物理室のドアをノックした。
思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
「佐原先生、昼食突撃隊です! 開けて下さーい」
大きな声で叫び、天野はマイクをドアに押し付けた。
だが、なんの物音も聞こえない。
まさか先生、居留守使ってる?
「佐原先生、全校生徒が待ってるんです。このドアを開けて下さーい」
笑い交じりに天野は声を掛ける。が、やはり返事はない。
余裕のあった天野の顔に焦りの色が浮かび始めた。
「先生? 佐原先生? いますよね? いないんですか?」
その言葉に、教室内で何人か噴き出した。
「おいおい、いないんですかって……天野っち、大丈夫かぁ?」
笑いつつも心配そうな声が上がる。見ると、千里も詩織も笑っている。
チョコを持った女子生徒相手には居留守を使っていた啓史だが……
この場合は、嫌であっても、天野君を無視したりはしないと思うんだけどなぁ。
狙い通りに行かず、天野はちょっと青ざめてきている。
そしてその瞳は、微妙な動きをしている。
画面には映っていないカメラ側にいる放送部の子たちと、目と目で会話をしているようだ。
狼狽した天野に同情の目を向けていたら、「何やってんだ?」と画面の中から声が聞こえた。
「いまの声、荻野先生よね?」
千里が言う。確かに荻野の声だったようだ。
カメラが背後に大きくターンし、荻野が映った。
「じ、実は、僕ら放送部で、先生方の昼食を突撃するっていう企画で……栄えある一番手は、やはり佐原先生だってことで……ですね」
「ああ。面白いこと考えたな」
荻野が笑いながら言い、「佐原先生なら、こちらにおいでだぞ」と、ちゃかすように言う。
途端に大きなどよめきが上がった。
このクラスだけではない。違うクラスでもどよめいたようだ。
もしかすると、この学校の全クラスがどよめいたのかもしれなかった。
画面の中が大きく動き始めた。
また天野が映り、彼は荻野に駆け寄って行く。
すると荻野の後ろに啓史の姿が現われた。
あっ、佐原先生♪
「きゃーっ、佐原先生ぃ!」
とんでもない数の黄色い声が上がった。
今度のは黄色いどよめきと言うべきか……
おまけに、女子の半分が立ち上がってテレビに群がる。
「ちょっとテレビが見えないわ。テレビの前にいる子、みんなその場に座って」
千里が叱るように言うと、全員おとなしくその場に座り込んだ。
なんだか、凄いことになってしまってる。
佐原先生の影響って、やっぱり凄いと、感心してしまう。
それにしても、テレビに映る佐原先生って、また特別だなぁ。
正直なところ、感心するばかりでなく、自分もテレビにくっつきたいくらいだった。
つづく
|
|