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第3話 暗号に困惑
「それで話を戻すけど……リンのこと、引き受けてくれるか?」
「で、でも……明日明後日の休日はいいですけど、月曜からは仕事がありますし……いえ、あの、それ以前に、慎也さんのところに泊まるなんて、やっぱり無理ですよ」
「俺は信用できない?」
「そ……そう言われると……困りますけど」
「俺の家、けっこう広いんだ。ちゃんと空き部屋もある。そこを君に提供しよう」
どんどん話を進める慎也に、真優は慌てた。
「ですから、男のひとの家に泊まるなんて……」
「……そうか。よし。なら、君が安心できるように手を打とう」
手を打つ?
すると彼は、路肩に車を停め、携帯を取り出した。
一体誰にかけるつもりなのだろう?
「いまどこにいる? ……ああ、そうか。ちょうどいい。今夜泊まってくれ」
今夜泊まってくれなんて……どう考えても電話の相手は慎也の恋人だろう。
「ああ、これから人をひとり連れて帰るけど、今夜から泊まり込むことになるから」
その言葉を聞いた真優は、目を見開いた。
ちょ、ちょっと待って! どういうこと?
まさか、慎也さんの恋人のいる家に、わたしが猫の世話係として行かなきゃならないっていうの?
慎也と彼女が仲睦まじくしている隣で、猫を世話している自分を想像し、顔が引きつる。
じょ、冗談じゃない! そんな状況、耐えられない。
「あ、あのっ!」
断ろうとすると、手で制された。
慎也はそのまま電話の相手と話し続けている。
会話中だから、黙っていてくれということなんだろうけど……
「ああ、そうだ。それでだ、ミッション、ピンハナワン、ロンクロ、完全体で頼む。聞き取れたか? ……まあ、ロンクリでもいいさ。それと、俺の部屋の隣の部屋、できる限り片付けといてくれ。ああ、それと……ちょっと待っててくれ」
高圧的な話しぶりで相手に指示を出していた慎也が、急にこちらに顔を向けてきた。
暗号のような言葉に困惑していた真優は、慎也と目を合わせて眉を寄せた。
「夕飯、まだだよな?」
「は、はい」
戸惑いながらも答えると、慎也は頷いて「俺のとこで準備させようかと思ってるんだけど……」と言う。
「あの、リンちゃんのお世話なら、その方にしてもらったらいいんじゃありませんか?」
真優は携帯を指さして言った。
「こいつは猫アレルギーなんだ」
慎也は携帯の送話口を押さえて、声をひそめて言う。
ね、猫アレルギー?
「だ、だからって……わたしが……」
「君しか頼れないんだ。頼む。その代わり、たっぷりと礼をさせてもらう」
たっぷりと礼?
「たっぷりですか?」
確認すると、慎也は「ああ」と、事も無げに答える。
なんだか、無性に腹立たしい。
よーし、みてなさい。仰天させてやる。
「なら、新車をください。淡いピンクの軽自動車がいいです。それがダメなら……」
「わかった。それじゃ、決まりだな」
へっ? な、何?
わ、わかった? わかったって、何が?
「夕食ふたりぶん頼む。……いや、まだ寄るところがあるから一時間後くらいだな。それじゃ、頼んだぞ」
通話は終わったらしい。
「あ、あのお〜、いまのは、じょうだ……」
「俺さ!」
真優の台詞を、慎也は鋭い口調で遮ってきた。ぎょっとした真優は言葉を失い、彼を見つめる。
慎也は凄みのある目つきをし、ぐっと顔を近づける。
心臓が飛び出すんじゃないかと思うほど、ドキドキした。
「冗談……嫌いなんだ」
目を眇めて、マジ顔で囁かれる。真優は泡を食った。
こ、このひと……話しぶりは俺様でも、根はやさしいひとだと思ってたのに……ちょ、ちょっと違ったのかも。
「で? 君……いま何か、俺に言うところだったようだが?」
これだけ脅されて、冗談で言いましたと言えるひとがいるなら、ぜひお会いしたい。
けど、まさか、本気でお礼に車をくれるつもり……じゃないよね?
だって、猫の世話を二週間するだけ。あっ、もしかしたら玩具のミニカーとかでごまかす気なんじゃ……
わたしはミニカー一個のために、にゃんこシッターを二週間も引き受けることになっちゃったのか?
いっやーっ!
「ひとつ言っとくけど……」
心の中で盛大に悲鳴を上げていると、慎也が話を切り出してきた。
こ、今度は何を言うつもり?
「な、なんですか?」
真優は顔を引きつらせながら尋ねる。
「いまの電話の相手は俺の彼女とかじゃないから、誤解しないように」
慎也は真顔で言い、真優の反応を窺ってくる。
「……」
「何か返事をしてくれないか?」
「いえ……なんて言えばいいのかわからなくて」
「君、彼氏とかいるのか?」
「……」
真優はまた黙り込んだ。
なぜそんなことを聞くのだろう?
「もしいるのなら、こんな頼みごとをしちゃ、彼氏に悪いからな。それで、いるのか?」
あ、ああ、そういうことか……
「いたら、にゃんこのお世話、しなくてもいいんですか?」
そう言うと、慎也はいったん顔をしかめてから口を開いた。
「君に彼氏がいるかいないか、聞いてるんだけどな」
なかなか質問に答えない真優に苛立ったようだ。
思ったよりも短気みたいだ。それでも、不思議と怖さは感じない。
「いまの電話の相手、ほんとに慎也さんの彼女じゃないんですか? 慎也さんと彼女さんがいるところに泊まるなんて、身の置き場ないですし……わたし、ほんと嫌ですから」
「違う。それに俺、フリーだから」
へーっ、こんなにかっこいいのに……彼女がいないのか。
フリーだなんて、ちょっと嬉しいかも……
「それで? 真優、引き受けてもらえるか?」
そんな必死に頼み込まれたら、期待に添いたくなるじゃないか。
「わかりました、引き受けます」
いくばくかの不安を胸に残しながらも、真優は答えた。
「ほんとか? 助かる」
ほっとした笑みを浮かべられて、嬉しくなってしまった。
泊まり込みになるとはいえ、慎也とふたりきりというわけではない。それが嬉しいのか残念なのか、自分でもよくわからない。
でもまあ、なんにしても、かわいいにゃんこのお世話ができるのだ。
二週間限定のにゃんこシッターか、楽しみかも。
真優は途端にワクワクしてきた。
「でも、わたしも仕事があるので、つきっきりではお世話はできませんよ」
「平日の日中だけなら、世話してくれそうな奴らがいる」
「えっ? 世話をしてくれそうなひとが複数いるんですか? なら、そのひとたちに」
「だから、そいつらを頼れるのは、平日の日中だけなんだ。猫の世話をしてほしいから泊まってくれなんて言ったら、たぶん殴られる」
な、殴られる?
「なんか、過激ですね」
「で……君はフリーなんだな?」
改めて確認を取られ、真優は頷いた。
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