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第2話 重いため息
「もっと人材が必要だと思うんですが」
食事を終えたところで、三次が提案するように言ってきた。
「探してるんだが……」
保志宮がそう答え、さらに続ける。
「何人か心当たりがあるんで、聞いてみるつもりだ。不破、アルバイトでもいいか?」
「役に立ってくれればアルバイトでもいい。正直、そのほうがいいくらいだ。従業員契約を結んでしまったら、役に立たなくてもそう簡単に放り出せなくなる」
「役に立たないようなやつになど、声をかけたりしないさ」
突っかかるような言った保志宮だったが、「バイトで様子を見るのは賛成だ」と口にし、どうしたのか、急に笑みを浮かべた。
「そうだ、不破。彼女に声をかけてみたらどうだろうな」
保志宮は、三次にわざとらしい視線を向けながら、優誠に言う。
あからさまな態度に、保志宮が誰のことを言っているのか、すぐにわかった。
三次も誰のことを言っているかわかっているのだろう、ずいぶんと苦々しい顔をしている。
保志宮が言っているのは、間違いなく桂崎のことだろう。
彼女ならば、優誠もこちらから頼みたいところだが……
「なんだ、わからないのか? 彼女だよ、百代さんだ」
保志宮ときたら、またしてもわざとらしく口にした。
顔を伏せて視線を逸らしていた三次が、顎を強張らせる。
三次は、桂崎のことが好きで堪らないくせに、おかしな考えに取りつかれて、桂崎を拒んでいるのだ。彼ほどの愚か者もいないだろう。
保志宮はそのことを知っていて、彼らしい思いやりで、三次を刺激する。
だがこの刺激、かなり効いているようだ。
一度、優誠たち三人は、愛美や桂崎を誘ってランチを食べた。そこで、三次は、保志宮と桂崎が楽しそうに話しているのを見せつけられることになった。
三次は、ひどく動揺していたのだが……
以前、現状は変わっていない。
それはともかく、保志宮は本当に男気のあるやつだ。
優誠にとって好敵手であり、気の合う友人……
けれど保志宮は、優誠の愛する愛美に想いを寄せている。
「彼女は……僕は賛成できませんよ」
強張った顔で三次が反論し、考え込んでいた優誠は意識を三次に向けた。
「どうしてだい? 彼女がいてくれたら、私はもっとやる気を出せそうなんだが……」
保志宮はにやにやしながら口にする。
やれやれ、保志宮ときたら、いくらなんでも三次を刺激しすぎだ。
「貴方のやる気を出すために来てもらうというのは、話が違うんじゃありませんか?」
三次は保志宮にそっけなく意見したが、苛立ちを押さえ込んでいるのが、はっきりと伝わってくる。
「そんなことはない。やる気を出せるアイテムがあるのであれば、誰だって、金を払ってでも手に入れたいものだろう?」
「アイテムという表現は……」
「そういきり立つな。蔵元君、冷静になってくれ。ところで不破」
保志宮は言いたいだけを言って三次に歯ぎしりさせ、優誠に向く。
軽くあしらわれている三次に少々同情しつつ、優誠は「なんだ?」と答えた。
「まだ聞いていないが、どうせ今日は早く帰るんだろうな?」
「いや、そんな予定はないが……どうして?」
よほどの用事がない限り、連日連夜、当然のように夜遅くまで仕事をしている。
優誠の返事に、保志宮は意外そうな顔をする。
「そうなのか? だが、待っていると思うし、早く帰ったほうがいいんじゃないのか?」
心配そうに言われて、戸惑う。
待っているというのは、愛美のことのようだが……
そう思ったとき、保志宮がなんのことを言っているのか、気づいた。
今日はバレンタインデーだ。そうか、それでか……
正直、優誠は愛美からチョコレートをもらえるものと思っていた。
だが、徳治から忠告されたのだ。愛美はバレンタインデーという行事を、まるで意識していないようだから、もらえるものと期待しないほうがいいと……
愛美に欲しいと言えば良かったのかもしれないが、結局、言い出せなかった。
それでも、淡い期待は持っているわけで……
もしかすると、桂崎たちとの間で、そのことが話題になったかもしれないしな。
「それなら、少し早く帰らせてもらうかな」
そう言うと、保志宮は、なんとも複雑な表情になった。
こいつ、自分のほうから気を遣って言い出したくせに……いざ、意見を聞くことにしたら、微妙な心情に取りつかれたらしい。
まあ、保志宮の心情について考えたところで、優誠にできることはないし、保志宮だって、そんなこと望んではいないだろう。
仕事に没頭し、集中が切れた優誠は、一息つくことにした。
給湯室にゆき、まだ仕事に集中している保志宮と三次の分もコーヒーを用意する。
「少し休憩しないか?」
ふたりに話しかけながら、優誠はそれぞれの机にカップを置いた。
「おお、すまないな」
「不破さん、どうもすみません」
保志宮はにやつきながら礼を言い、三次は恐縮しつつ頭を下げる。
優誠がお茶を淹れることは、それなりにある。
初めてお茶を淹れたときも、保志宮は苦笑した。そして愉快がって、さんざんからかってきた。
「ところで、保志宮、頼みがあるんだが……」
自分の席に着き、コーヒーを一口飲んだ優誠は、ふと思いついて保志宮に話しかけた。
「なんだ?」
保志宮は、書類の入った封書を、ペーパーナイフで開封しながら答える。
「結婚式のあと、二週間ほど休みをくれないか?」
すっと視線を上げてきた保志宮は、優誠を無表情で見据える。
そんな保志宮を、優誠も返事を待って見つめ返した。
音もなくゆっくりと保志宮が立ち上がった。そして優誠のほうに、無言で回り込んでくる。
触れるほど近くにやってきた保志宮は、冷えた目で優誠を見つめ、右手を大きく振り上げた。
そして、次の瞬間……
机の上に置いていた優誠の手から一センチの位置に、ペーパーナイフが突き刺さった。
「ほ、保志宮さん!」
保志宮の行為に、三次が鋭く叫ぶ。
「寝言は寝て言え」
冷たく言い、保志宮はペーパーナイフを抜くと、自分の席に戻って行った。
やはり駄目か……
無意識に机をコンコンと指先で叩いた優誠は、たったいま保志宮がつけた机の傷に目を止め、指先ですっと撫でた。
「不破さん」
遠慮がちに話しかけてきた三次に、優誠は顔を向けた。
「なんだい?」
「今日はこれから、大学のほうに行かなきゃならないんですが……」
「ああ、そうだったな。お疲れ様。また明日もよろしく頼むよ」
「帰っても大丈夫ですか?」
潜めた声で、ひどく不安そうに聞かれ、優誠は眉を上げた。
「うん? どうして?」
「い、いえ……それじゃ、帰ります」
三次は歯切れ悪く言い、荷物をまとめて席を立つ。
「蔵元君、お疲れ」
目を通している書類から顔を上げずに、保志宮は三次に声をかける。
「は、はい。保志宮さん、失礼します」
三次はふたりの様子を気にしつつ、それでも帰って行った。
ふたりきりになり、静まり返った空間で、優誠は仕事に集中した。
「不破、おい、不破」
不機嫌な声に優誠は顔を上げた。
「なんだ?」
「時間だ、時間。確認しろっ!」
怒鳴られて、時間を確認した優誠は眉を寄せた。
「七時か……」
「今日は早く帰るんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったな」
優誠は素早く携帯を取り出し、早瀬川に電話をかけた。
電話に出た上島に、これから帰ると知らせて、帰り支度をする。
「そんなふうじゃ、彼女が可哀想だぞ」
「遅くなるのはもう日常だ。彼女もわかってくれてる」
それに愛美はいま、ウエディングドレスの制作に忙しいのだ。
寝る前のわずかな時間、ふたりきりの時を過ごせればそれでいい。
いまは……
「不破」
「うん?」
「……いま、少し……いいか?」
「ああ、構わないが……」
優誠はパソコンの電源を落とし、保志宮に向いた。
「なんだ?」
問い返した優誠から視線を外し、保志宮はゆっくりと息を吐き出した。
「私のことは気にするな。私は確かに、愛美さんを好きだったさ。だが……君ほどの気持ちはなかった」
優誠は頷いたが、保志宮は優誠から視線を逸らしたままだ。
「彼女に、お前をやめて私にしないかと持ちかけたとき、私はなんと言ったと思う?」
自嘲めいた笑みを口の端に浮かべ、彼はちらりと優誠を見た。
「さあな」
相槌の代わりに、優誠は言った。
保志宮は、優誠の言葉など欲していない。
ただ、自分の胸にある想いを吐き出したいのだと思う。愛美を手に入れた立場である優誠に向けて……
「母のことを持ち出したのさ。母は庶民の出だから、貴方を理解できるし、大切にするとね。……自分の気持ちはどこにある?」
保志宮は自問自答するように言い、虚ろな目を宙にさ迷わせる。
「彼女の透明感に惹かれた。いまも手に入れられるものなら手に入れたい気持ちがあるのも否定しない。でも……諦めを受け入れられてる。そういうことなんだ。わかってもらえるか?」
「ああ」
優誠は頷いた。
保志宮の愛美への思い。それは自分が愛美に抱いている気持ちには、到底及ばないものだと、優誠には思える。
保志宮は……いずれ……
「君はいずれ……いまの私を理解するときがくると思う」
そう、保志宮の前にもきっと現れるに違いない。愛美以上の存在が……
そのときこそ、保志宮は優誠の気持ちを、本当の意味で理解できるだろう。
「土砂降りの雨の中、走る車に体当たりしてまで、姫をさらって逃げたときの君もか?」
優誠は苦笑した。
「そういえば、そんなこともあったな」
「だとすれば……嬉しいな」
ぼそりと口にし、保志宮は微笑んだ。
その笑みを見て、優誠は鞄から封書を取り出した。
結婚式の招待状だ。
郵送してもよかったが、保志宮には直接手渡したほうがいいだろうと思ったのだ。
たぶん、保志宮は来るだろう。
自分の気持ちに決着をつけるために……
優誠は無言のまま、保志宮に招待状を差し出した。
目にした保志宮は、それがなんであるか、すぐに察した。
数秒それを見つめたあと、ゆっくりと伸ばしてきて、手に取った。
「来てくれるか?」
「行って……いいのか?」
保志宮はほとんど聞こえない低い声で聞き返してきた。
「もちろんだ。来てほしい。私の友人として」
「光栄だ。行かせてもらう」
封書を鞄に仕舞い込んだ保志宮は、帰り支度をはじめた。
優誠は鞄を手に立ち上がる。そして保志宮に向けて軽く手を上げ、部屋をあとにした。
階段をゆっくりと下りながら、優誠は重いため息をついた。
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