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第十二話 命をかけても
部屋の中には、老齢の男性が一人と、三人の女性がいたが、一番年若い女性が、ユウセイのほうによろめきながら歩み寄ってくる。
ふたりの女性は、「エイコさん」と声をかけ、両側からよろめく身体を支えようと手を差し伸べた。
「エイコ」
呼びかけたトクジが、足をひきずりながら前へと出て、エイコの肩にやさしく手をかける。
「お前は、座っていた方がいい」
顔をしかめたトクジは、心配そうに声をかける。
確かに、エイコという女性は、ひどくやつれて見える。
エイコはトクジの妻なのだろう。そしてマナミの母……
娘が行方不明になり、トクジ同様、ほとんど寝ていないのだろう。
エイコはみなから椅子に座るように促されるのを首を振って断り、ユウセイと賢者に視線を向けて、口を開いた。
「こ、この方が……娘を救ってくださると言うのですか、賢者様?」
「そうだ」
「彼にしかできませんわ」
重々しく返事をした賢者のあとに、花売り娘が付け加える。
「エイコさん。ねぇ、座っていた方がいいわ。母親の貴方が倒れてしまっては、マナミさんが悲しむわ」
やはり、エイコは愛美の母だったようだ。
「エイコ、そうしろ」
トクジも、小声で座るように言い聞かせる。
エイコは首を横に振り、ユウセイに向き直ってきた。
「どうか……どうか娘を、お助け下さい。勇者様。お願いいたします、どうか、どうか」
エイコは涙を零しながら懇願してくる。
胸が疼くほどに苦しげで、ユウセイは見ているのが辛かった。
「うっ、ううっ」
ふたりの女性たちも泣き出し、老齢の男性がふたりに近づき、その肩を叩く。
この老齢の男性、たぶんクラモト領の領主なのではないだろうか。
「黒き魔女を呼び寄せたのは、おぬしらだ」
「ええ。愚かなことだわ」
叱るように賢者が言うと、花売り娘が同意するように続けた。
マナミの両親は顔を見合わせ、トクジが先に口を開いた。
「呼び寄せたとおっしゃるが……」
「ど、どういうことなのです? それに愚かとは?」
「やるべきことをやっておれば、こんなことにはならなかったということじゃ」
賢者である老人が冷たく言う。
声にはしなる様な厳しさがあり、部外者であるユウセイすら胆が冷えた。
「後ろめたいことが、何かしらあるのではなくて?」
これまた冷淡に、花売り娘が追い打ちをかけるように言う。
「賢者様……真紅の魔女様」
表情を歪めたマナミの母は、すがるように手を差し伸べ、ふたりに呼びかける。
だが賢者の老人は、すげなく手を振る。
ユウセイはだんだん憤りが込み上げてきた。
彼らが何をしたのかは知らないが、娘が連れ去られ、こんなにも憔悴しているというのに、その態度はあまりにひどい。
「ここにいる全員、それを知っている」
賢者のその言葉に、みなが顔色を変えた。
ミツヒコだけが別で、みんなの様子を見て、眉を寄せている。
「トクジ殿?」
呼びかけたミツヒコに、トクジは小さく頷いて見せ、賢者と目を合わせる。
「もちろんすべてご存知なのですね。ですが、それが理由なのですか? なぜ、娘のマナミを黒き魔女が?」
「そういうのか? 一年前、この真紅の魔女が、先の真実をおぬしらに伝えた」
「伝えたわ。けれど、貴方がたは為すべきことをしなかった」
「た、耐えられなかったのです!」
悲鳴のように叫んだのはマナミの母だった。
その身体が叫びとともに大きくよろめき、トクジが支える。
「このふたりを責めるな。非はすべて私にある。私がそうするように命じたのだからな」
「父上。そうではないのは、賢者様も知っておいでですよ。我々は、マナミを手放したくなかった……」
「そして、いま失おうとしている」
賢者のそっけない言葉に、マナミの母がくずおれ、苦しげに泣き出した。
「止めてください」
ユウセイはもう見ていられず、賢者たちに食ってかかった。
「勇者?」
賢者が、ユウセイに振り向いてきた。
ユウセイは賢者を睨みつけた。
「彼らは娘のことで苦しんでいるのですよ。追い打ちをかけるような言葉を口にするなんて、あまりにもひどい」
「そうか? 彼らの罪が、この国に悪影響を及ぼすものだとしても?」
「だとしてもです!」
ユウセイはきっぱり言った。
「やれやれ……まあ、貴方しか娘は救えない」
「でも、だからって、この家の娘のために、貴方、自分の命を張るの?」
「黒き魔女は手ごわいぞ。死を覚悟してかからねばならぬが?」
ふたりから口々に言われ、ユウセイは拳を固めた。
一度、会いまみえた危険な魔女……。
あの女は容赦がない。
確かに、挑むならば、彼は死を覚悟しなければならないだろう。
いかに、老人や花売り娘たちから、魔力を宿す剣と、魔力を防ぐというマントを与えられ、身にまとっているとしても……
あのとき、危険な魔女は遊び半分という感じだった。
次こそは、あの魔女も本気でかかってくるだろう。
恐れがないと言えば嘘になる。
さらには、彼はこの国の王子という立場……彼が死することで、国の未来が気がかりでもある。
それでも……
ユウセイは、両手を固く握りしめ、祈るように自分を見つめているマナミの母と目を合わせた。
トクジも、いまは縋るような眼差しを彼に向けてくる。
そしてほかの者たちも……
ユウセイは、すっと顔を上げた。
「黒き魔女から、彼女を取り戻しましょう」
だが、マナミの両親や祖父母たちがそれを望むからではない。ユウセイの中に、その気持ちが……もどかしいほどに膨らんでくるからだ。
「本当でございますか?」
マナミの母が急くように言う。
ユウセイは振り返り、マナミの両親と対峙するように立った。
「娘さんを救い出せたら……」
「今度こそ、為すべきことをなさい!」
彼に言葉を遮ろうとするように、花売り娘が鋭く申し渡した。
ユウセイは顔をしかめて、花売り娘を睨んだ。
救い出せたら、彼女を頂きたいと言うつもりでいたのだ。ここで、その約束を取り付けておきたかったのに……
会ったこともない、顔も知らない娘を頂きたいなど、自分でもおかしなことだと思うが……
「わかりましたわ……真紅の魔女様のおっしゃるようにいたします。娘が……助かるのならば……」
「トクジ、おぬしはどうなのだ?」
「異存はございませぬ。賢者様。もちろん、我々にとって娘の命は何よりも大事です」
「あ、あの、トクジ殿。為すべき事とはなんなのですか?」
それまで戸惑いながら話を聞いていたミツヒコが、口を挟むように問いかけた。だが、ミツヒコに答えたのは、賢者の老人だった。
「ミツヒコよ」
ひどくやさしく、賢者は語りかけた。
「は、はい」
ミツヒコは、畏れ多いというような表情で、畏まった返事をする。
「おぬしは、申し分ない青年。だが、マナミはおぬしのものにはならぬのだ」
「なっ……」
目を見開き、小さく叫んだミツヒコに、賢者の老人は頷く。
「おぬしの前には、数年後、生まれし前から約束された、いまはまだ未知の存在である乙女が現れるだろう」
「ええ。とてもかわいい子よ」
「そんな……私は」
「ミツヒコ」
賢者はミツヒコに歩み寄り、彼の頭に触れる。
「な、納得できません」
「うむ。いまはそれでいい」
賢者の言葉に、ミツヒコは反抗的な眼差しを向ける。
その肩が小刻みに震えているのを見て、ユウセイまでが、切ない気持ちになった。
「では、行くとしよう」
唐突に賢者が言い、ユウセイは眉を上げた。
「行くとは?」
「もちろん、すでに話はついた。娘を救い出しに行く」
その言葉に、ユウセイは驚いた。
「お付き合い下さるのですか?」
「ああ。私らは、おぬしを、勇者を導くためにここにいるのだからな、当然だ」
にやりと笑う賢者を見て、ユウセイは首を捻った。
魔女との対決に、彼らがついてきてくれるとは思わなかった。
彼一人で行くものと……
その後は、あれよあれよという感じだった。
屋敷の外に出たユウセイは、屋根から滑り落ちるように地面に落下した船に、賢者の老人と乗り込んだ。
もろちん花売り娘は浴槽だ。
真っ赤な服の花売り娘の乗った浴槽が、先陣を切ってふわりと飛び上がった。ユウセイの乗った船も、それに続く。
「ユウ殿ぉ。姪をお願いします!」
サンジが下から声を限りに叫んできた。
下を見やると、全員が空を振り仰いでいる。
みな、ひどく真剣な目をしている。
特に、トクジの目に、ユウセイは心打たれた。
できるものなら、娘を救いに自分が行きたいと思っている目だ。
そう思ったユウセイは、改めて納得した。
あの顔の傷や痣……あれは……不眠不休で娘を探し回っていたために……
「どうか、どうか、お願いします」
「絶対に救い出してやってください」
彼らの懇願は、すぐに遠退いていった。
あっという間に、屋敷は遠ざかる。
ユウセイは、眉を寄せて老人に向き直った。
彼らときたら、ひとを戸惑わせて楽しがっている気がしてならない。
「どういうことなんです?」
空中をゆっくりと飛んでいるという不思議な体験を意識しつつ、ユウセイは老人に向けて詰問した。
船で空を飛ぶなんて、こんな経験はもちろん初めてだが、楽しむより問いたいことばかりだ。
「どういうこととは?」
「結局、こうして同行するのなら、あんなところに私を置き去りにすることはなかったでしょう?」
「必要のあることしかしないわ」
前方の小舟から、花売り娘が答えてきた。
キッパリした声に、ユウセイは顔をしかめた。
「必要でしたか?」
「必要だったでしょ?」
ユウセイは、置き去りにされてからのことを思い返してみた。
占い師の前に連れてゆかれ、救世主と認定され、魔女に囚われているマナミという娘のことを知り、マナミの家に行き、彼女の両親たちと対面した。
彼らは、娘を救ってくれるのはユウセイだけと賢者と真紅の魔女に聞かされ、彼に娘を託した。
ユウセイは、老人と花売り娘に視線を戻した。
「あの不思議な白き花……マナミという娘と関係があるのですか?」
ユウセイは、確認するように問いかけていた。
すでにそうに違いないと感じていたが、はっきりと聞きたい。
老人が「ええ」と答え、花売り娘が「うん」と頷く。
それで充分だ。
命をかけても……あの不思議な白き花を……マナミを、彼は救い出す。
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