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第十七話 あるべき自分
「ここも終わりね。さあ、次に行きましょう」
失意の中にいるユウセイに、花売り娘は明るく声をかけてくる。
ユウセイは、そんな花売り娘に対して少しばかり反感を感じながら、首を横に振った。
もう思いつくところは……ない。
「王子様?」
問うように呼びかけられ、今度は力なく首を振る。
「ないのですよ、もう。ここで最後、全部いったんです」
なのに、ここに咲いていた三本の白き花も、呆気なく散ってしまった。
マナミは、ユウセイを拒んでいる。
どうにもやるせなく、胸が疼く。
思い出の場所を、思い出す順に回った。つまり、先に行った場所のほうが、ふたりにとって特別な場所だったということだ。咲いていた白き花の数も、最初に行った池の周りが一番多かった。
白き花の数が減って行くのを確認するたびに、落胆が増した。
「ふーむ」
老人が考え込むように口にし、ユウセイはさらに気が落ち込んだ。
「マナが封印されている場所を、貴方はご存じなのですよね。そこに連れて行ってください」
「困ったわね」
花売り娘が腕を組み、顔をしかめて言うと、老人までも、「困ったな」と口にする。
「あの、どういうことですの?」
意味がわからないというように、アリシアがふたりに向けて聞く。ユウセイも同じだ。
「封印されている場所に、どうして連れて行って下さらないんです? 行けないわけでもあるのですか?」
「行けませんね。貴方が忘れている限り」
なんのことかわからず、ユウセイは老人を見つめ、「は?」と声を上げた。
「忘れているとは、何をです?」
「もちろん、貴方が記憶を封印されて忘れてしまっている場所ですよ」
「マナが封印されている場所など、私は知りませんよ」
「いえ、知っているわ。けど、忘れちゃってる。記憶の封印は、まだ全部は解けてなかったということね。これは大問題よ」
花売り娘は、珍しく真剣な顔で顔をしかめる。
ユウセイは眉をひそめて、老人、花売り娘、そして祖母へと視線を回した。
「大問題なのですか? ですが、貴方がたは、その場所をご存知なのでしょう? ならば問題などないではありませんか? そこに私を連れて行ってくださればいい」
「それができたら、そうしてるわ」
「どうしてできないのですか?」
「やれやれ、この分からず屋を納得させるために、行かなきゃならないみたいね」
「そうだな。そうしよう。あそこにいけば、なんとかなるかもしれないしな」
老人はそう口にし、すぐに歩き出した。
とにかく、マナミのいるところに向ってくれるようで、ユウセイはほっとしつつ、老人について行った。
「どういうことなのかしらね?」
ユウセイの隣を歩いているアリシアが、小声で話しかけてきて、道案内をしてくれている老人の背を見つめたままユウセイは首を振った。
「わかりませんね」
花売り娘のほうは、ユウセイとアリシアの後ろについてきている。
こうして連れて行ってくれているというのに、老人はマナミが封印されている場所にユウセイを連れて行けないと言う。
矛盾したことを言われて、困惑してしまうが……賢者だという老人と、魔女だという花売り娘の言葉に嘘はないに違いない。
矛盾と感じるのも、ユウセイの理解力のなさのせいなのだろう。
そう認めるのは嫌だが……
老人が立ち止まり、振り返ってきた。
「ここからは口を閉じていてください。声を出さないように」
静かに命じられ、ユウセイはひどく緊張して頷いた。
なにか、前方から圧迫してくるものを感じるのだ。
老人は一度頷き、前に顔を戻すとゆっくりと足を踏み出した。ユウセイは一度マリアナと目を合わせてから、老人のあとに続く。
空気がひどく重い。こんなにも空気を重く感じたのは初めてだ。
生い茂る草木の世界、地面を踏みしめるたびに、地中に圧縮されていたエネルギーが噴き出してくるかのようだった。
ユウセイは、前を歩く老人に遅れまいと、地中に貼りつくかのような足を、必死に交互に動かした。
自分のことで精いっぱいだったユウセイは、隣を歩く祖母のアリシアを気遣う余裕がまるでなかったが、アリシアが自分より少し前に出たことで視界に入り、ハッとした。
そ、そうだった。
私ときたら、祖母のことを忘れていたとは……
若い自分がこんなにも辛いのだ、祖母はもっと……
申し訳ない気分でいたら、祖母はどんどん前へと歩いて行く。その歩みに辛さはない。
そのとき、背中にあたたかなものが触れ、ユウセイは驚いて振り返った。
花売り娘が真後ろにいて、ユウセイの背に両手を当てている。
心配そうにじっと見つめられ、いったい何事かと思ったが、声を出してはいけないと言われているため、問いかけられもしない。
花売り娘はどこからか真っ白な布を取り出した。
何をするつもりかと眉をひそめていると、ユウセイの額に当てる。
汗を拭いてくれているのだと、遅れてわかった。
歩くことばかりに必死になっていて、自分が全身汗だくになっていることにまるで気づかなかった。
ユウセイは、感謝を込めて頭を下げた。
それにしても、ユウセイはこれほど汗を掻いているというのに、花売り娘はまったく汗を掻いていない。辛そうでもない。
汗を拭き終えた花売り娘は、ユウセイに手を差し出してきた。
なぜかはわからないが、その手はまるで救いの手のように感じられ、ユウセイは縋りつくようにその手を掴んでいた。
花売り娘は、頑張るのよというようにユウセイの瞳をまっすぐに見て頷くと、前方に目を向けて行こうというように手を振った。
ユウセイは花売り娘に手を引かれるようにして、一歩一歩進んで行った。
老人は少し離れたところに立ち止まっていた。そして老人のすぐ後ろにアリシアがいて、ひどく心配そうにユウセイ達を見ている。
どういうことなのかさっぱりわからないが、どうやら辛がっているのはユウセイだけなのだと理解できた。
この道は、ユウセイだけを拒んでいるのか?
それでも、彼は進むしかない。
拒んでいるのが誰かはわからないが、マナミは彼を待っているのだ。
全身への圧迫感、身体は鉛になったかのように重く、意識もぼんやりしてきて、足を進められているのかも定かではなくなってきた。
倒れそうになるたび、花売り娘が彼を支えてくれていた。
ふたりの体格を考えれば、ユウセイを支えるのは楽ではないだろうと思うのに……
花売り娘に感謝しつつ、ユウセイはふらふらと歩み続けた。
頭に優しく触れるものを感じて、ユウセイはゆっくりと瞼を開けた。
身体が重い……重くて身動き一つできない。
ついに倒れてしまったんだろうか?
馬鹿な……
進まなければならないのに……マナミのところに行かなければならないのに……
倒れてなどいられるか。
ユウセイは歯を食い縛り、身を起こそうとした。
「意識が戻ったようですね」
やさしく澄みきった声が聞こえた。
耳にしたことのない声だ。
ユウセイは眉をひそめ、地面に突っ伏している顔をあげようとしたが、頭に触れている手がユウセイをなだめるように動く。
「そのまま……すぐに楽にしてあげましょう。ユウセイ……」
ユウセイは「貴方は誰です」と口にしようとして、すんでで口を閉じた。
そういえば、声を出してはいけないと言われているのだった。
老人はどこにいるのだ? 花売り娘は? アリシアは?
「彼らは待たせているわ。……大丈夫」
声にしてはいないのに、頭で考えたことに対する返答に、ユウセイはぎょっとした。
「記憶の封印をすべて解いてあげるわ……賢者のいうとおり……貴方にしか、マナを救えないのでしょうから」
貴方は誰です?
ユウセイは、声に出さずに問いかけてみた。
「貴方の……敵、なのでしょうね」
て、敵?
「わたしにとって、貴方は敵……さあ、もう無駄口はいいわ……封印されし記憶よ、いま甦れ!」
その言葉を聞いた瞬間から、すーっと圧迫感が引いていった。
「王子様、ご気分は?」
顔を近づけて、花売り娘が言った。
地べたに顔をくっつけて転がっている自分を、ユウセイは意識する。
最悪の気分だと言うつもりだった。
全身に疲労感が残っているし、汗びっしょりで気持ちが悪い。
だが……
爽快な気分だった、そして声を上げて泣きたい気分でもあった。
すべて思い出した。マナミのことを忘れてしまうことになったときのこと、その場所も。
彼の敵と名乗ったのはマナミの祖母、シズネだ。
地の精霊でもあるひと。マナミを愛してやまないひと……
彼は、そのひとからマナミを無理やりに奪おうとした。
されたことは咎められもしない。
咎められるべきは、マナを独り占めしたかった彼のほうだ。
だが、愛していたのですよ。
私は、貴方の愛する者を、心の底から愛していたのです。
ユウセイは、すでにいなくなったシズネに向けて囁いた。
そして、いま目の前にいて、ユウセイのことを安堵の表情で覗き込んでいる花売り娘に微笑みかけた。
「最高の気分ですよ」
ユウセイは心からそう口にしながら、起き上った。
すぐそばに、老人とアリシアもいる。
老人はほっとした表情になっているが、アリシアは、いまユウセイに何が起こったかわからないらしく、ひどく心配そうに顔を歪めている。
「心配をかけました」
ふたりに向けて頭を下げ、ユウセイは花売り娘に向き、その手を軽く手に取った。
花売り娘は驚いたように眉を上げる。
「先ほどは汗を拭いてくださってありがとうございました。支えてくださってありがとうございました。麗しき魔女様。貴方は初めてお会いした日から、なにひとつ変わっていませんね」
ユウセイの変化に、花売り娘は楽しそうに笑う。
この顔、この姿、昔のままだ。何一つ変わっていない。
「うむ。ユウさん、よくやった。貴方は大きな難関を乗り越えた」
彼自身、それを実感していた。
ユウセイは老人に向けて真摯に頷いた。
「賢者様。貴方がたのおかげです」
記憶の封印が解かれ、本来のあるべき自分になったのだとわかる。
いまはもう、すべての謎が消えさっていた。
ユウセイは腰に下げた剣の柄を掴み、ゆっくりと抜き出して、切っ先を天に向けてかざした。
剣に向けて稲妻のような光が放ち、強い衝撃を感じる。
この剣は、もともとユウセイのものだった。
魔法剣を自由自在に操り、恐いものなど何もなかった。愚かな自分……
その愚かさがこの事態を招いたのだ。
「マナのいる場所も、もうわかります。行きましょう」
迷いなく方向を定めたユウセイは、みなを促し、力強い一歩を踏み出した。
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