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第十九話 只事ではない状況
ふたりの前に、唐突に貫録のある老人が姿を見せた。
「シュウメイ様」
ユウセイは片膝をついて、相手を見上げた。
「ひさしいの、ユウセイよ」
「はい。シュウメイ様。この度のこと、深く、深くお詫びいたします」
ユウセイは深々と頭を垂れた。
「厄介だぞ。ユウセイ……私も手を尽くしたが……徒労に終わっている」
その言葉に、不安を掻き立てられたが、ユウセイは表情を硬くし、立ち上がった。
「命を懸けて、マナの封印を解き、救い出します」
「そうだな。もうおぬししか、助けられるものはおらんだろう。だが、おぬしはただの『人』に過ぎぬ」
「ユウさんは、僕の弟子ですよ。シュウメイ」
おどけた表情で、老人はシュウメイに物申す。
「これは……そうか。彼は貴方の力を……」
「僕の力だけではありません。彼はモモの力も受け取っている」
「では、すでに、このときのために、準備を?」
「もちろんですよ。さあ、シュウメイ、我々をマナミさんの元へ」
老人が促すように言うと、シュウメイは厳めしい顔ながら愉快そうに眉を上げ、背を向けて歩き出した。
「貴方がたの力を、私が受け取っているという話。本人の私も知りませんが?」
ユウセイは、シュウメイの背を見つめながら、隣を歩く老人に小声で問いかけた。
「赤ん坊では記憶にないでしょう」
ユウセイは思わず顔をしかめた。
「貴方がたは、歳を取るんですか?」
「生きていれば、当然歳は取りますよ」
「いったい、いま、おいくつなのですか?」
ユウセイの問いに、老人がくすくす笑う。
「何度同じ質問を繰り返すのかな?」
からかうように言われ、むっとしたが、確かに同じ質問をこの老人に……いや、賢者に向けている記憶が蘇る。
さらに、魔女様のほうにも、不作法に、いくつなのかとうるさく纏い付き、頭をぶたれた記憶まで、思い出さなくてもよかったのに、思い出した。
「王子様が生まれるずっと前から、我らは時を楽しんでいる」
ユウセイが顔を歪めていると、老人が答えた。
「我らとは? 魔女様と貴方のおふたりのことですか?」
「我らは我らですよ」
「ユウセイ」
凛とした澄んだ声に、ユウセイは顔を向けた。
シュウメイが立ち止まり、その隣に女性がいた。……シズネだ。
シズネは、この場所の光線の具合なのかもしれないが、顔色が悪いように見える。
「シズネ」
「大丈夫ですわ、賢者様。さあ、ここです。ユウセイ」
ユウセイは、シズネの招きに応じて歩み寄った。
そして、シズネについて、小さな円形の部屋の中に入る。
「マナはどこに?」
部屋の中を見回してみたが、なにもない。
「この部屋そのものが、ここでのマナミなのだ」
シュウメイの言葉が理解できず、ユウセイは眉をひそめた。
この部屋がマナ?
「意味がわからないな……マナの身体は祖母の館にあって……」
「ここは、マナの地の精霊の力と繋がっている場所。つまり、ここはマナの魂と繋がっているのですよ」
シズネの説明で、なんとなく理解できたが……それでは魂は、どこに?
「魂を封印したために、マナミさんの地の精霊の力は大いなる地の精霊の力に溶け込み、彼女の意志は消えかけている」
老人の言葉に、シズネは頷き、口を開く。
「数日前まで、マナの意志は、もう消え去ってしまうのではと思うほど、希薄になっていたわ。けれど、ご存知でしょう? ユウセイ、貴方の声に、時折反応している。そう、いまも微かに……」
そうなのだろうか?
ユウセイは、シズネの言うマナミの反応を感じようとしてみたが、何も感じられなかった。
「マナは、自分の魂を封印したのですよね」
「ええ」
「ここはマナの精霊の力の元なのですよね。そしてマナの魂と繋がっている。ならば、封印された魂はどこに?」
「見つからないのだ」
シュウメイが辛そうに言う。
「見つからない?」
「いくら探しても見つけられなかったんですよ。マナミさんが倒れていた場所ではないかと探したんですが……」
老人も、そう言葉を付け加える。
「ほうぼう手を尽くして探したのに……」
シズネは疲れたように俯いて言う。
彼らが必死になって探しても探し出せないとは……いったい愛美の魂はどこに?
「そうだ……そういえば、マナが倒れていた場所は……どこだったのですか?」
なぜだろうか、まだ聞いていなかった。
「そうか……」
老人がハッとしたように呟き、ユウセイは老人を振り返った。
「いや……マナミさんの魂が封印されたものを探し出せないのは、マナミさんの意志が働いているのだろうと思ってはいたんですが……ユウさん」
「はい」
「貴方の部屋ですよ」
「え?」
「マナミさんが倒れていた場所です」
「私の、あの部屋で?」
「ええ。あの日、彼女は久しぶりにアリシアの館に、そしてアリシアが知らぬ間に貴方の部屋に入ったようなのです。そして」
「あの部屋に倒れていたんですか?」
老人が神妙に頷く。
「とにかく、マナに呼びかけてみて」
シズネが、顔を上げてユウセイに向けて口を開く。
「繋がりは薄くなっているけど……ユウセイ、貴方なら」
「わかりました」
ユウセイの返事を聞いたみなの顔が、緊張からか強張る。
「ユウセイ、マナとの意志は薄く、そのぶん、地の精霊の力とは強力に結びついている。呼びかけることで、そちらに引きこまれないように」
シズネがシュウメイの言葉に同意を見せて、強く頷く。
「精霊の力は巨大よ。ひと一人の精神など容易く飲み込んでしまうわ。引きこまれたら、貴方の魂は、地の精霊の力に取り込まれ、消滅するわ」
自分をじっと見つめて語るシズネの目を、ユウセイはゆるぎなく見つめ返した。
「どんなことになろうと、意志は揺らぎません。マナを取り戻すため、やるしかない」
ユウセイの覚悟を見て、シズネが微笑む。
三人が部屋から出て行き、一人になったユウセイは大きく息を吸い、目を瞑った。
「マナ」
やさしく呼びかけ、何かしらの変化を感じられるかと思った瞬間、足がずんと地面にめり込んだ感覚と重い痛みを感じた。
足の骨が軋み、すぐにも折れそうな気がした。
立っていられず、倒れるようにしゃがみ込む。
身体の中身が地面へと吸い出されるような感覚……
負けるものか!
ユウセイは痛みなど無視し、力の限りに立ち上がった。
「マナっ! 応えてくれ。君の元に……うあっ!」
頭を殴られたような衝撃を食らう……さらに身を引き絞られてでもいるようだ。
く、くそっ!
「マナッ! 愛している。ずっと君だけを愛してきた!」
彼がマナミに呼びかけるたびに、地の精霊の力が増す。
「うっ、くっ、くうっ」
ユウセイは頭が割れるんじゃないかと思うような強烈な痛みに襲われ、頭を両手で抱えた。膝を下りそうになるのをぐっと堪える。
「マナ、マナ、マナッ」
叫びを繰り返す中、左胸に熱を感じた。
な、なんだ?
「う……うう……」
誰かが泣いている……マナなのか?
続く痛みのせいで頭がぼんやりしてくる。
「負けるわけにいくか……私は負けない。マナを取り戻す、絶対にだ……」
ユウセイは呪文のように言葉を口にし続けた。
「ユウ……セイ」
彼の声に応えるように微かな声が聞こえた。
声の求めに応じるように、ユウセイは自分の右胸を押さえていた。
「マナ……」
「部屋から出て、お願い、あなたが危ない」
「マナ……なのか? 君を助けに来たんだ。君を助けない限り……わたしは……」
「あなたが死んでしまったら、わたしはどうすればいいの?」
「なら、出ておいで……一緒に帰るんだ。マナ……わたしと……」
すでに限界なようだった。
頭の中身がぐるんぐるんと激しく回転しているかのようだ。
強烈な吐き気に顔が歪む。
「マナ、私は絶対に負けない……君を……取り戻す……まで……」
言葉とは裏腹に、意識が薄らいでいく。
抗おうとするが、彼の決意を呑み込もうとする力は強大すぎた。
くそっ……負けられない……負けるわけにはゆかない。
マナをタスケルノダ……
タスケル……ト……ヤクソク……シタンダ……
「いやーーーっ!」
霞んでゆく意識の向こうで、叫びが聞こえた。
……マナ?
呼びかけたのか、思っただけなのか自分でもわからない。
意識が引っ張られ、どこかへと吸い込まれていく……
終わりか……終わりなのか……
いや、終われないんだ。終われない。
マナを、助けなければならない。
「マナを」
突き出した手が、ひんやりしたものに包まれた。
「ユウセイ……さん」
苦しげで哀しげな声が微かに聞こえ、ユウセイは瞼を開いた。
いや、瞼を開いたというわけではないようだ。意識がはっきりしてきただけ……
不思議な感覚だった。
どこか頼りなく……思考が揺らぐ……
「ユウセイさん?」
さきほどよりはっきりとした声。
「マナ」
目の前にマナミがいた。彼の手を握り締め、泣いている。
「マナ! 私は……君を助けられたのか?」
正直、驚いた。失敗し、すべて終わったと……
ユウセイは、マナミの手を握り返しながら、大きく息をついた。
「マナ。……良かった」
救えたのだ。救えた!
喜びが突き上げてきて、ユウセイはマナミを思い切り抱き締めた。
「マナ。すまなかった。君を忘れていたなんて……」
彼女の耳元に囁いたユウセイは、顔を上げてマナミの顔を覗き込んだ。
マナミはポロポロと涙を零している。
「ごめんなさい」
その謝罪に、ユウセイは戸惑った。
「どうして謝るんだい? 謝らなければならないのは……」
「違うの!」
マナミは苦しげに叫び、大きく首を振る。
「違う? 何がだい?」
それにしても、彼女は美しい。なんて美しく可憐に成長したのだろう。愛しさがさらに膨らむ。
「ごめんなさい。わたし……どうしよう」
どうしたというのか、マナミは両手で顔を覆い、「どうしよう」と、混乱したように繰り返す。
助かったと言うのに……どうしたというのだ?
泣く必要だってないのに……
ユウセイは意味がわからず、眉をひそめ、周りを見回した。
うん? ここは?
「マナ、ここはどこなんだい?」
まわりすべてが淡い青。何もない。
「賢者様やシュウメイ様、シズネ様はどこに?」
「ごめんなさい」
悲鳴のようにマナミが謝罪を繰り返す。
興奮しているマナミを落ち着かせようとユウセイは優しく抱き締め、彼女の背を撫でた。
「どうしたんだい? ようやく会えたのに、君は嬉しくないのか?」
ユウセイの言葉を聞き、マナミが顔を上げた。
いまさら、ユウセイの顔をまじまじと見つめてくる。
「う……嬉しい」
「うん? それだけ? あまり嬉しさが伝わってこないな」
ユウセイは少し拗ねたように言った。マナミは慌てたように首を振る。
「そ、そんなことない! けど……」
「けど?」
マナミは疲れたように息を吐き、ユウセイの手を取ると、自分の頬に当てる。
「ユウセイさんなのね」
「ああ、私だ。マナ、美しくなった」
マナミの頬がほんのり赤らむ。ユウセイは、マナに見惚れた。
「あの……」
マナミが口ごもる。
そうとう言い難いことのようだ。
だが、すでにこのときには、ユウセイも、この現状は只事ではないのだとわかっていた。
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