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第四話 わけのわからない事態
「あの女が何者か、お聞かせくださいませんか?」
家に戻り、またベッドに腰かけたユウセイは、厨房のほうでまたお茶の支度を始めた老人に問いかけた。
「そりゃあ、もうわかってると思いましたが」
老人は、手を止めず、振り返りもせず答える。
「私は、あんな女など、知りませんが」
「うーん。そういう意味じゃなくて……あのひとが貴方の敵ってことはすでに理解しているでしょう?」
確かに……突然攻撃してきたのだ。もちろん敵なのだろう。
「私が知りたいのは、あの女の正体ですよ」
「ですから、敵ですよ。貴方の」
駄目だ……この老人、まともな会話にならない。
「どうして、あの女に攻撃されなければならないんです」
「ですから。貴方の敵だから」
ユウセイは口の端をひくつかせた。
人と話していて、これほど苛ついたのは初めてかもしれない。
「攻撃される意味がわからないんですよ」
「敵だからなんですが……。あの女の残していった言葉は覚えているでしょう?」
女の口にした言葉?
そういえば……
「私の求めるものとか、言っていましたが……」
「そう、それ、それ。貴方は、取り戻すために行くんですよ、冒険に」
冒険?
「いったい何を取り戻せと? 私は知らない間に、あの女に何か大切なものを奪われたとでも?」
「奪われた……は、実のところ正解じゃないんだけど……色々あって……渡したくないし、渡されたくないしで」
ユウセイは言葉の意味を掴めず、首を傾げた。
老人は手を止め、優誠に振り返ってきた。ふたりの目が合う。
「でも、それは貴方という人物を知らないからなんです。嫌われてるわけではないから、がっかりしないで……」
老人の言葉にも、その瞳にも、妙な同情がこもっているように思えて、ユウセイは苛立った。
嫌われている? 私が? 誰に?
ユウセイはむっとして老人を見つめ返した。
「がっかりなど……」
「まあまあ、ともかく、貴方のタイムリミットは刻々と近づいている。み〜んな、気を揉んでるんですよ」
「タイムリミット?」
「ええ。貴方のお妃様を見つけださなきゃならないタイムリミットです」
ユウセイは顔をしかめた。
思い出したくないことを思い出してしまった。
「まったく、どうしてあんな法があるのか……別に幾つで結婚しようと構わないと思うのだが……」
「まあ、いまの貴方は、そう感じて当然でしょうね」
おや、ようやくこの老人と心が通じたようだ。
「ですが、未来の貴方はそう考えない」
付け加えられた言葉に、ユウセイは眉をひそめた。
「未来の私?」
「まあ、お茶を一杯どうぞ。心が落ち着きますよ」
にっこり笑って、カップを差し出してくる。
まるで、落ち着きを失くしていると言われているようで、ユウセイの苛立ちはさらに膨らんだ。
「お茶は必要ありません。ともかく、今日のところは城に帰らせていただきますよ。供の者たちを城の門の前で待たせているんですよ。今頃、やって来ない私のことを探しているはずです。すぐ戻らないと、騒ぎになってしまう」
すでになっているかも……
そう考えたユウセイは、ふいに自分がこんなところにやってきた経緯を思い出した。
そうだ。私は、わけがわからないうちに、ここに連れてこられたのだ。
それに、自然な流れで話していたが、この老人、彼が王子であることも知っている。もちろん、先ほどの危険な女もユウセイのことを知っていた。
つまり、ここにユウセイを呼び込んだのは、この老人でしかありえない。
先ほどの女の攻撃に対しても、助けてくれたとは言い難かったし……この老人、敵でないと言えるのか?
「それについては、手が打たれているようですよ」
「手が打たれてとは?」
「だから、ほら、さっきあのひとが言ったでしょう? いま現在、貴方は王子様じゃなくなってるんじゃないかなぁ」
「どういう意味です?」
「うーん、はっきりとはわからないけど……替え玉でも用意されたんじゃないかなって……」
「替え玉は? まさか、この私の?」
「はっきりとはわかりませんけど、あの言葉からいくと、そうかなと思えますね。まあ、それはそれで、城のひとたちを心配させなくて済むし、騒ぎにもならずに済むんだから、良かったじゃありませんか」
老人ときたら、晴れ晴れとした顔で明るく言う。
「そういうことじゃない。替え玉だなんて!」
憤りに駆られ、ユウセイは立ち上がった。
「まあ、落ち着いて。貴方が無事試練を終えて戻れば、何もかも元通りになるんだから」
「試練?」
「ほら、さっき言った冒険のことですよ」
ユウセイは頭を抱えた。
さっぱりわけがわからない。どうしてこんな事態に?
ユウセイは疲れを感じつつ、再びベッドに腰かけた。
「貴方は、いったい何者なんです? 私は先ほどまで城内の裏庭にいた。なのに、いまはこんなところにいる。どうしてこんなところにいるのか、はっきり教えてもらいたい」
「私は、名乗るほどたいしたもんじゃないし……貴方がここに来たのは、仕掛けられたトラップのひとつに貴方が見事嵌ったからです」
「トラップ?」
「言っときますけど、トラップを仕掛けたのは、私じゃないですよ」
「では、誰が?」
「あれれっ? 会ってないんですか?」
「トラップを仕掛けた者に、ですか?」
「ええ。数日前から遠足気分で、準備段階から、そりゃあもうすっごいはしゃぎようで。んで、さっき勇んで出かけて行ったんだけど……」
ユウセイの脳裏に、はっきりとひとりの人物の姿が浮かび上がった。
老人が言っているのは、あのおかしな花売りのことではないだろうか?
そうだ、あの花売りも、先ほどの女と同じようなことを……
「あの花売りのことですね?」
「そうそう。花売りですよ」
そういえば、あの花売り……ひどく心を惹かれる花を持ってた。
「ご老人。花売りが持っていたあの花……あの花は、この近くに咲いているんですか?」
「咲いてなんていませんよ。あれは普通の花じゃないですからね」
「作り物ということですか?」
「あれは、化身ですよ」
ユウセイは眉をひそめた。
「貴方は、目にしたあの花を頼りに、求めるものを探しにゆくのですよ」
「なぜ?」
「ほらほら、飲まないと、また冷めてしまう」
老人は、またカップを差し出してきた。
「初めてのひとには、ちょっと不思議な味だろうけど、とてもおいしいんですよ」
正直、こんなわけのわからない状況で、わけのわからない老人が居れた、わけのわからないものなど口にしたくない。それでも、礼儀としてユウセイはカップを受け取ることにした。
老人はうんうんと頷き、この部屋にひとつしかない椅子に座り込んだ。
ユウセイは、手にしているカップの中身を窺った。
色はこげ茶で澄み切っている。色合いだけなら紅茶のようだが……
用心しつつ匂いを嗅いだユウセイは、「うっ」と呻き、顔をしかめた。
「これは……刺激臭が……しますが……」
カップを遠ざけつつ、ユウセイは老人に目を向けた。老人は自分のカップを口につけて飲んでいるところで、「うん?」と言いながら目だけ向けてきた。
この老人、こんな刺激臭がする飲み物を平然と!
い、いったいどんな嗜好をしているのだ?
「ああ、そうか、最初の刺激臭が気になるんですね。それについては気にしないで。まあ飲んでみてください。一口飲めばもう大丈夫ですから」
「いや、悪いんですが……口にあわなそうだ」
「いけないなぁ。冒険者になるっていうのに、そんな風に冒険心を持たないっていうのは……」
「冒険者になどなるつもりは……」
「ですが、ならなきゃ、貴方は王子様に戻れなくなりますよ。それに、お妃様も見つけられないし、冒険者どころか、行くあてのない放浪者になってしまうんじゃないかなぁ」
「どうして、そんなことにならねばならないんです?」
「どうしてって、そう決まったから」
「誰が決めたと? 勝手に決められて、従うつもりなど……」
「この世には、そういうことが往々にしてあるものなのですよ。だいたい貴方も、王子様になろうとして王子として生まれたわけではないでしょう? 生まれたら王子様だった。それだって勝手に決められたようなものじゃありませんか」
「屁理屈ですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
ユウセイはそう答え、小さな丸いテーブルの上に手を付けていないカップを置いた。
「私はこれで帰ります」
「無理ですよ」
「腕づくで引き止めるつもりですか?」
「いや、そんなことはしませんよ。出て行っても、疲れるだけですよ」
「それは……また先ほどの女が襲ってくると?」
「いや、あのひとはもう来ませんよ」
ユウセイはほっとした。それなら、危険もないわけだ。
だが、この老人の言うとおり、もうあの女が現れないにしても、ここから丸腰で帰るのは危険かもしれない。
「すみませんが、なにか武器はありませんか?」
「武器ありますよ」
「それでは、それを貸してもらえますか? 城に帰り着いたら、お礼の品とともに城の者に……」
「ですから、貴方は帰れませんって。冒険するしかないんですよ。いま口にした武器は、貴方が冒険に行くときにお渡しすることになってるんです」
その言葉を聞き、ユウセイは眉を上げた。
ならば、ともかく冒険に行くと言って、武器を借りるとしよう。
騙すようで申し訳ないが……この場はいたしかたない。
「わかりました。では、冒険に行にゆきましょう。武器を貸してください」
「出発は明日の朝ですよ」
そう言うと、老人は空になったらしいカップを手に立ち上がり、厨房に歩み寄ってゆく。
「まさか、今夜、ここに泊まれと?」
「はい。さてと、それじゃ僕は、そろそろ夕食作るとするかな。ねぇ貴方、味つけは、辛いもの甘いもの、どっちが好きですか?」
ユウセイは、我慢が切れた。
もういい!
先ほどの女はもう現れないというし、ここから帰るならば、さっさと出発した方がいい。
わけのわからない冒険に向かうつもりはないし、どうして、このうさん臭すぎる老人に従わねばならないのだ。
勢いよく立ち上がったユウセイは、そのまま外に出た。
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