|
第六話 苛立ちの晩餐
「いい湯だな……」
自分の声が狭い空間に響き、ユウセイは眉を寄せた。
ずいぶんとくつろいだ声に聞こえたのが、自分への裏切りに思えて、ため息をつきながら濡れた手で前髪を掻き上げる。
湯船の周りを眺め回し、渋い顔を取り繕う。
誰に対してでもなく、自分に対して取り繕っている現実が、苛立つし落ち着かない。
まったく、なんでこんなところで、風呂に入ってるような事態になっているのか?
嵌められて、ほとんど拉致されたようなものだ。
おかしな花売り娘に、おかしな老人、そしてこの不審な場所。いや、空間……と言った方が正しいのだろうか?
ユウセイは疲労を感じる脚に手を当て、やわらかく揉みほぐした。
あんなに歩いたというのに……結局この場所から抜け出せなかった。
流れてゆく花を見て動転して、川に飛び込むなんて、なんであんなことをしたのか……不可解だ。
なぜあんな感情にかられたのか、いまとなるとわけがわからない。
必死の思いで流れの中から花を拾い集め、這う這うの体で岸辺に辿り着いた。
そんなユウセイをあのふたりはずっと……たぶん楽しそうに眺めていただけ……
待ち構えていたふたりから、濡れたついでに風呂に入れと、ここに押し込まれたのだ。
それにしても、川岸にあったドームが、まさか風呂場だったとは……
ユウセイは、自分が入っている浴槽に手を滑らせた。
楕円形をした真っ白な浴槽。手触りはすべすべだが、素材が何やらわからない。
ユウセイが知っている浴槽は、だいたいが金属を溶かして作られたもの。
これは金属の類ではない。
浴槽には常にお湯が流れ込んでいる。このお湯、温泉のように地下からコンコンと湧き上がってきている。
うまい具合に温泉の水脈を掘り当てたというわけじゃなさそうだ。
これも、なにやら魔術の一種に違いない。
充分身体も温まり、ユウセイは湯船から出た。
着替えは、老人が持ってきてくれている。ユウセイは、着替えの入っているカゴをじっと見つめた。
あれを着るしかないんだろう?
あのおかしな老人が着ていた服装を思い出し、ちょっと顔が歪む。
貸してもらえるのは嬉しいのだが……
あれ……だしな……
老人の衣服は、なんともおかしなデザインだった。色は、何日、いや、何年着替えていないんだと思ってしまうくらい、汚らしい色で……清潔だと思うのだが……まあ、そういうふうに感じてしまう色だったのだ。
シャツとズボンという普通の服が良かったのに……
カゴを手に取り、中を覗く。
うん? これは?
意外だが、普通の服に見える。
老人の服……じゃないのか?
ともかく、ほっとしつつユウセイは服を着た。
ブラウン系のズボンに、かっちりとしたクリーム色のシャツ、そしてブラウン系の上着。
靴も置いてあった。こちらもブラックブラウン。
ユウセイは自分の着込んでいる服を眺めまわして、笑みを浮かべた。
そういえば、ブラウン系の服は、あまり着たことがないな。
うん?
カゴに、まだもう一枚服が残っているようだ。なんだろう?
手を伸ばして拾い上げてみると、どうやらマントのようだった。
「ほおっ」
思わず声を上げてしまう。ずいぶんと上質な品のようだ。柔らかな手触りでしかも軽い。
これもブラウン系だ。
おかしな老人だ。なぜマントまで?
こんなもの、風呂上りに身に着ける必要性を感じない。
ユウセイは、マントを手に下げ、風呂場から出た。そして驚いた。
外はすっかり日が暮れている。
あんなに明るかったのに、いつの間に日が沈んだのだろう?
無意識に空を仰いで、また驚いた。
空一面に星が瞬いている。
ユウセイは、その美しさに感嘆して目を見開いた。
驚いたな。こんな美しい星空を見たことがない。
「王子さまぁ〜!」
家の方向から、花売り娘が叫んできた。
「ご飯冷めちゃうから、早く早く。もおっ、お腹すいちゃって死にそうなんだから」
やれやれ……まったく騒がしい花売り娘だ。
ユウセイは、苦笑しつつ家の方へ駆けて戻っていった。
「王子様、その服、良く似合ってるわよ」
「服を貸してもらえてありがたいのだが……これは誰の服なのかな?」
「勇者のですよ。もちろん」
また勇者か?
「まさか、私用にあつらえられたものとか?」
「そうですよ。ぴったりでしょ?」
確かに、サイズはぴったりだ。
花売り娘は扉を大きく開け、家の中へと入り、ユウセイが入ってくるのを待つ。
家の中に入ったユウセイは、厨房でカタコト物音を立てている老人に視線を向けた。
「さあ、座って。王子様も、お腹が空いたでしょ?」
部屋の中央には大きなテーブルがあり、美味しそうな料理が所せましと並べてあった。
美味しそうな匂いに空腹感を覚えるものの、先ほどまでなかった大きなテーブルに不審な目を向けてしまう。
「ほーら、座って。食べましょう」
椅子をポンポンと叩き、花売り娘が促す。ユウセイは口を曲げつつも、椅子に座った。
「さあ、食べてください」
食卓についた老人の言葉で、花売り娘が「いっただきまーす」と大声で叫び、食べ始めたのをかわきりに、晩餐が始まった。
たぶん老人が全部作ったのだろう。どれもこれも美味しい。
みんな食事に没頭し、会話をすることもなくほぼ食べ終えた。
お腹を満足させたユウセイは、手元に置いてあるカップを手に取り、無意識に口へと運んでごくんと飲んだ。その瞬間、気づいた。
こ、これは先ほど、老人から勧められた……
嫌な匂いが鼻をつき、顔をしかめたユウセイは次の瞬間、目をパチパチさせた。
う、うまい……
「どうです。美味しいでしょう?」
老人がにこやかに問いかけてきた。
「あ、ええ。確かに美味しい。こんな美味しい飲み物は飲んだことがない」
「あーーっ。まさか、それ、わたしの?」
「いいだろ。王子様も喜んでる」
「あんたね、どんだけ時間と手間暇かけてそれ作ってると思ってんのよ?」
「三百年」
「キーーーッ。正解すりゃいいってもんじゃないわよ」
「質問したから、答えたのに……振る舞って美味しいって言ってもらえたら嬉しいだろ?」
「だーかーら、お客様用があんでしょ? あれだって、百年物なのよ。なんの文句があるのよ?」
「別に文句はないよ。けどさ、こっちがうまいから、こっちを出しただけだし」
「あんたはねぇ、どーして、そうへらんへらんしてんのよっ」
「そんなこと言われても、こういう顔だもんなぁ」
キーキー文句を言っている花売り娘など平気のへいざという様子で、老人は花売り娘をかわす。
そんなことより、ともかくうまかった。
「しょうがない。明日は冒険に出掛けるんだし、手向けの酒と思って許してあげるわ」
「どうして私が冒険などに出かけなければならないんです?」
ユウセイは、このチャンスに改めて問いかけ、この世のものとは思えないうまい飲み物を、残りの量を気にしつつコクンと飲んだ。
一口飲んだ後は、あの耐え難かった匂いも消え去り、味に引けを取らない、なんともかぐわしい良い香りがする。
それにしても、三百年かけて作ったとは本当のことなのか?
いったい、原料はなんなのか?
「あなたの……」
ユウセイは、そう口にした花売り娘に顔を向けた。
花売り娘は、ユウセイと目を合わせ、目玉をくるんと上に向けて考え込んだあと、急に胸を張った。
「決まっておるからじゃ。おぬしは勇者。我は導く者。そして……」
「導く者?」
「もおっ、まだ続きがあるのにぃ。決め所なんだから、きちんと言わせてくれないと」
むっとして唇を突き出しながら言う。
「決め所?」
「そうですよ。かっこよく台詞を決めようとしてるのに」
「まあまあ、そんなことはどうでも……」
「よくないっ!」
老人が言葉どおりどうでもよさそうに言ったが、花売り娘に噛みつかれた。
「ふたりとも、もっとちゃんと空気を読んでよっ!」
ふたりを怒鳴りつけた花売り娘は、ほっぺたを完全にふくらませた。
「さっぱり意味がわからないのに、そんなことを求められても困るのだが」
「いいんですよ。わからなくても」
老人は花売り娘に睨まれながら、ユウセイにそう言ってにっこり笑う。
この老人の存在に、救われるな。
「ともかく」
注意を引こうと大きな声で花売り娘が言い、ユウセイは振り向いた。
彼の視線が自分に向いたのを確認し、花売り娘は両手を腰に当てて、ぐっと胸を反らした。
「王子様のことは、これからはユウと呼ばせてもらうわ。王子様は禁句。あなたは明日から王子様じゃないの。これだけは絶対に忘れちゃ駄目よ」
「私の替え玉がいるとの話は本当なのか?」
「えっ?」
ユウセイの問いに、花売り娘はいたく驚いたようで、目を丸くする。
「そ、そのこと、どうして知ってるの?」
「俺。たぶんそうなんだろと思ったから……」
のんびり答えた老人に、花売り娘がキッと睨む。
「もおっ、想像で言わないでよ」
「わたしの替え玉がいるのか? 本当に?」
「まあね。だって、王子様が消えたら、お城が騒ぎになるもの」
花売り娘は両手を上げて肩を竦める。
「大丈夫なのか?」
「それについてはなんの心配いらないわ。それより、明日の出発は日の出前よ。今夜は早めに寝ないとね」
「寝ると言っても……ここの床に寝るのか?」
ユウセイは、周囲を見回し、顔をしかめて尋ねた。
この家のベッドはひとつ、なのにここには老人と花売り娘とユウセイの三人がいる。
正直、硬そうな床に横になりたくないのだが……。
「ここのベッドはわたしのよ。ユウはケイスケのところに泊めてもらえるわ」
「ケイスケ? そのひとの家はどこに?」
「そこの裏口から出るの」
花売り娘は表のドアの反対側を指さす。
ユウセイは眉をひそめて、指さされた方へ目を向けてみた。
他にドアなどなかったはず……
「さっきまで、こんなドアはなかったと思うんだが?」
「必要じゃないときに、あっても意味ないでしょ?」
「ドアのあるなしは、そういうことではないと思うのだが?」
「まあ、まあ、この場所は王子様も……いや、ユウさんか……ユウさんも薄々気づいているように、特殊な空間なんですよ」
「ここはいったいどこなんです?」
「異種空間」
花売り娘がなんでもないことのように言う。
「どうしてそんなものが……」
「あるから、ある。それだけのことよ」
「そして私は、明日、貴方がたの言う冒険に出掛けなければならないのか?」
「そのとおり」
「この異種空間から、いつ帰れる?」
「日数はわたしたちにもわからないけど、目的達成したら帰れるわ」
「目的達成?」
「そ。花を探し出し、手に入れられたら」
その言葉で、ユウセイはハッとした。そして部屋を見回す。
な、ない?
「あの花はどこだ!」
「もうここにはないわ」
当たり前のように花売り娘が言う。
「は? な……い?」
ユウセイはぽかんとしてふたりを見た。
ふたりしてこくりと頷く。その瞬間、怒りが爆発した。
「どういうことだ!」
ユウセイの怒号に、ふたりは同時に耳を塞ぐ。
「ここにないだけよぉ。いまは、あるべきところにあるわ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味。旅の目的は花を探しに行くことだって、いま言ったでしょ?」
「意味がわからない。もう手にしたのに……ここから消え、探しにいけとは……」
「手にしてないわよ」
「流れてゆく花を、泳ぎまわって拾い集めたじゃないか」
ユウセイはイライラと歯噛みしながら申し立てた。
「だから、あれじゃ駄目なの。実際は手にしてないの」
「意味が……」
「ユウさん、冒険に出掛けさえすれば、すべてがはっきりしますよ」
なだめるように言われ、ユウセイはむっとしながらも反抗を止めた。
胸にはわだかまりがあったが、花売り娘におやすみと見送られ、老人の後に続いて、新たに現れた裏口から外に出た。
外のひんやりした空気を吸い込んだユウセイは、目前に堂々とした館があっても、もう驚いて見せたりはしなかった。
|
|