|
第七話 勇者の剣
「はぁ」
目が覚め、朝の光を瞳に受けた途端、ユウセイはため息をついた。
今日は六月八日か……これで、ひと月を切ってしまったんだな……
ぼおっとした頭で片肘ついてベッドから身を起こした彼は、目を閉じて前髪を掻き上げた。
彼が望む妃は見つけられぬまま……このままでは望みもしない女性を妃として娶らねばならなくなる。
未来が暗く翳り、心が憂鬱に支配される。
どうすればいい……どうすれば……
片足をベッドの外に出し、悩みながら立ち上がる。
うん?
周囲を見回し、ユウセイは目を瞬いた。
こ……こは?
その瞬間、ぼんやりしていた頭がすっきりと晴れた。
そして、忘れていた自分にむかついた。
そうだった。昨日、散々色々な目に遭わされたんだった。
ユウセイは自分が着ている生成り色のパジャマを目に入れ、それからチェストの上に綺麗に畳んで置いてある服に視線を向ける。
勇者の服……か。
そのとき、扉を叩く音がし、老人が扉の向こう側から声をかけてきた。
「ユウさん、起きてますか?」
「ええ。起きていますよ」
「朝食にしますよ。すぐ出てこられますか?」
「いま起きたばかりなんです。すぐに着替えますよ」
「はい。お願いします」
老人が扉の前から離れてゆく足音が聞こえ、ユウセイはすぐに身支度を始めた。
不本意だが勇者のための服を着込み、マントを手に部屋から出る。
昨日使わせてもらったから、洗面所の位置なども把握している。
顔を洗って用を足し、玄関にゆくと、老人がユウセイを待っていた。
「この館は、他には誰も住んでいないのですか?」
シーンと静まり返った館に、ふたりのほか、ひとの気配はない。
「そうですよ」
「これだけの館の維持は大変でしょう?」
だが、掃除は行き届いていた。
「この館は、めったに利用しないんで」
「めったに利用しないとは?」
「客用なんですよ。僕の家は別にあるんです」
「別にある?」
「こんなに広い家、普段は必要ないから。しまってあるんですよ」
「し、しまって……とは?」
「しまってあるっていうより他に、答えようがないんだけど……ともかく、朝食にしましょう。それから出発前にちょっと訓練もしなきゃだし」
老人はそう口にしながら、扉から外へと出て行く。ユウセイもそれに続く。
いまこの老人、訓練と口にしたが……ユウセイになんの訓練をさせようというのか?
剣術だろうか?
この風貌からは想像がつかないが、もしや剣の達人だったり?
そんなことを考えながら、朝もやの中、老人の背中を見つめ小道を進む。
すぐに花売り娘の家の裏口に着いた。
いい匂いが漂っている。
空腹を感じつつ、家に入る。
「おはよう」
「はーい。さあ、ふたりとも座ってぇ。腹ごしらえをしたら、即出発よ」
老人の肩越しに花売り娘の姿を目にし、ユウセイは吹き出しそうになった。
今朝の花売り娘ときたら、短い丈の赤いワンピースに、真紅の艶のあるマントを羽織っている。ブーツも真っ赤だ。
「こりゃ、気合い入ってんな?」
「当然! 大冒険に出発だもん。導く者としては気合入れた格好しないとね」
「気合いを入れると、そんな格好になるんだ。へーっ」
老人は感心したように言う。だが、花売り娘はむっとした。
「なんか馬鹿にしてない?」
「いやいや、目立っていい。ぼんやりした色より、絶対いい。お前が敵の標的になれば、ユウさんが楽だ。うんうん」
「はあっ? そんなつもりはないわ」
「まあまあ、朝飯食べようぜ。ユウさん、ほら座って食べましょう」
「ああ……はい」
ユウセイはぷりぷりしている花売り娘から視線を外し、椅子に座り込んだ。
朝食なのに、ずいぶんと豪勢だ。城の朝食よりも……格段に……
「さあ、しっかり食べて、力を蓄えてください」
「あの……」
ユウセイはカップに目を向けながら声をかけた。
「なあに?」
「これは、昨日の飲み物じゃありませんよね?」
「当然、あれはもう出さないわよ、ユウ」
花売り娘の宣言に、ユウセイはがっかりした。
「ケチだなぁ」
老人が顔をしかめて言う。
「こっちだって百年物よ。まあ、飲んでみて。これだって美味しいんだから」
花売り娘に言われ、ユウセイはカップに口をつけてみた。
一口飲み、確かにと思う。
「うん、うまい」
昨日の三百年物という飲み物を味わっていなければ、感動してしまうだろうほどうまい。
「ほーらー、あんたが先に三百年物出したりするから、百年物の価値が薄れたじゃないの」
「そんなことはない。これはこれで美味しいよ。ねぇ、ユウさん」
「ええ。美味しいですよ。昨日のものがこれ以上に美味しかっただけで……」
「まあ、そりゃそうよね。そうだ。ユウ、今回の冒険を無事完了させられたら、三百年物、プレゼントしてあげてもいいわ」
花売り娘の申し出に、ユウセイは瞳を煌めかせた。
「ほおっ。これは頑張らないとならなくなったな」
「ユウってば、案外単純ね」
全身真っ赤な花売り娘は、楽しげにけらけら笑う。
ユウセイは、百年物の飲み物を味わいながら、朝食を食べた。
満腹になり、また違う種類の飲み物を振る舞ってもらい、食事を終える。
「さーて、腹ごしらえも終わったし、いよいよ出発ね」
「その前に、マントの使用法とか説明して訓練するんじゃないのか?」
「あ……ああ、そうだった。それじゃ、わたしがここを片付けてる間に、あんた、ユウにさくさくっと教えといて」
「わかった。それじゃユウさん、外に……ああ、そうだ。おい、剣は?」
「あっ、だった、だった。ちょいと待って」
花売り娘はパタパタと駆けだし、部屋の隅に行くと大きな箱を手にして戻ってきた。
紺色のビロードの布と金の枠で飾られた箱は、貴重品が入っていると思わせられる。
花売り娘は、その箱をユウセイに手渡してきた。
「さあ、ユウ、開けて。勇者の剣よ」
この中には、もちろん剣が入っているのだろう。
勇者の剣か……
思わず胸が高鳴る。
ユウセイはそっと蓋を開けた。
「うん?」
箱の中は空っぽだった。
「何も入っていないようだが……」
「これ、見えない?」
花売り娘が眉をひそめて聞いてきて、ユウセイも眉をひそめ返した。
「何か見えるとでも?」
「何か足りな……あっ、マントよ、マント」
「マント?」
「それ着てないから見えないの」
ユウセイが座っていた椅子の背にかけてあるマントを指さして言う。
「ああ。そのままじゃ、彼に魔力がないからね」
「魔力?」
「ともかくマントを羽織って」
腑に落ちない気分で、ユウセイは言われるまま、マントを取り上げて羽織った。
「あ……熱い」
どうしたことか、全身がぐわっと熱を持った気がした。
さらに、腹の中心から、なにやらぶるぶると震える感じがする。
「ほら、今度は見えるでしょ?」
ジンジンしてきた両手を、眉を寄せて見つめていた優誠の前に、花売り娘が先ほどの箱を差し出す。
ぎょっとするほど切れ味の良さそうな光を放つ剣があった。
「どう、見えましたか?」
ユウセイは、問いかけてきた老人に頷いた。
「見える……ずっと入っていたのか?」
「早く手に取って。触れると身体に馴染むから」
ユウセイは恐る恐る手を差し出した。
手に取り、無意識に天に向けてささげてしまう。
「うわあっ、勇者様、かっこいいー!」
花売り娘が、きゃっきゃっとはしゃぎながら叫ぶ。
ユウセイは苦笑した。
「うん。さすが、様になるな。それじゃ、外に出ましょう」
老人から背中を押されるようにして、ユウセイは剣を手に出口に向かった。
|
|