シュガーポットに恋をひと粒



48 内緒です



う、うーむ。

どうしよう?

行くべきか、行かざるべきか?

窓の外を眺め、朝の五時半、歩佳はそんな選択で苦悩していた。

七時半には出勤のために家を出るから、六時半には朝ご飯を食べたい。

朝ご飯の支度は三十分くらいあればいいし、あと一時間の余裕がある。

けど、顔を洗って着替えてお化粧もしなきゃらないし……

でも、散歩に行くのに、きっちりお化粧してるのって、変かな?

歩佳は腕を組み、眉を寄せて考え込む。

だけど、すっぴんで外に出るというのもなぁ。

柊二さんと出くわす可能性だって無きにしも非ずなんだし……

それに服装はどんなのにすればいいのかな?

ジョギングするわけじゃないから、スポーツウエアじゃないほうが自然だよね?

となると、普段着?

普段着かぁ……どんな服を着よう?

散歩によさそうな服って、どういうのがいいわけ?

疑問がどんどん湧いてきて、歩佳はイライラして頭を掻きむしった。

もおっ、柊二さんに散歩してるなんて答えちゃったもんだから……

嘘にしたくなくて、散歩に行かなきゃって考えてる自分に呆れちゃうわ。

でもなぁ……バカっぽいかもしれないけど、やっぱり嘘にしたくないんだよね。

よし、行こう!

早朝の散歩自体は、絶対気持ちいいもの。

健康的だし、嘘から始めるにしても、これからの習慣にしてしまおう。

そう決めた歩佳は、もう迷わず身支度をした。そして十分後には用意を終えていた。

けれど、散歩に出かけようとして、美晴の部屋の前で、どうしたものかとまた悩むことになった。

美晴はまだ寝てるみたいだ。

散歩に行ってくるって、声をかけたほうがいいかもしれないけど、寝てるところを起こすのも悪いし……

そうだわ。散歩してくるからねって、メモを残していけばいい。

歩佳はポンと手を打ち、自分の部屋に駆け戻ってメモに要件をしたためた。
そして居間のテーブルの上にメモを置くと、安心して玄関に向かった。

スニーカーを履いて、前かがみになって靴紐を結んでいたら、背後でドアが開く音がし、歩佳はハッとして後ろに首を回した。

パジャマ姿で寝ぼけ顔の美晴が、歩佳が振り返ったと同時にこちらに向いてきて、互いの目が合う。

「へっ? 歩佳? ……まだ朝早いよね? こんな時間に、どこに行くの?」

その質問に答えるのは、ちょいと気まずい。

「えっと……その……散歩に」

「えーっ、歩佳、散歩に行くの?」

「う、うん」

頷いたものの、顔が赤らんでしまい、恥ずかしいったらない。

「そうなんだ。いいねぇ。……あっ、ちょっと待ってよ。私も付き合う」

えっ?

「美晴、一緒に行くの?」

「行く、行く~っ♪ 顔洗って、すぐに着替えるから、待っててね」

美晴は弾んだ声で叫び、洗面所に駆けこんでいった。

そんなわけで、思いがけず美晴と散歩することになった。

嘘にしたくないための散歩だったけれど、美晴が一緒に行ってくれることになって、歩佳は一気に楽しくなってきた。

「早朝の空気って、すがすがしいねぇ」

大きく息を吸い込みながら美晴が言う。ちょうど公園に踏み入ったところだ。

「それにしても、けっこう、散歩してるひといるんだねぇ」

公園を見回す美晴と同じように、歩佳も周囲を見てみる。

犬を散歩させてる人が大半だけど、ジョギングしているひとがちらほらいる。

「このあたりって、やっぱりいいね。自然もいっぱいだし……あれっ? あ、ああっ!」

物珍しそうにキョロキョロしていた美晴が、どうしたのか急に声を張り上げた。

「どうしたの?」

驚いて声をかけたら、美晴は「ああっ、そっ、そうか!」と叫び、ひどく顔をしかめた。

「美晴?」

戸惑ってもう一度声をかけたら、美晴がこちらに向き、唇を突き出す。

「歩佳、そういうことなら、そう言ってくれればよかったのにぃ」

うん?

「あの、どういうこと?」

美晴が何を言っているのか、こっちはさっぱりだ。

「早朝デートだったんでしょう」

へっ?

「早朝デート?」

「ほーらー、こっちに向かって駆けておいでじゃん」

美晴の指さすほうに顔を向けてみたらば、なんと恭嗣がいた。

確かに、こちらに向かって走ってきているけど……

「美晴ってば、違うよ」

「照れない、照れない」

美晴は、にやにや笑ってからかってくる。

まったくもおっ。わたしと恭嗣さんはそういう関係じゃないって否定してるのに、美晴は思い込んでしまってるんだから、困るわ。

そんなやり取りをしているところに、恭嗣がやってくる。

「おはよう」

ジョギング中なので、彼は足踏みを続けつつ、話しかけてきた。

その目は愉快そうだ。

「おはようございます。恭嗣さん」

美晴は少し興奮気味に挨拶した。

「おはようございます。巡査殿」

歩佳もいつも通りの挨拶をする。

すると恭嗣は苦笑を見せ、「君らにまで会うとはな」なんて言う。

「君らにまでって……あっ、もしや弟たちですか?」

美晴の言葉に歩佳の心臓が跳ねる。

えっ! お、弟?

「たちではなく、君の弟だけだが……向こうのほうで行き違った。何をしているのかと聞いたら、散歩だと言うから、どうせならジョギングしたらどうだと勧めておいた」

柊二さんも、散歩してたんだ。

うわーっ、残念!
会えたら嬉しかったのに……

もうアパートに戻っちゃったのかな?

「へーっ、柊二が散歩? ああ、あいつもわたしと同じかも。わたしも、散歩してみたくなっちゃったし」

「君らも散歩か。どうせなら、ジョギングしてはどうだ?」

「わたしたちは、近場をのんびり歩くだけでいいんです」

「ちょ、ちょっと歩佳、そんなことないよ。わたしはジョギング大賛成だよ」

美晴ってば……

「そうか。ならば、ふたりとも明日から私と走るか?」

恭嗣は冗談のように言ってきた。
本気ではないのは分かったが、念のため「走りません!」ときっぱり断っておく。

恭嗣さんは、とんでもない距離を走っているに違いないもの。

「恭嗣さん、何キロくらい走っているんですか?」

気になったので、試しに聞いてみる。

「その日によって違うが……十キロから二十キロというところだな」

なんてことないように口にされた言葉に、美晴が目を剥く。

これで、とてもついていけないと分かっただろう。

「あのお、恭嗣さんは、歩佳と早朝デ……むぐっ!」

歩佳は慌てて美晴の口を塞いだ。

「だから違うってば」

「違うって、なんのことだ? 歩佳君」

「なんでもありませんよ。さあさあ巡査殿、我々にかまわず、ジョギングを再開してくださいませ」

「そうか。では、そうさせてもらおう」

恭嗣は軽く手を振ると、あっさり走り去ってしまった。

「鍛えられた筋肉が美しかったねぇ」

どんどん小さくなっていく恭嗣の背中を見つめながら、美晴はそんな発言をする。

筋肉が美しいって……

「アスリートの身体だよ。憧れるなぁ」

「わたしは、美晴に筋肉質な身体になんか、なってほしくないけど」

「筋肉質って言われると、わたしもちょっと嫌だけど……しなやかなアスリートの身体って、憧れるじゃん。ああ、でも、それだと柊二の身体がそれかもね。あいつ、バスケで結構鍛えてたからさ」

そうそうそうなのよね。柊二さんは、かなり本格的にバスケをやっていたらしい。

いまはもう、引退してしまったはずだけど……

柊二の高校は、バスケの強豪校らしいのだ。

けれど、試合結果がどうだったのかは聞けずじまいだ。

ネットで調べればわかるだろうし、美晴に聞けば教えてくれるんだろうけど……なんか妙にドキドキしちゃって。

県大会まで進めたのかな? それとも地区予選で終わっちゃったんだろうか?

もしかするとインターハイまで行けたのかもしれないけど……もしそこまで行けたなら、美晴は教えてくれただろうと思うのよね。

となると、そんなにいい結果を残せなかったのかな。

けど、バスケをする柊二さん、かっこいいんだろうなぁ。

そういうところも、見たくても見られないんだもん。ほんと残念。

そんなわけで、柊二に会えぬまま、早朝の散歩は終わりを迎えたのだった。

しかし、修二さん、アスリートの身体なのか?

見てみたいかもぉ~♪

と思ったことは、誰にも内緒です。





つづく




   
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