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103 ソーン 〈素直に頷き〉
う……ん。
意識が薄く明け、ソーンはゆっくりと瞼を開けた。
もう朝か? ……だが、まだ辺りは暗い。
ベッドの枕元に置いてある灯りをつけようと手を伸ばしたが、何も触れない。
うん、どうしたことだ?
なんとなくいつもと違う雰囲気に、ソーンは身を起こした。
誰かいる!
驚いて飛び起きたら、「どうしたソーン?」と声をかけられた。
キルナの声だ。そこでようやく思い出した。
そうだった。僕は里を出て勇者様達と……
周りを見回し、キルナとゴーラドが寝ているのは確認できたが、ティラの姿がない。
「キルナ様、勇者様のお姿が」
「あいつは家に帰ってるぞ」
そう答えつつ、キルナは部屋の灯りを付けた。
「はい? そうなのですか? 勇者様の家はこの近くなのですね」
「いや……近くではないと思うぞ」
近くではない?
「ですが昨日も、数時間の間に一度家に戻られたようですが……」
「深く考えても仕方ないぞ。あいつはそういうやつだからな」
その返事に、どう考えればいいのかわからなくなる。
「それより、お前の耳はどうなった?」
耳!
ハッとして両耳に触れたソーンは、いつもと形状の違う自分の耳に絶句する。
確かに人間の耳になるという薬をつけていただいた。それは分かっているのだが、実際に形が変わってしまっているのを実感し、言葉が発せない。
「見せてみろ」
キルナが近づいてきて、ソーンの耳を確認する。
「驚きだな。人間の耳になっているぞ」
「そ、そうですか」
耳の形状が変わっただけなのに、まるで自分が妖精族から人族になってしまったようで、激しく動揺してしまう。
「腹は減ってないか?」
「はい。あ、そうですね」
腹を意識すると、空腹だった。
「お前が仲間になって盛大に祝いをする気だったらしくて、ティラは山とご馳走を作ってくれてたんだが、薬のせいでお前が起きなかったから、ひどく残念がってたぞ」
「それは申し訳ないこと……えっ? ゆ、勇者様が食事の用意をなされたのですか?」
「ああ、いつもティラがやってくれるんだ。あいつの飯はうまいぞ」
「で、ですが、勇者様なのですよ。これからは従者である僕が作らせて……」
「お前、料理ができるのか?」
そう聞かれて、黙り込む。
実のところ、料理は作ったことがない。里では調理担当の者がいて、三食、食堂に行って食べていた。ソーンの役目は結界の維持と武器防具作り、そして修練者たちに魔獣との戦い方を教えることだった。
「作ったことはありませんが、なんとかなると」
「無理するな。苦手なことをやることはない」
「ですが……勇者様に作っていただくわけには」
「勇者様ってのは、もうやめたらどうだ?」
「そのようなわけには」
「お前は、勇者の従者としてついてきたのかもしれないが、私達はお前のことを仲間だと思ってる。ティラもその方が喜ぶと思うぞ」
「ですが……従者でなければ、ついてきた意味がなくなります」
思わず肩を落とす。
「そんな意味は必要ないだろ」
寝ていたはずのゴーラドが急に話に割って入ってきた。見ると、身を起こしている。
「ゴーラド様」
「これまでソーンは狭い世界で生きてきた。これからは広い世界を見て、学ぶことがたくさんある。それこそがついてきた意味となるんじゃないのか?」
「ゴーラドにしては、いいことを言う。それよりゴーラド、お前、目が覚めたなら、ソーンの食事を用意してやってくれ。私はそういうのは苦手でな」
ゴーラドは苦笑しつつ立ち上がった。そしてソーンの顔を楽しそうに見てくる。
「耳の形が変わっただけで、人が変わったみたいに見えるから不思議なもんだな」
その言葉に、キルナも再びまじまじと見てくる。
「本当だな。どこからどう見ても人間だ。儚い美少年ってところだな」
「儚い?」
「ソーン、ついてこいよ」
ゴーラドはソーンを促し、厨房に向かう。
「ほら、行って食ってこい」
キルナにも促され、ソーンはゴーラドの後について行った。
厨房には綺麗に皿に盛りつけられた料理が並んでいた。
「美しい」
思わずそう呟いてしまう。残り物だと思ったのに……まるで作り立てのように湯気が立っている。
「こりゃまた、どういう仕掛けになってるんだろな? できたてほやほやみたいじゃないか」
ゴーラドも驚いている。
「まあ、ティラちゃんだからな」
苦笑しつつゴーラドはそれで納得し、「飲み物を用意してやるから、食うといい」と勧めてくれた。
勇者様なればこその魔法の技がおありなのだろう、とソーンも納得する。
「ありがとうございます。では、ご馳走になります」
美味しそうな匂いに、つばが湧いてきてしまう。
小ぶりの肉があり、まずはそれをいただくことにした。
「これは、美味しいですね。噛めば噛むほど味わいがある。なんの肉なのでしょうか?」
「そいつは……ソーン、魔鼠って知ってるか?」
なぜかゴーラドは探るように聞いてくる。
「いえ、存じません。これは魔鼠というものの肉なのですか?」
「妖精族の里にはいないわけか……とにかく旨いだろ? それはティラの大好物なんだ。キルナさんは食わないがな」
「そうなのですか。こんなに美味しいのに」
「好き好きがあるからな。俺も以前は食べてなかったんだ。ティラちゃんにさばき方のコツがあるって聞いて、それから食べるようになったのさ」
「そうですか。これからが俄然楽しみになりました」
「そうか」
「はい。里の外は、僕の知らないもので溢れているのですよね」
「そういうこったな。ほら、早く食え。ティラちゃんは朝が早いぞ」
「朝になったら戻っておいでなのですよね?」
「ああ。そいで朝食を作ってくれる。その手際が尋常じゃないんだ。だから素直に任せとけばいい」
「わかりましたとは素直に言えないのですが……僕も何か、皆さんのお役に立てることを探すことにします」
するとゴーラドがくすくす笑い出す。
「僕は何かおかしなことを申しましたか?」
「いや、俺自体があまり役に立ててないもんでな。ソーンが頑張りすぎると、俺の立場がなくなりそうだ」
「そのようなことをおっしゃるとは、意外です」
「キルナさんは滅茶苦茶強い。ティラちゃんも魔道具使いでこれまた強い。そんな中で俺だけ歴然とした力の差があるんだ。まあ、これからもっと強くなれるように頑張るつもりだがな」
「勇者様は魔道具使いなのですか?」
「そうなんだろうと思う。そうでなければ納得できないことばかりなんだ。あの子は謎でいっぱいさ」
謎でいっぱい。その言葉には素直に頷けるソーンだった。
つづく
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