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116 キルナ 〈キーピル退治〉
タソ村の入り口は段々畑になっており、村全体が緩やかな坂になっている。その一番上に鎮座しているのが村長の屋敷だ。
何度か訪れたところだが、どうも村の様子がこれまでと違う。だいたい人が見当たらないのだ。
これまでは道行く人や道の端でおしゃべりをしている女たちがいたりしたのに、誰も外に出ていない。
キルナは警備員が常駐している小さな家屋に歩み寄った。窓はきっちり占められていて、ガラス越しに警備員と顔を合わせる。
「あ、あんた……」
顔を覚えていたようで、警備員は焦って扉を開け、「早く入ってくれ」と促してくる。
こんなことは初めてで、キルナは戸惑った。
「どうした? 何をそんなに焦ってるんだ?」
「どうしたもこうしたも……いいから入ってくれ」
男は腕を引っ張り、キルナを入れると、他の三人も押し込むようにして警備所に入れた。
全員入り、扉をきっちり閉めた警備員は、それはもう盛大に息をつく。
「それで? これはどういうことなんだ? 分かるように説明してくれ」
三畳ほどしかない所に、机や書棚、さらには箱なども積んであるので、五人入ったらきっちきちだ。
「キーピルだよ。周辺でも噂になってるはずなんだが……。あんたら知らずにここに来たんだな?」
「キーピルが巣を作ったのか?」
キーピルは国が指定している害虫だ。見かけたら即処分するべきやっかいな虫。
「ああ。ひと月半くらい前にわかったんだが、またたく間に巣はでかくなっちまうし、いくら退治してもどんどん数が増えてくんだ」
「魔力が強い虫なので、繁殖力半端ないですからね」
ティラが説明する。
キルナは、依頼を受けた冒険者たちと合同で、二度ほど退治した経験はあるが、そんな専門的なことは知らなかった。
「なあ、キーピルってなんなんだ?」
「僕も知らないのですが」
ゴーラドとソーンが尋ねてくる。
「昆虫系の魔物だ。お前たち、魔蜂は知ってるか?」
「魔蜂なら知ってるが」
「魔蜂の中では最大級の大魔蜂だ。魔蜂と同じで毒を持ってるが、かなりの猛毒だぞ」
「人通りがないわけですよね。キーピルに襲われるから、日が暮れないと出歩けないんですよ」
「キーピルは、夜半は巣にこもるからな」
「あ、あんたら、あの虫のことをよく知ってるんだな。退治する良い方法とか知らないかい?」
「あんなの弓で頭を射ればイチコロですよ。しょせん、空飛ぶ虫です」
「あんたなぁ、簡単に言うが……だいたいそのボロっちい大剣じゃ、キーピルは切れねぇぞ。それにしても、そんなものかついで、嬢ちゃん、重くないのかい?」
「はい。大丈夫です」
明るく返事をもらい、警備員は二の句を告げなくなったようだ。
「と、とにかくだ。胴体のわりにあいつの頭はかなり小さいんだ。頭どころか、飛んでるキーピルを弓で射るなんて、できるこっちゃない」
普通の奴なら、そうだろうな。
その時、キーピルが数匹、窓の外をかすめるようにして飛んで行った。
「き、きやがった。ありゃあ、あんたらの姿を見て、飛んできたんだぞ」
「ほんと好戦的ですよね。人を襲ってもなんの得もないのに、まったく嫌な虫です。まあ、蜜は美味しいですけど」
「蜜?」
「ひと月半かぁ、かなり大きな巣になってますね。蜜もたっぷりありそうですよ」
舌なめずりしたティラは、そのまま扉を開けて出て行く。
「お、おいっ!」
警備員はびっくりして叫ぶが、三人も続いて外に出た。
「あんたら」
「僕たちにお任せください」
ソーンはそう言って、警備所の扉を閉めた。
警備員は困惑した顔で、窓のところからガラス越しにこっちを見てくる。
「うわーっ、かなり集まってきてますね。ソーンさん、頭を狙いますよ」
ティラはすでに弓を構えていて、即座に矢を放った。矢は見事に頭を貫き、キーピルは地面に落ちた。
他のキーピルは怒ったようで、一斉に向かってくる。だが、ほとんどティラとソーンの弓で片付いていく。残党はキルナの剣とゴーラドの槍の餌食だ。
たいした時間もかからずキーピルは退治は終わった。地面にはおびただしい数のキーピルの死骸が転がっている。
「よし、あとは巣に残ってるやつと巣を壊さないとならないな」
あの警備員に、キーピルの巣の場所を聞いて……
「あんたら、マジで全部やっつけてくれたのか」
扉を開けて出てきた警備員は、転がっているキーピルを唖然として見つめていたが、急に何か思い出したようでハッとした顔になる。
「そ、そうだ! 一人死にかけてるやつがいるんだ。あんたら質のいい毒浄化の薬を持ってないか? そいつキーピルの毒に弱い体質だったらしくて、医療所のラシ先生のところにおいてある浄化の薬じゃ、まったく効き目がなくてな」
「その人はどこですか?」
ティラが急くように問う。
「医療所だ。嬢ちゃん、あんたキーピルの毒に効く薬を持ってるのか?」
「はい。持っていますから、早くっ!」
ティラの剣幕に押されるように、警備員は走り出した。
医療所は村の真ん中辺りにあり、そのまま駆け込んで行く。
村の大きさに比例して、かなり大きな診療所だった。
「な、何事ですか?」
診療所の受付の女性が驚いて、キルナ達の前に立ちふさがる。
「いい薬を持ってるっていうんで連れて……」
「患者はどこですか?」
会話などしている場合じゃないとばかりに、ティラは声を荒げて場所を聞く。
その剣幕に、女性は「あ、あっちです。一番奥の右の部屋」と指さす。
駆けて行ったティラは、部屋に飛び込んだ。キルナも遅れず続く。
そこには、キーピルの毒で、黒と黄色のまだらになった顔をパンパンに腫らした男がベッドに横たわっていた。
数人の者がいて、飛び込んできたことに驚いて振り返ってきた。
「あなた方は?」
「こ、この嬢ちゃんが、いい薬を、も、持ってるっていうんで……」
最後にやって来た警備員が、息も切れ切れに説明する。
「いや、もう無駄だ……」
辛そうに言う薬師を押しのけ、ティラは患者の前に行く。
「な、なにを?」
「すまない。この子は治癒者なのだ。任せてやってくれ」
キルナが説明すると、眉を寄せていた男が驚きの表情でティラを見る。が、背中のボロボロの大剣に意表を突かれたようだ。なんとも複雑な顔になる。
すでにティラは、患者に両手をかざしていた。
以前医療院で見た時は、もっと時間がかかったはずだが、今日は即刻まばゆい光が発し、患者の全身をみるみる覆っていく。
「よかった。間に合ったようです。神に感謝です」
ティラは口の前で両手を合わせ、ほっとしたように口にすると、深々とお辞儀した。
患者はとみると、すっかり顔色が良くなっている。
「な、なんと!」
「おおっ!」
「あなたっ!」
それらの叫び声に驚いたように、患者がパチッと目を開けた。
「俺……ああ、なんかしらんが妙に気分がいいなぁ。しかし、腹が減った」
そう言って、お腹をさする。
呆気に取られて見ていた者たちが急にそわそわしだし、それから笑う者泣く者と様々な反応を見せる。
「これ食べます?」
ティラが何やら肉を取り出して患者に差し出した。
ゲッ、あれは魔鼠だな!
あぶりたてと言わんばかりにいい匂いがし湯気を立てている。
「い、いいのか?」
患者は身を起こし、肉を受け取った。
「もちろん。どうぞ」
「あれ、どこから出したんだ?」
「なんで湯気が?」
「いい匂いだなぁ」
あちこちから色んな感想が聞こえる。
患者は受け取った肉を食べ始めた。
「うめぇ。こんなうめえもの、初めてだ」
「ですよねぇ。美味しいですよね。魔……むぐっ」
余計なことを言おうとするティラの口を、キルナは焦って塞いだのだった。
つづく
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