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◇38 ゴーラド 〈全速力〉
「ゴラドおじたん、あさだよーっ。ごはんだよーっ」
ゆらゆらと揺すられながら、かわいい声が耳に飛び込んできた。
夢の中にいたゴーラドは、薄く瞼を開けた。
甥のコルットが精一杯背伸びして、ゴーラドの顔を覗き込んでいる。
「コルット、おはよう」
「おはよう。ご飯だよ」
「おお、もうそんな時間か?」
慌てて起き上がり、窓の外を見ると、思ったよりも日が高い。
久しぶりに自室のベッドで寝たせいか、すっかり熟睡してしまったようだ。
宿屋のベッドはあまり寝心地がよくない。このベッドだってふかふかというわけではないが、安宿のベッドよりはずいぶんましだ。
だがそのおかげか、頭がすっきりしている。
そうだ。兄貴は?
もしかすると起きあがっているんじゃないのか?
期待が高まる。
「コルット、父さんはどうしてる?」
「うん? 寝てるよ」
なんだ。そうか、さすがに起きてはいなかったか。俺ときたら、期待しすぎだな。
苦笑いしつつ、ゴーラドはベッドから出て服を着込む。その間、コルットはゴーラドの装備品を興味深げに見ていた。
「ゴラドおじたん、ここ、ぺこってしてるよ」
角のある魔獣に突かれてへこんだ部位を見て、コルットが指摘する。
「魔猪にやられたんだ」
「えっ? おじたん、だ、大丈夫だったの?」
小さいくせに、不安をあらわに心配してくれる」
「大丈夫だったから、おじさんはいまこうしてここにいるんだぞ」
「……あっ、だよね。よかったぁ」
小さな手を胸に当て、コルットは盛大に安堵する。
くそっ。可愛いなぁ。
相好を崩し、コルットの頭を撫でる。
「よし、それじゃ飯食いに行くか?」
「うん」
元気よく返事をし、先に部屋を飛び出て行く。ゴーラドもすぐに出て、その足で兄のところに向かった。
寝ているのだとしたら起こしてはと配慮し、閉じたドアをそっとノックする。
すると、起きていたようで、「どうぞ」と返事があった。
元気とは言い難い声だった。
あの薬の量ではダメだったのか?
顔を顰めたゴーラドは、ドアを開ける前に表情を改め、にこやかにドアを開けて中に入った。
「兄貴、おはよう。具合どうだい?」
「ああ……よく眠れた。お前が持ってきてくれた薬が効いたかな」
笑顔で言ってくれたが、言葉とは裏腹に身を起こすどころか頭も上げられないようだ。
「気分はいいんだぞ。体力がないだけだ。寝てばっかりだからな」
冗談めかして笑みを浮かべる。
やはり、ティラちゃんに薬を分けてもらうしかない。あの薬が充分にあれば、きっと……
「ゴーラド」
「う、うん?」
「そんな顔をするな」
「兄貴……」
「お前には本当に感謝してる。俺がこんなわけのわからない病気にならなきゃ、お前に迷惑をかけることも……」
「何言ってんだ。ずっと面倒を見てもらったのは俺だぞ」
眉を寄せて文句のように言ったら、カムラは少し微笑んだが、すぐにマジな顔になる。
嫌な予感がして、ゴーラドは急いで背を向けた。
「朝飯食ってくるな」
「ゴーラド……もし、俺が……」
ゴーラドは思わず床を踏み鳴らした。
ドンと大きな音が部屋に響き、ゴーラドはハッと我に返る。
「す、すまない」
「いや……」
気まずそうな兄の様子に、胸がむかむかする。何やってんだ、俺は……
だが、もし俺が死んだらなんて縁起でもない言葉……絶対聞きたくない。
その時、ドアのところにコルットがそーっと顔をのぞかせたのに気づいた。
音に驚き、様子を見にきたのだろう。
「コルット。大きな音たてちまってすまないな。……その、おじさんが転んで尻餅着いたんだ」
「ゴラドおじたん、お尻打ったの?」
「あ、ああ、いってぇ」
尻を撫でる真似をしたら、コルットは慌てて飛んで来た。そして、ゴーラドがさすっているところを小さな手で撫でてくれる。
その幼いやさしさに、そして兄の不安が相まって、涙が出そうになる。
だが涙など見せるわけにはいかない。
ぐっと堪え、ドアに向かいがてら、ゴーラドは兄に振り返った。
「昨日の薬、効き目が薄かったらもっと用意してくれるって仲間が言ってくれてるんだ。兄貴は絶対治る。だから安心して待っててくれな」
カムラの返事はなかった。
心配そうな目を向けられてしまい、苦笑するしかなかった。
ニーナの作ってくれた朝食を、コルットと可愛い会話をしながら食べ、ゴーラドはとりあえず、現在の村の状況をしっかりと把握するために家を出た。
いまの脅威である魔獣のことが解決しないと、村を出られない。
西門の見張り台の上にガタイのいい男が一人いたが、ガンスではなかった。やつはもう交代して、家で寝ているのだろう。
見張り台にいた男も顔見知りで、彼に詳しい話を聞かせてもらった。
冒険者パーティーが依頼を受けて集まったら、村の精鋭とともに魔獣をすぐにでも討伐に出向くことで話がまとまっているらしいが、少なくとも今日明日というのは無理のようだ。
その間に魔獣が村を襲ってくるかもしれず、いつでも対処できるようにはしているとのこと。
それで応戦できるならいいのだが……
その魔獣がどれほどのものかわからないからなぁ。
やはり、解決するまで村は離れられないか……
いや、キルナさんがいてくれたら百人力だぞ。ランクの低い冒険者たちがわんさか集まるより遥かに頼りになる。
よし、パッサカまで全速力で行くとしよう。それが一番だ。
そう決めたゴーラドはいったん家に戻った。
「姉さん。パッサカにパーティー仲間がいるんだ。魔獣退治に手を貸してくれると思うから、これからすぐに行ってくるよ」
「パッサカまで行くのなら、馬車か馬を借りたらどう?」
馬か……馬なら、あっという間に着けるだろうが……
「わかった。聞いてみるよ」
見張り台にいた顔見知りに相談することにし、ゴーラドは門に向かいながら地図を取り出した。
パッサカまでの道のりを確認しようと思ったのだが……
うん?
ちょっ、待ってくれ! こりゃ、どういうことだ?
ふたりはパッサカにいるはずなのに……
キルナたちの居場所は、なんと魔獣がいるという森を示している。
なんでだ?
いや、動揺している場合かっ!
ふたりは、狂暴な魔獣がいるなんて知らないんだぞっ!
ゴーラドは血相を変えて駆けだした。
いくらキルナの腕が立ち、ティラが普通ではない魔道具使いだとしても、寝ているところを襲われては、殺されてしまうかもしれない。
たとえ殺されていても、地図には居場所が表示されるということだった。
その説明が脳裏によぎり、不安が暴君のように膨らむ。
無残に殺されたふたりの姿が頭にちらつき、ゴーラドは必死に頭を振る。
「ふたりとも、生きていてくれーっ!」
大声で叫んだゴーラドは、全速力でふたりの元に急いだ。
つづく
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