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◇39ティラ〈片腹痛し〉
杖の先端が発光した瞬間、ティラはキルナから距離を取った。
狙われているのはわたしだ。
ティラが動いたことで狙いの方向が変わる。
光の攻撃魔法が身を貫く寸前それを躱し、ティラは思い切り地を蹴った。
ドドーンという破壊音が背後で響く中、飛んでくるティラに驚愕し、目を見開く美麗な顔。
こいつの内面を考慮すると、醜悪だけどね。
相手の握りしめている杖を左手で跳ねあげて取り上げ、その杖で首を締め上げる。魔法に頼り切った体力のない相手は、簡単に地に転がった。
「ティラ!」
キルナの叫びに、ティラはキルナに向いた。だがキルナは、いまの魔法攻撃の衝撃でもうもうと煙の上がっている方へ走っていく。
「キルナさん、こっちですよ」
呼びかけけたら、キルナはピタリと足を止め、ゆっくりとこちらに振り返ってきた。手を振りたいところだが、いまは両手が塞がっている。
「は?」
呆気に取られた顔で、キルナはこちらをまじまじと見る。
「お前……はあ?」
困惑の様子のキルナが、こちらに走ってくる。そしてティラに首の後ろを掴まれて、なすすべなく地べたにうつ伏せに転がっている敵をまじまじと見る。
「……どういうことだ?」
「もちろん、こいつが攻撃してきたんで、反撃したんです」
「……そのようだな」
その目にはまだ混乱が見える。
「ど、どうなっている? 我は……我は……」
地面に顔を押し付けられた相手は、ブツブツと呟いている。こちらはキルナ以上に混乱中のようだ。
逃れようと手足をバタつかせるが、これくらいの抵抗などどうでもない。
「それで、さっきの話の続きですけど、あの植物はなんなんですか?」
「離せっ! 虫けらがっ!」
首の後ろを掴まれて、地面にうつ伏せという負け確定の状況なのに……
「居丈高ですねぇ。妖魔さん」
「うぬぬ」
この状況は、こいつにとって耐えがたいほど屈辱なのだろう。ギリギリと歯を軋らせている。
「妖魔?」
キルナが素っ頓狂な声を上げた。
「妖魔って……あの妖魔か? これが? 本当にか?」
妖魔と聞いて混乱が助長したらしいキルナに、ティラは肯定を込めて頷いた。
「はっきりとした殺意をもって、人を殺そうとした時点でもう容赦はしませんし、質問に答えてもらいますよ」
脅すように言ってみるが、脅しに屈するような輩でないこともわかっている。けど、言うしかないしね。
「こ、こんなことをして無事で済むと思うなよっ! 虫けらごときがっ!」
妖魔が蔑みを込めて怒鳴りつけてきた。今の自分の状態に困惑しているようだが、現実として受け入れらずにいるのだろう。
この妖魔にとって、わたしたちは虫けららしいからなぁ。ちょっと、むかつくよ。うん。
「どう無事で済まないのか、お聞きしても良いですかぁ?」
むかつきの仕返しに感情を逆なでしてやろうと、からかうように尋ねたら、口を物凄く歪めた。身から発する怒りが半端ない。
「高貴なる妖魔族の我らを敵に回すとは、虫けらのくせに命知らずめがっ!」
「自分で高貴とか言っちゃう? 片腹痛いぜ! はっはっはー!」
豪快に笑い飛ばしてやる。
にしても、地面に伏せったまま身動きも取れずにいて、居丈高に怒鳴られてもねぇ。
「そんなことどうでもいいですから、さっさと吐いてもらえません。透明の容器に入ってる植物はなんなんですか?」
再度尋ねてみるが、「言うものか!」ときた。……なら、仕方がない。
「ぐああーーーっ!」
突然、苦悶の表情で妖魔は叫び出す。
「ど、どうしたんだ?」
キルナが驚いて問いかけてくる。
「ちょっと力入れたんで、首が折れそうになってるだけです。ほら、さっさと口にしないと、死んじゃいますよぉ」
「ならば、こ、殺すがいい」
あらま、開き直ったか。
「なかなか根性ありますね」
ティラは空いている手でウエストポーチから小瓶を取り出した。
「ティラ、それはなんだ?」
キルナが尋ねてくる。
隠すこともないので、「聞かれたことに素直に答えてくれる薬です」と伝えた。
押さえ込んでいる妖魔がギョッとしたように目を剥く。そして激しくジタバタし始めた。
「放せーっ! こ、こんなこと許されないぞっ」
殺そうとした相手に、何を言っちゃってるんだか。
「片腹痛いぜ! パート2。まあ、こんなもの、使うことはないと思ってたんですけどねぇ。なんでも用意はしとくもんですね」
ティラは小瓶の口を開けた。しかし、うつ伏せのままでは薬を飲ませられないので、妖魔の脇腹を軽く蹴り、くるりとひっくり返す。
「な、何を……ぐむっ」
驚いた拍子に開けた口の中に、すかさず小瓶の液体を数滴垂らす。
ぎょっとしたように妖魔の目が見開かれ、次第にその目はうつろになっていく。
うわー、効き目凄いな。母、恐るべし。
うん……そろそろ、いいかな?
「はい、では妖魔さん。あそこにある透明の容器の中の植物は、なんなんですか?」
「ガルジマ草……」
薬が効いたらしく、抑揚のない声で妖魔は答えた。
「ガルジマ草って、どういう植物なの?」
「我が創り上げたもの……虫けらどもの生気を吸い成長する植物」
えっ? と、とんでもない代物じゃないの。
「生気を吸い取る? いったいどうやって生気を吸い取っているんだ?」
黙っておれなくなったようで、キルナは強い口調で問いかけ、妖魔の胸ぐらを掴んで揺さぶる。もちろんいまの妖魔はなんの反応も示さず、淡々と答えを口にする。
「たまたま行き合わせた虫けらの生気を吸わせている」
「なんだって!」
ティラはキルナと目を合わせた。
人の生気を無差別に吸い取っているということではないってことか。
ま、まさか、あの植物の下……地面に埋められてる? いや、それだと生気という事にならないか。少なくともその人物はまだ生きているはず。
「その人、いまどうしてるかわかるの?」
「ガルジマ草の成長を見るに、そろそろ死ぬ頃合い……いや、もう死んでいるかもしれぬ」
「こいつ、殺すっ!」
殺気立ったキルナが剣を抜こうとするのを、ティラはなんとかなだめにかかる。
「気持ちはとってもわかりますけど、殺すのはダメです」
「くっ!」
怒りを込めたまなざしで、キルナは妖魔を睨みつける。これはさっさとなんとかした方がよさそうだ。いまのキルナは、ティラの隙をついて、この妖魔を切り刻みかねない。
まだ聞きたいことがあるし、生きたまま両親に引き渡す必要がある。
キルナに冷静になってもらうためにも、とにかく質問を続けるとしよう。
「それでその人は、どこにいるの?」
「この近くの村人だ。助けが来て連れ帰っていった」
近くの村ってことは……間違いなくゴーラドさんの村だよね。
「ティラ、今すぐこいつを殺し、村に行くぞ。まだ生きているかもしれない。助けてやらねば」
「キルナさん、もうちょっとだけ待ってください。なにより生気を吸い取っている植物の処分を先に……」
そこまで口にしたところで、キルナはハッとしたように顔を上げ、駆けて行った。もちろん植物のところだ。
カキーンと鋭い音が響く。
「くそっ!」
苛立ちを込めて叫んだキルナは、二度三度と剣を振る。
「ダメだ、破壊できない」
ティラは無表情で転がっている妖魔の襟首を掴み、キルナのところに走って行こうとしたが、足元の蔦に妖魔が引っかかる。
仕方なく、キルナのいる方に妖魔を放り投げてから、後を追った。
「お前、豪快だな」
「だって、蔦のツルが……それより、こっちですよキルナさん」
「ああ、そうだった。剣で叩き割ろうとしたんだが……それにしても気味の悪い植物だな」
高さ一メートル、直径五十センチほどのドーム型の容器にティラも目を向ける。
黒緑の茎だろう部位はどことなく人の肌を感じさせ、まるまると太っている。そして肉厚の葉らしきものが茎のあちこちから生えている。さらには濃い紫色をした咲きかけの花らしきもの……こちらの花びらも肉厚でまるで人の唇のようだった。
「同感です」
「ティラ、どうする? どうすればいい? このいまいましい植物を始末しないことには、その村人は生気を吸い取られ続ける。こうしている間にも絶命するかもしれないぞ!」
怒鳴ったキルナは、八つ当たりするように転がっている妖魔を思いきり踏みつけた。いまは痛みを感じないだろうが、骨が盛大に砕けた音がした。
「吐け! どうやったらあれを破壊できる?」
「……」
妖魔は答えない。質問が的確ではなかったからだろう。
「透明の容器はどうやれば破壊できるの?」
「破壊などしない」
ダメだ。こいつには破壊するという思考がないのだ。質問を変えるしかない。
するとキルナが妖魔の襟を掴み上げた。
「取り外す方法はないのか?」
キルナは苛立ちを込めて問う。
「花が咲くまで取り外すことはしない」
「取り外す方法だ。答えろ!」
「花が咲き、種ができるまでは取り外さない」
「無理のようですね」
「くそっ!」
キルナは思い切り妖魔を投げ捨てた。
「地面を掘り返してみてはどうでしょう?」
そう提案したら、キルナは目を見開き、剣を容器の縁に力一杯突き刺した。深々と突き刺さった剣を引き抜こうとしたところで、なんと容器はあっけなくころりと転がった。
容器が取り去られたガルジマ草は、しおしおと枯れていく。
唖然である。
「……枯れちゃいましたね」
「こんなに簡単に取り外せるものだったのか?」
「そうみたいですね」
数秒、微妙な空気が流れた。
「ま、まあいい……よし。こいつをさっさとあの世に送り、村人の様子を見に行くとしよう」
「あの世に送るのはダメですってば。もちろん気持ちはわかりますけど。まだ聞きたいこともありますし」
「なら、早くしろ」
苛立つキルナに急かされ、ティラは妖魔に近づいて膝をついた。
「ねぇ、これって、いくつも作ったんですか?」
「まだこれひとつだけだ。試験的にこの地に……」
それはよかったとほっとする。
「ゲラルについて聞きたいんですけど」
「ガルジマ草を守るために、この地に連れてきた」
やっぱりそうか。
「この森に他の魔獣の気配がまったくないんだけど……」
「ゲラルの餌になったのだろう」
これまたやっぱりか。
まあ、聞きたいことはこれでいいかな。
ティラは新たな小瓶を取り出し、妖魔の口に流し込んだ。妖魔はピクリとも動かなくなる。
「死んだのか?」
「仮死状態です」
キルナは妖魔を見つめ、それからティラと目を合わせてきた。
「本当に、これは妖魔なのか? あの、古の世界で人を奴隷として使役しようと企み、国を幾つも滅ぼした種族。その生き残りなのか?」
「その話は、全面的に頷けませんけど、まあ、そうですよ」
「だが……なんというか、まるで……悪人には見えない」
「確かに見た目はとんでもなく綺麗ですよね。けど、人を虫けらとしか見ていない危険な種族ですよ」
「そのようだな。しかし、まさか本当に妖魔と遭遇することがあろうとは……」
キルナはいまだ信じられないというように首を振る。そして何か思い出したようで、眉を寄せる。
「どうやら、あちこちに出没しているようだな」
その言葉にティラは目を瞠った。
「あ、あちこちって、キルナさん妖魔について何か知っているんですか?」
キルナは、ギルドで聞いたという話を、そのままティラに語ってくれた。
ほぼ無傷の魔獣が転がっていたという話を、初めは妖魔の仕業と認識して聞いていたティラだったが……途中でハタと気づく。
それって、わたしの仕業なんじゃ……
否定しようにも否定しきれず、ティラは顔を歪めた。
まさか、わたしが苛立ち紛れにやったことが、不審な出来事としてギルドが捜査するような事態になってたなんて。ど、どうしよう?
「ティラ、どうした?」
ティラの変化に気づき、キルナが問いかけてくる。
「い、いえ……あの、た、たぶんですけど」
「うん?」
「それって、わたしの仕業かなぁって」
「はあっ?」
「てへっ」
思わず、母の仕草を真似て、この場を誤魔化すティラだった。
つづく
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