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◇40 キルナ 〈情報過多〉
「すまない」
キルナは頭を抱えているティラに謝罪した。
つい、頭を思いきり殴ってしまったのだ。
「いえ、悪いのはわたしなので……色々とすみません」
しょんぼり肩を落として謝ってくる。
「いや、殴ってしまって本当にすまない。そうだ、お前も渾身の力で私を殴ってくれていいぞ」
頭頂部をぐいっとティラの方へ突き出したら、なぜか撫でられた。顔を上げてティラを見ると、くすくす笑っている。
こちらまで笑いが込み上げてきてしまい、キルナはティラの頭を撫で返した。
「タンコブになっているな。……痛むだろう?」
申し訳ない気持ちで言ったら、ティラは健気にも胸を張ってみせる。
「このくらい大丈夫です。強靭に鍛えてますから」
強靭に鍛えてるか。
このどこにでもいる町娘の風貌では、まったく似つかわしくない。
謝罪するのはやめることにし、キルナはいまは仮死状態だという妖魔に向き直った。
「とにかく、このまま生かしては置けない。私が殺ろう」
剣を抜こうとしたら、ティラが慌てて止めてくる。
「だから殺しちゃダメですよ。生き証人なんですから」
「だが、ならどうするんだ? 肩に担いで抱えていくのか?」
「抱えなくていいですよ」
そう口にしつつ、ウエストポーチからティラが何か出したと思ったら、ふっと妖魔が消えた。
「なっ? 逃げられたのか⁉」
慌てたが、ティラが「この中ですよ」と、妙な袋を見せる。キルナは目を丸くした。
「よ、妖魔をその中に入れたというのか?」
「これは特殊な袋なんですよ。もちろん妖魔専用なんてのじゃないんですけど、生き物系も入れられるやつです。それに、相手は腐っても妖魔ですからね。万が一のことを考えて、一番グレードの高い袋を使いましたから、安心してください」
グレードがあるのか?
「これも預かっときますね」
転がっていた妖魔の杖も拾い、ティラはポーチに入れた。
「ティラ、その妖魔をどうするつもりだ?」
「両親に預けます。適切に処理してくれるはずですから」
「いったいどんな処理だ? まさか食べたりしないだろうな?」
冗談で言ったら、ティラが「まさかぁ」と笑う。
それにしても、ティラの両親か……いくつもの高価な魔道具を娘に与えるような人物。そして普通ではない娘の親。
妖魔などキルナの手には負えないし、やっかいなブツを託すには、一番の適任者なのかもしれない。
そのあと、植物に被せてあった透明な容器と、枯れたガルジマ草を急いで回収し、ふたりは村に向かった。
とにかく何を置いても、生気を吸い取られ続け、いまや命の灯が消えかけている村人を助けてやらねばならない。
その時キルナは、遠くからふたりの名を交互に呼ぶ声が聞こえてくるのに気づいた。ティラも耳にしたようで、「ゴーラドさんですね」と言ってくる。
「地図を見て、やってきたんだろうな」
しかし、ちょうどよかった。村の人間であるゴーラドが間に入ってくれれば、スムーズに事が運ぶだろう。
数分経たず、ふたりはゴーラドと顔を合わせた。
ゴーラドは息も絶え絶えの様子で、ふたりを見た途端、がばっと抱き着いてきた。
「よ、よかった、無事だったか!」
「どうしたんだ?」
そう聞いたら、ゴーラドは苛立ったように怒鳴り返してきた。
「のんびり森の中を散策してる場合じゃないぞ! いいか、この森にはな、巨大で獰猛な魔獣が住み着いてるんだ」
ああ。それで心配して駆け付けてくれたわけか。いい奴じゃないか。……まあ、知っていたが。
しかし、その魔獣をティラがひとりで狩り、朝飯にしてくれてふたりで食ったなんて、こいつは思いもしないだろうな。
「それ、食べちゃったみたいです」
ゴーラドの反応を想像して苦笑していたら、ティラがあっさり暴露した。当然、ゴーラドはぽかんとなる。
「は?」
「ゴーラド、その顔、間抜けに見えるぞ」
「間抜け……い、いや、そんなことはどうでもいい。ティラちゃん、いまなんてった?」
ちゃんと耳に入れたはずだが、事実として受け止められなかったらしい。
「いえ、ですから、食べちゃったんです。他に魔獣がいなかったので」
「意味が……わからないんだが……」
ああ、私も同じだぞ、ゴーラド。意味が分からないよな。
ゴーラドに同感し、頷いてしまう。
「他に魔獣がいなかったから、食べたって……意味が……」
なかなか現実として認識できないでいるゴーラドに、キルナは説明を補足することにした。
「だから、朝飯にティラが狩ったそうでな。料理してくれて、ふたりして食った。残骸なら野宿した場所に残ってるぞ」
「ティラちゃんが狩った? い、いや、もちろんキルナさんも一緒にだろ?」
「いや、ティラひとりでだ。私はまだ寝てたからな。起きたら、ティラはその魔獣を捌いて朝食に調理していた」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……ティラちゃんがひとりで魔獣を……いや、それは違うぞ」
「何が違うんだ?」
「ものすごく巨大で獰猛な魔獣だったって聞いたぞ。そいつは、まだこの森の中にいる」
ゴーラドは警戒して周囲を見回し始めた。
「ゴーラドさん、その魔獣ですって。妖魔もそう認めてましたから、間違いないですよ」
「……ヨウマが認めてたって、どういうことだ?」
「妖魔だ。古の世界で国を幾つも滅ぼしたとされる種族だ。お前も知ってるだろう?」
「妖魔……そりゃ、話に聞いちゃいるが……大昔に滅びたんだろう? いや、実際いたかもわからない存在だと思ってたんだが」
「絶滅してませんよ。なんなら見ます?」
ティラはポーチに手を入れ例の袋を出すと、妖魔を地面に転がした。
ゴーラドはギョッとして飛び退った。
「な?」
呆気に取られすぎて二の句が継げないようだ。
「ティラ、突然そんなもの出して、ゴーラドが混乱するのは当然だぞ」
「見た方が早いと思って」
「こ、この人は……死んでるのか?」
「仮死状態にしています。言っときますけど、こいつ、わたしたちのことをさんざん虫けらって蔑んだ挙句、わたしのことを殺す気で、威力マックスの攻撃魔法をぶっ放してきたんですよ。ねぇ、キルナさん」
ティラは同意を求めるように訴えてくる。キルナは頷いた。
「ティラの言う通りだ。なんの躊躇もなく、初っ端、強烈なのをぶっ放してきた。ティラが殺られたと思って血の気が引いたぞ」
「……そんなことをしそうには見えない」
転がっている妖魔の顔を見つめ、ゴーラドは呟く。キルナは苛立った。
「我々の言葉が信じられないのか? そいつの美麗すぎる容姿で、お前はそいつの肩を持つのか?」
鋭く言ったら、ゴーラドは慌てたように顔の前で手を振った。
「そ、そんなんじゃない。ただ……すまん。そうだな。こいつは妖魔……」
そこまで口にしたゴーラドは、急にハッとしたように顔を上げてティラを見る。
「攻撃されたのか?」
こいつ、いままで何を聞いてたんだ? 混乱しすぎて情報を正しく受け止められなかったというのか。いささか腹立たしい。
「されましたよ。普通の人間だったなら、吹っ飛ばされて木っ端みじんですよ。こいつには同情の余地なしですからね。ゴーラドさん、そこのところちゃんと理解してくださいよ!」
顔をしかめたティラに詰め寄られ、ゴーラドはたじたじになり、「り、理解した」と、どもりながら答える。
そしてゴーラドは、額を押さえて空を仰ぎ見た。一度に得た大量の情報を必死に消化しようとしているようだが……
「ゴーラド、こんなことをしている場合じゃないんだぞ。お前の村に急いで戻らねばならない」
「あ、ああ……残骸が野宿した場所に残ってるって言ったよな?」
「はい。そっちは後で案内しますから。とにかく村に戻りましょう」
ティラは妖魔を袋に戻し、先に駆け出した。キルナもゴーラドを促して走り出す。
「ゴーラドさん、村の人で、原因不明で死にかけている人っていませんか?」
ティラが質問すると、ゴーラドは目を丸くして「ど、どうして?」と言う。
キルナとティラは、妖魔から得た情報をゴーラドに伝えた。
「生気を吸い取られていたって?」
ゴーラドは確認するように口にする。その顔ははっきりと青くなっている。
「ああ。妖魔は、この近くの村の者だと言っていた」
「嘘だろ……」
そう口にしたゴーラドは、急に速度を落とし、地面に膝をついてしまった。
「ど、どうしたんだ?」
「……あ、兄だ」
「何? お前の兄?」
ゴーラドはぎこちなく頷き、額に手を当てる。その顔はいまや真っ青だ。
「まさか、そんなことだったとは……」
ショックが過ぎたらしく、ゴーラドは目の焦点が合っていない。そんなゴーラドの肩に手をかけ、ティラが強く揺さぶる。
「ゴーラドさん、しっかりしてください。座り込んでる場合じゃないですよ、早く案内してください!」
「ティラちゃん?」
「お兄さんが心配です。早くっ!!」
ティラは激しく急かす。
「兄を救いたいんだろう?」
キルナもゴーラドの背中を思い切り叩き、「ほら、行くぞ」と立ち上がらせた。
つづく
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