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◇43 ガンス 〈頭がぐるぐる〉
あの魔獣が倒されたって?
そんなわけねぇんだ。なのに、この危険な森を、あんなひ弱そうな娘っ子を先頭にして歩くなんて、バカげてるぜ!
巨大で狂暴なあの魔獣を、俺はこの目で見ているんだぞ。
あの日ガンスは、猟師仲間数人と、獲物の魔獣を探して森の奥深くまで入って行った。
いまや獲物の収穫は減るばかりで、かなり危険だが奥まで行くしかないと腹を括って……
そしたら、あの見たこともない巨大な魔獣がいて、そいつは大型の魔獣を仕留めたばかりで、がつがつと食い始めたのだ。
恐怖で腰が抜けそうになりながらも、その場から必死に逃げた。あの時はもう、どうやって村まで戻ったかも覚えていない。
それなりに腕に自信はあった。いかに狂暴な魔獣だったとはいえ、恐怖に支配されて逃げ戻った自分が情けなくて……
なのに、あんな娘っ子が、あの魔獣を退治したなど信じたくない。いや、そんなことできるわけがないんだ!
あの娘っ子より、遥かに俺の方が強い。それはゆるぎない事実だぞ。
なのにゴーラドときたら、歩きながら「失礼な態度を取るな」だの、「あとでちゃんと謝れ」などと煩いったらない。
ガンスはむっとした顔をゴーラドに向け、口を開いた。
「お前がなんと言おうと、俺は信じちゃいないからな。あの狂暴な魔獣の恐ろしさは、遭遇したものでないとわかんねえんだよ」
「相変わらず意固地だな。だがな、キルナさんもティラちゃんも、俺らとは強さのレベルが違うんだって」
「は? あの娘っ子はFランクなんだろうが。俺はお前と同程度とは言えないかもしれんが、Cランクくらいの実力はあるつもりだ」
「やれやれ、ティラちゃんについては、納得させられねぇかぁ……だがなガンス、もう一人のメンバーのキルナさんはSSランクなんだぞ」
SS? 唖然としてゴーラドを見てしまう。
「そりゃ、お前騙されてるんだぞ。なんでSSランクなんて伝説級の冒険者がこんなところにいるんだよ」
「騙されてるって、誰が誰にだ?」
突然、知らない女の声が割り込んできた。驚いて後ろに振り返ったガンスは目を瞠った。
黒い装備に身を固めた……女、だよな?
「キルナさん」
ゴーラドが慌てたように呼びかけた。
こいつがもうひとりのパーティーメンバーか?
呆れを通り越して眩暈がした。
つまり、厚顔にも、この女は自分はSSランクだと名乗ってやがるわけだ。
しかし女だったとはな。SSランクというから男だとばかり。
なんでこんなのに、ゴーラドの奴は騙されてるんだ?
大事なダチがたぶらかされてると分かり、怒りが頭のてっぺんから噴き上がる。
「驚いたな。冒険者ってのは女でも簡単になれるのかよ」
「お、おい、ガンス!」
ゴーラドが、焦って止めに入ってきた。
なんなんだろうなぁ。ゴーラドともあろうものがよぉ。
この俺が認めた男だってのに、情けねぇ。
こいつ、すっかりこの女の尻に敷かれてんじゃないのか?
残念な目をゴーラドに向けてしまう。
ふたりの装備を見ても、それとわかる。ゴーラドはぼろっちい防具だってのに、この女ときたら、すっげぇ高そうな防具を身に着けてやがる。
つまり、ゴーラドに貢がせてるんだろう。
こいつの兄貴が、いま死にそうな病に侵されてるってのによ。
「悪いことは言わねぇ、お前、こんな女とは別れた方がいいぞ」
聞こえよがしに言ってやった。
もしこいつがカッときて襲い掛かってきたら、逆に張り飛ばしてやる。女だとて容赦はしねぇぞ。
「ガンス、お前、何を誤解してる?」
「誤解? 誤解なんてしてねぇっての。俺はお前のためを思って言ってやってんだよ。おい、ねぇちゃん、文句があるならかかって来いよっ!」
挑発するように言ってやったが、相手は白けたような顔をする。
「ゴーラド、こいつは何者なんだ?」
「……それが、残念なことに幼馴染だ」
「ざ、残念だとぉ。お前なぁ」
「ゴーラド、着いたぞ」
女はそう言うと、ガンスを無視してさっさと前方に歩いて行く。
「おい、ちょっと待てや!」
怒鳴ったら、ゴーラドに思いきり肩を掴まれた。ぐっと力を込められ、その怪力に肩の骨が潰されるかと思った。
「いっ、てて……」
「ほんとお前は……もういいや」
ゴーラドはガンスを見て匙を投げたように言い、掴んでいた肩を放り投げるように離すと、女の後を追っていく。
くっそぉ。相変わらずの馬鹿力だな、あの野郎。
なんであんなにひょろっとしてんのに、こんなに力があんだよぉ。
泣きごとを胸の内で零しつつ、ガンスは痛む肩を撫で、急いで幼馴染の後を追った。
周りの連中は、ひどくザワついていた。
「あれがそうなのか?」
「そうなんだろう。あんなでかい頭、見たことがない」
そのやりとりに眉を寄せ、ガンスはゴーラドに追いついた。そこには村長らもいて、全員輪になって地面を見つめている。
ガンスも覗き込んでみた。
へっ?
「間違いねぇ。俺たちが見た巨大魔獣だ」
猟師仲間がそう言って、顔を突き出したガンスを目にし、「なあ、ガンス」と同意を求めてきた。
咄嗟に言葉が出なかった。間違いなく、それはあの時の魔獣の頭だったのだ。
だが、残骸は頭と骨ばかりだ。
「な、なんで骨ばっかりなんだ?」
そのガンスの疑問に答えたのはティラという娘っ子だった。
「魔核石とお肉と皮は、いただいてもいいと思って……ダメでしたか?」
ティラは村長に尋ねる。
「もちろん構いませんぞ。討伐した者に権利がありますからな」
そんなやりとりが、どこか遠くで聞こえる。
馬鹿な……本当に討伐したってのか?
信じられるものではない。いや、信じたくない。だが……これは現実だった。
他の冒険者が退治し、こいつらふたりで手柄を横取りしたんじゃないかなんてうがったことを考えたくなる。が……
俺ときたら……最低だな。
自分より弱そうだから認めたくないんだよな。自分を下に見たくなくて……
くそぉっ! なんなんだよ、この女たちは?
「まあ、とにかくだ。魔獣は確かに討伐された。だからもう安心していいってことだ」
ゴーラドは全員に向け結論を口にした。するとザワザワしていた連中も、納得の色を見せた。
「そうだな。それでは、おふたりには依頼の報酬をお渡しせねばな」
村長が申し出ると、女ふたりはいったん顔を見合わせたが、キルナが口を開いた。
「依頼は正式に受けていなかったのだから必要ない。こいつが勝手に狩っただけだ。なあ、ティラ?」
報酬を断ったことを意外に思ったガンスだが……キルナの口にした言葉に戸惑った。
こいつが勝手に狩った?
普通の娘にしか見えないティラを、今一度見る。
「キルナさんとふたりでですよ」
ティラは、キルナの間違いを渋い顔で訂正する。
「あ、ああ、そうだったな」
そうそうと頷いたティラは、好ましい笑顔で村長に向く。
「お肉と皮、それに魔核石もいただきましたので、それで充分です」
村長は頷き、「今夜はお礼に宴会を催したいと思います。ぜひ、ご参加を」と申し出た。
けれどキルナは、「それには及ばない」とあっさり断る。
「ですが、それでは我々の気持ちが……」
まだ食い下がろうとする村長に、「あの、村長さん」とティラが話しかけた。
「森から狩りの対象の魔獣がいなくなってて、お肉が手に入らずに困っているんじゃないですか?」
娘っ子の言う通りだ。いま村には肉がほとんどない。
もちろん、あの恐ろしい魔獣の脅威に晒されない地域まで足を延ばせば魔獣は狩れるが、村を常に守る必要があり、戦力を減らすわけにはいかなかった。
「あ……うむ。確かにそうなのだが」
娘っ子が何を言いたいのか、窺うように村長は言葉を返す。
「なら、これから森に魔獣を移動させてきますよ」
さらりと言われ、ガンスだけでなくみんな戸惑った。村長が口を開こうとしたが、その前にティラは、ゴーラドとキルナに向いて話しかける。
「それじゃ、ちょっと行ってきますね。夕方になっても戻らなかったら、また明日ですぅ」
軽く手を振ったと思ったら、ティラは森の中に駆け去って行った。止める間もなかった。
「ゴ、ゴーラド、いいのか? あの娘っ子、森の奥にひとりで行っちまったぞ」
「何をやるつもりか、気になるな。ちょっと見てくるとしよう」
愉快そうに言ったのはキルナだ。彼女もすぐに後を追って行った。
「ゴーラド!」
「ガンス、落ち着け。あのふたりなら大丈夫だ。村長、村に戻るとしましょう」
「あ、ああ……だが、いいのか?」
いつも威厳のある村長すらも、そうとう困惑している。
「ええ。問題ありませんよ」
ゴーラドは苦笑し、それでもきっぱりと答えた。
だが、問題ありありだろ? だよな?
ガンスは、頭がぐるぐる回るような感覚に耐え切れず、カクンと首を折ったのだった。
つづく
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