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◇51 ゴーラド〈神殿参り〉
精霊ってなんなんだよぉ?
そんな畏れ多いものに、まるで観光気分で会いに行くとか、ねぇだろ?
だが、曲がりなりにも俺は男だ。ビビってるなんて知られたくない。
パッサカの町から外れ、林を延々と進んでいる。先導するティラは迷いなく歩いている。
「ティラちゃん、以前、来たことがあるんだよな?」
「はい。多分、この道であってると思うんですよね」
なんだ? そのあやふやな発言。
「道を知ってるんじゃないのか?」
「道は知りませんけど、方向はわかります」
ずいぶん曖昧だな。本当に辿り着けるのか?
林の道は細く、くねくねしている。それでも、人が通っているらしく草はあまり生えていない。
時々小型魔獣を見かけるが、どいつも飛んで逃げてしまう。
「中型魔獣はいるんだよな?」
「道を逸れればいくらでも出くわしますよ。この道は人の道で魔獣除けもちゃん施されてるから、魔獣は嫌がるんですよ」
「大型はいないのか?」
「基本いませんね。生息地は離れてるから……まあ、稀には迷い込むのがいるかもしれないですけど」
「あそこ、人がいるぞ」
ティラの説明を聞いていたところで、道の先に白い衣服の者の後姿がチラチラと見え隠れするのにゴーラドは気づいた。
「ギルドで会った神官見習いさんですね」
「神殿に戻っているところか? 神殿もこっちの方向なのだな」
それまでずっと黙っていたキルナが発言する。
「そうなんですかね」
「ティラちゃん、神殿の場所は知らないのか?」
「知りませんよ」
なんでも知ってそうなのにな、知らないのか?
「声かけた方がいいんじゃないのか? 黙って後ろを着いてきているのに気づいたら、あいつまた騒ぐんじゃないのか?」
キルナの意見はもっともだ。どんな理由でこんなところを歩いているのかと不審に思うに違いない。目的が精霊に会うことだなんて、誰も思わないだろうからな。
「ティラ、お前が行け」
キルナの偉そうな指示を素直に受け、ティラは駆けていく。
「見習いさーん」
突然後方から声をかけられた神官見習いは、ぎゃっとばかりに飛びあがった。
バタバタとその場で足を動かした挙句、尻餅をついて亀のように仰向けにひっくり返った。
「あっちゃーっ、驚かせるつもりなかったんですけど。大丈夫ですか?」
ティラは見習いに手を差し伸べるが、彼は驚愕の表情でキョロキョロするばかり。
「な、なぜ?」
「湖の精霊さんに会いに来たんです。まあ、アポイント取ってないので、会えるかはわかんないんですけど」
「あ、あぽい……? は、はあっ? 精霊様に?」
見習いは呆れ声を出し、ひとりでひょいと立ち上がった。
「なんということを。そのような暴挙、許されませんよ!」
先ほどまでの気に弱そうな雰囲気は消え、威厳すら感じる。
「失礼なことをするつもりはないですよ。会いたくないって言われたら、素直に引き下がりますから」
「湖に踏み込む時点で暴挙なのです。すぐさま、引き返していただきましょう」
それまで腰が引けていたのに、急に神官らしくなったな。いや、見習いか。
「どうしてお前に命じられなければならない。そんな権限があるというのか?」
居丈高な態度が気に食わなかったようで、キルナがグイっと前に出てきて、倍返しのような居丈高さで反論した。だが、見習いは一歩も引かずに踏ん張っている。
たいしたものだな、とゴーラドは妙な感心をしてしまった。
「この地にある神殿は湖の精霊様を祭るものなのです。当然権限があります」
その説明で納得である。神殿ってのは祭る対象があるから建てられるんだよな。だがティラは「納得できませんけど」と普通に物申す。
「精霊さんを敬いたくて神殿を作って祭るのは自由でしょうけど、精霊さんは、祭る側に権限なんて与えてないですよ」
「な、なんということを」
「精霊さんが祭ってくれって言ったんですか? 人が会いに来るのを神官さんたちで止めろと言う指示を精霊さんから直接もらったって言うんですか?」
おおおっ、ティラちゃんの言い分の方が正しいような気がするぞ。
「そ、そのようなこと……とにかくですね、精霊様を直接拝顔することなど、人の身でできることではありませんよ」
「会ったことありますけど」
見習いは眉を寄せた。その顔はティラの言葉を信じていないようだ。
「嘘ついてませんよ」
「……」
見習いは黙り込む。そしてこの場をどうしたものかと悩み始めた。
この人の立場としては、俺たちを湖に向かわせることはできないんだろうな。
ティラの言い分は間違ってはいないとゴーラドも思う。だが、見習いの立場もある。
「ティラ、ここは引いてやろう」
ゴーラドが言おうと思っていたことをキルナが口にした。すると、ティラも意外にも素直に頷いた。
「ですね。それじゃ、帰りますよ。あっ、でも神殿には行ってもいいんですよね?」
「それは、もちろん構いません」
なんだ、もう戻れると思ったのにな。
そんなわけで、見習いの道案内で神殿に向かうことになった。
十分ほど歩いたところに、いくつか建物が見えてきた。開けた場所の奥に小さな神殿があり、手前に神官と見習いの住まいなのか、かなり質素な建物がある。日々丁寧に清掃を行っているようだ。空気が澄んでいる。
「こういうとこの維持費って、誰が持ってるんだ?」
「もちろんパッサカの町ですよ。町は精霊の恩恵を受けてますからね」
「恩恵?」
「水、土、風。パッサカ周辺の豊かさは、湖の精霊さんの加護ありきなんですよ」
加護か……
「俺の村は、そういう加護はないってことか?」
なんか寂しいなと思ったら、「もちろんありますよ」とティラが言うので驚いた。
「えっ、俺の村にも精霊がいるのか?」
「精霊はどこにでもいますよ。ただ、顕現しているかしてないかの違いがあるだけで」
「顕現?」
「精霊も色々なんですよ。全部同じじゃないんです」
「ティラ、相変わらず博識だな」
キルナが苦笑して言う。
「うーん、知らないことの方が多いですけどね」
ティラは納得していないように口にするが、知識についてはティラの足元にも及べていないゴーラドはとしては、顔が赤らむばかりだ。
見習いは背後で交わされている会話を気にしているようだったが、神殿の前にきて、「どうぞ」と促してきた。神殿を参るようにということのようだ。
人が入れるようなものではないので、その場で祈るだけだ。
けど俺、こういうの苦手なんだよなぁ。教会でも、祈ったりするの苦手だったし……
この場合、湖の精霊様が祈りの対象なんだよな?
まずティラが手を合わせて祈り、それに倣うように、キルナに続いてゴーラドも祈った。
拝礼を終え、神殿の前から下がり、この場から立ち去ろうとしたら、「もし、お待ちください」と声をかけられた。
振り返ると、神官なのだろう少し年老いた人物がいた。そのすぐ後ろに見習いもいる。
その人は丁寧に自己紹介してくれ、こちらもそれに応えた。
「ピール草の依頼を受けてくださったとお聞きしましたが」
そんな話の切り出しで、彼らの住居に案内された。
室内は、外から見た通りの質素さだった。勧められた椅子に座ると、見習いがお茶を出してくれた。
喉が渇いていたのでさっそく頂くと、ほんのり甘かった。馴染みのない味だが、悪くはない。
皆がお茶を飲んだところを見計らい、神官は話し始めた。
湖の精霊が住まうところはピール草が生い茂っている。ピール草は、精霊の好む清廉な草なのだそうだ。だが、その草を根こそぎ引き抜いて持ち去っている者がいるらしい。
最初は気づかなかったが、気づいた時にはかなりの範囲が被害に遭っていた。すぐさまパッサカの町長に報告し、町兵に指示を出して犯人を捜させたが、いまだ捕らえられていないと言う。
その時、カチャンと音がし、皆の視線が集まる。
「え?」
テーブルに転がったカップ、中に入っていたお茶がテーブルにシミを作って広がっていく。だが、誰もそのことには触れなかった。そこにいたはずのティラがいないのだ。
「ティラ!」
キルナが素早く立ち上がり、部屋から飛び出た。だが、それは無意味だとキルナだって知っている。
ティラは部屋を出ていない。この場所から一瞬にして消えたのだ。
つづく
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