冒険者ですが日帰りではっちゃけます



93 ソーン 〈戸惑いと認識〉


いったいどういうことなのだ?

あの女性は簡素な水色のローブ姿で、武器も防具も身に着けてはいなかった。なのに里の様子を見に行くなどと口にして、ひとりで駆けて行ってしまった。

「追いかけなくていいのですか?」

知り合いでもないソーンが気にかけているというのに、この人族の男女は平然としている。

「あいつは大丈夫だ」

キルナと呼ばれていた女性がこともなげに言う。

大丈夫? 何をもって大丈夫と言うのか? まったく意味が分からないのだが……

「里はいま竜に襲われているのですよ」

「竜はあいつが処理するさ」

あいつが処理する? なにをどう処理すると?

「それより、お前は仲間を探すのだろう?」

そ、そうだ。こんなことをしている場合ではない、早く仲間を追いかけねば。皆、不安になっているはずだ。

そう思った途端、強烈な後悔がソーンの胸に渦巻く。

ああ、僕はなんてことをしてしまったんだろう!
いつもの通りに結界を張り直したつもりだった。

里を覆う結界の術は複雑で高難度の技だ。だとしても、どこをどう間違えたのかわからない。ただ、失敗したことだけは確かだった。その証拠に、里は竜の群れに襲われてしまったのだから。

僕のせいだ。すべて僕の……

里の長や長老、そして魔法に長けた者や戦士総出で竜と戦った。
最初はうまくいっていたのだ。だが、魔法は使い続ければ枯渇する。そして戦士も疲労し始め、ありえないことに討伐する数を上回る竜がさらに押し寄せてきた。

まさか、これほどの数の竜が里近くに生息していたなど……長ですら驚愕していた。

僕が結界を失敗さえしなければ、こんなことにはならなかった。
罪悪感で心が疲弊していく。

竜に押され始め、長は苦渋の決断を下した。せめて年若い者たちだけは救おうと、ソーンにみなを連れて里を脱出しろと命じた。

最後まで戦わせて欲しいとソーンは訴えたが、長の命令は絶対だ。ソーンは集められた百名ほどの者たちを連れて里から脱出した。だが、竜に見つかってしまい、皆を先に行かせひとりで戦った。

竜が単体だったことが幸いし、ソーンはなんとか竜を打ち倒した。そして急いで仲間を追ったのだが、その途中でこの人族の女が現れたのだ。一瞬、頭が真っ白になるほど吃驚した。

里から出たことのないソーンだ。人族と会ったのはもちろん初めてのこと。耳の形状が妖精族とは異なっていると、聞いていた通りだった。

が、驚く間もなく剣を向けられた。いまいましいことに妖魔だと勘違いされたのだ。

そしてもうひとつ驚かされたのは、その強さだった。

人族はすべての面で妖精族に劣っているとのことだったのに、軽くいなすどころか、必死になって打ち合うことになってしまった。

この人族はきっと特別なのだろう。そうとしか考えられない。

「ゴーラド、どうする? こいつを守っていてくれるなら、私は妖精族を探すことにするが」

混乱しすぎたためにぼうっとしていたソーンの耳に、その言葉が流れ込む。彼はムッとして顔を上げた。

「僕は守ってもらわなくても大丈夫だ!」

「わかった。なら、一緒に行くぞ」

人族のふたりが駆けだし、ソーンもついて行く。

この人族の剣技には確かに感心した。だが、僕は負けたわけではない。

人族などに、妖精族である自分が負けるわけがないのだ。

人族は寿命が短く、子が多く生まれるらしい。たいして妖精族は稀にしか子に恵まれないが、寿命は人間の何十倍。さらに魔法に長けている。人族という種族を貶めるわけではないが、あらゆる面で妖精族は高等な種族ということなのだ。

これらの知識は、むろん里の長や長寿の者たちから学んだもの。

人族など取るに足りない。妖精族が注意すべきは妖魔族のみだ。

妖魔族は妖精族を自分たちの下僕にしようとし、大昔に襲ってきたのだという。残忍で高度な攻撃魔法が得意な妖魔族を相手に、残念なことだがとても勝利は望めず、妖精族は隠れ里を作り、いまの暮らしとなったのだ。

正直、ソーンだって、外の世界に触れたいという願望がないでもない。
まあ、夢物語だな。

そういえば、人族に会えたのならどうしても聞きたいことがあった。それは、長ですら知らないことだ。

妖精族が里に隠れたため、妖魔族は代わりに人族を下僕にするつもりだろうと言っていたのだが……この人族は妖魔を敵として認識していた。つまり、いまもまだ妖魔族対人族の戦いは続いているということなのか?

そんなことを考えて走るソーンは、高等な人種としての余裕を抱いていたのだったが、見れば人族のふたりは、彼に遅れることなく森をひた走っている。

お、おかしいな? この速度なら、あっという間に彼らを置き去りにしてしまうと予想していたのに……

いや、いまはそんなことはどうでもいい。仲間たちを見つけないと……

周囲に気を配りながら走っていたソーンは、前方に仲間たちを見つけた。

「いた」

喜んだソーンだが、眉が寄る。

見知らぬ者が一緒にいる。あの白い服をまとっている者たちは誰なのだ?

しかも、その者たちは、ソーンの仲間に対して罵声を浴びせ、幼い子らが恐れて泣いている。

「な、何者だ?」

そう呟いたら、キルナという女が止まるように指示してきて、ソーンは足を止めた。

「妖魔だな」

ソーンはビクリと身を震わせた。

「よ、妖魔?」

妖魔に対する認識が、ソーンを怯えさせる。

だが、皆を救わねば……

震える足を踏み出そうとしたら、ゴーラドという名の男の方にガシッと肩を掴まれた。

「考えもなく飛び込むのは悪手だぞ。様子を見て作戦を立てよう」

力いっぱい抑え込まれているわけでもないのに、抗えない。この者も、かなりの強者のようだ。

そうか、もしかして、人族は長い年月を妖魔族と戦い続けるうちに、妖魔族に匹敵するほどの高い能力を手に入れたのではないのか?

しかし、なぜ、妖魔が? 竜に襲われたこのタイミングで現れるなんて。

そう考えたソーンは、ハッとした。そ、そうか……我々は、ずっと妖魔族に狙われていたのではないのか? 結界が消えたことで、妖魔族はこれ幸いと……

となると、すべてこの僕のせいではないか。

「助けなければ、この身を犠牲にしてでも……」

うわごとのように呟き、一歩前に出ようとしたが、ふたりに阻まれた。

「離してくれ! 行かなければ」

「少し落ち着けっ!」

小声で怒鳴られ、キルナにガシッと頭を掴まれた。

「相手は妖魔だ。あいつらの攻撃魔法は侮れない」

「あ、貴方達は、妖魔族と戦ったことがあるのですね?」

「戦った……とは言えないがな」

苦笑したキルナは、すぐに真面目な顔になり、作戦を伝えてきた。

「妖魔は三人だ。お前、妖魔の視界に入るように走れ。たぶんやつらはお前を追いかけて捕らえようとするだろう。追いかけてきた奴が一人なら、お前が返り討ちにしろ」

「ぼ、僕が妖魔を?」

「お前、私に負けず劣らず強かったと思うが……妖魔が怖いのか?」

その言葉にソーンは動揺する。

妖魔は恐ろしい相手だと、生まれてこの方ずっと刷り込まれてきたのだ。

「無理そうだな。なら、ゴーラド、一人になった方をお前が殺れ。残った二人は私が殺る」

「キルナさん、俺、大丈夫だと思うか?」

ゴーラドが自信なさげに言う。

「ああ、自信を持て! 緑竜を狩ったお前だ。なによりその槍があれば妖魔ごときも敵ではないぞ」

「この槍か……まあ、やるしかないな」

「この妖精族の男が、こんなヘタレでなければ、楽勝なのだがな。残念なことだ」

蔑むような目を向けられ、ソーンは眉を寄せて睨み返した。

人族のくせに……そう思った。だが、妖魔族に腰が引けているのは事実。

僕ときたら、仲間を助けるために死ぬ気で飛び込もうとしていたくせに……なんと情けない。

「すみませんでした。僕は魔力弓と風魔法での攻撃、それと結界魔法も得意です。妖魔の攻撃魔法に耐えられるかは、正直わかりませんが」

「そうか……結界か……なら、お前はあいつらの後方に回り込め。私とゴーラドで妖魔を引き付ける。妖魔が妖精族から離れたら、仲間をひとまとめにして結界を張る。どうだ、できるか?」

そんなにうまくいくだろうか? だが、うまくいけば仲間を全員助けられる。

それにできるできないではない、やるしかないのだ。

「やります」

「よし。なら、まずは私とゴーラドで妖魔をおびき寄せ、別方向に逃げて妖魔二人を引き離して仕留める。お前は仲間に結界を張り、残る一人は私が殺ろう」

「わかりました」

「では、作戦決行だ。ゴーラド行くぞ」

「了解するしかないなぁ」

ゴーラドは苦笑し、キルナと駆けて行った。ソーンは大きく息を吸って自分を落ち着かせ、彼らとは反対方向に急ぐ。

悟られないように気を付けながら後方に近づいて行くのは精神的に大変だった。気づかれるのではないかと不安で仕方がない。だが作戦を成功させるためには、失敗など許されない。

ベストな位置に身を低くし、様子を窺っていたら、キルナとゴーラドが作戦を開始したようで、妖魔が声を上げた。

「妖精族がまだいたぞ! ふたりだ! 別々の方向に逃げていく、お前たち捕まえて来い」

命じられた妖魔たちは、すぐさま駆けだした。これで残るはひとり。

「いいか虫けらども、じっとしていろよ。命が惜しいなら逃げようなんて思うな!」

そう怒鳴った瞬間、ドドーンと大きな音がした。ぎょっとしたが、威嚇の意味で魔法攻撃を放ったようだ。怯えた子たちがむせび泣いている。

すぐに助けるからな。

怯えている様子を確認した妖魔はしたり顔をし、それから追いかけて行った仲間たちの方に向けた。

怯えさせられたことが幸いし、うまい具合に仲間たちは一塊になってくれている。これならば……

身を屈めたソーンは、結界魔法発動の詠唱をしつつ仲間の元に駆け寄った。そして、範囲を指定し「結界!」と叫ぶ。

自分を含め、全員を包み込めた。成功だ!

「みんなもう大丈夫だ。そのままじっとしてるんだよ」

皆が動かないように早口で指示する。

妖魔がこちらに向く。

「結界だと?」

驚きがみるみる怒りに変わっていく。その形相に怯え、悲鳴を上げる者、泣き出す者が続出する。ソーンは結界の中を走って行きながら、さらに二重三重に結界を重ねがけし、結界越しに妖魔と対峙した。

妖魔は怒りに震えた様子で杖を振り上げる。

くるっ!

もし、結界を破られたら、せめて自分が盾になる。

ソーンは力いっぱい奥歯を噛みしめ、皆を庇うように両手を広げた。

眩い光の魔法が放たれ、結界に当たってバシーーーーーン! と、すさまじい音が発した。

心臓が止まるかと思った。けれど、結界は破られていない。

守れた安堵が沸き上がる。だが相手は妖魔族なのだ、まだ安心はできない。

「ソーン!」

「ソーン」

仲間たちがソーンの周りに集まってくる。しかし、動ける者だけだ。腰が抜けてしまったように座り込んでいる者が大半だった。
この中には戦える者ももちろんいるのだが、みな、突然現れた妖魔族に怯えてしまっている。

その気持ちはよくわかる。ソーンだって同じだ。

「ソーン怖かったよぉ」

泣きながら抱き着かれ、ソーンは安心させるように頭を撫でた。

「もう大丈夫だ」

みなを落ち着かせるために、そう言うしかなかった。まだ目の前に、憎々しげにこちらを見ている妖魔がいるとしても。

「妖精族のくせに、小癪な。だが、いつまで持つかな? いくら結界の中に逃げ込んでいても、お前たちはもう我々から逃げられはしないぞ。そうだな。舐めた真似をしたお前は、見せしめに殺してやるとしよう」

今度は余裕をみせて笑いを浮かべる。

「ソ、ソーン!」

「大丈夫だ。絶対助けるからな」

「助けるだと? ここからどうやって逃げるつもりだ? お前たちは袋の鼠なのだぞ」

余裕綽々だった妖魔は、次の瞬間、背後から切り付けられた。

握っていた杖を取り落とし、絶叫するでもなく二度目の太刀を脇腹に食らって地面に転がった。
すでに致命傷と思われたが、振りあげられた剣で背中から心臓を貫かれて絶命した。

「どうやらうまくいったな」

キルナが言う。だがゴーラドの方は姿が見えない。

「こいつらは強敵だからな。確実に仕留めたかったんだ」

キルナはそう言いつつ、袋を取り出したと思うと、切り捨てた妖魔に向けて袋の口を向けた。

するとその瞬間、妖魔が消えた。

唖然としていると、「魔道具の袋だ。知らないのか?」と尋ねてくる。

「知りません」

「そうか。まあ、これについてはいいか。それより、幼子たちには怖い思いをさせただろうな。すまない」

謝る必要などないのに、助けてくれた救世主であるのに、キルナは頭を下げてくる。

「と、とんでもありません。助けていただきありがとうございました」

急いで結界を解こうとしたら、「ああ、結界は解くなよ!」と強い口調で止められた。

「この結界はどのくらい持つんだ?」

「僕が解かない限り、このままですが」

「そうか。なら、事態が収束するまで、このままここで待機していろ」

「あなたはどうなさるんです?」

「里に行く。里にも妖魔がいるだろうからな」

竜だけでなく妖魔族までとなっては、絶望的な状況だ。

「あの、もうひとりの方は? ご無事なのですよね?」

「あいつは先に里に向かった。やつらを処分したら、すぐに迎えにきてやる。そうだ。飲み物とか食べ物はあるか?」

「いえ。そのようなものを持って出る余裕などありませんでしたので」

そう言ったら、キルナは腰の小さなバッグから、何か取り出した。

「そっち側からなら、受け取れるんだろう?」

「は、はい」

内側からは結界を通り抜けられる。

そして、ありえないほどたくさんの物資を受け取ってしまった。

百人あまりいるのだが、十分足りるほどだ。

「ありがとうございます。何から何まで」

「お前はここで、仲間を守るんだぞ」

「はい」

返事をすると、キルナは里に向かっていった。

「ソーン、あ、あの人たちは、誰なんだ?」

尋ねられて返答に困る。ソーンだって知らないのだ。偶然会った者たちでしかない。

「彼は人族だ」

そう口にしたら、周りの者たちはみな困惑する。

そう、彼らは人族だ。我々が自分たちよりも下に見ていた……

「高潔な方々だ。そして彼らは妖魔よりも強い」

もちろんその様を目撃したばかりだ、異論は出なかった。みんな静まり返り、それぞれに考え込んでしまう。

「我らは、人族の認識を改めねば……」

静かに口にしたソーンに、みなが頷いた。





つづく



 
   
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