募る思いは果てしなく



プロローグ 果てしない恋の始り その2


――花柄のワンピース、それを見つけた時、尚は『これは私のだ』と思った。

「お父さん、お母さん、お願いっ」

両手を合わせて必死におねだりする。

「高校生になったっていうのに。もう大人なんじゃなかったの?」

 母、諒子の言葉に、尚は顔をしかめた。

 確かに言いました。
 だって、高校の制服を着ている自分は、物凄ーく大人になった気がしたんだもの。

 でも、欲しいものは欲しい。
 まだまだ子供ね、と言われてもいいから、欲しい。

「お願いっ!」

 両手を思い切り合わせ、尚は頼み込む。

「まあ、いいんじゃないか。よく似合ってるしな」

 父、宗司の寛容な言葉に、尚はパッと笑顔になった。

「お父さん、ありがとう!」

「もおっ、甘いわよ、あなた」 

 諒子はそう言いつつも、尚が試着した姿を見ると、態度を軟化させてくれた。

 尚は満面の笑みで両親にお礼を言い、買ってもらったワンピースを胸に抱えて家に帰った。

 友達と遊ぶと出掛けて行った弟の成道なりみちは、まだ戻っていないようだった。

 中学生になった成道は、とても気の合う友達ができたようで、ここ最近はその子とばかり遊んでいる。

 尚自身も、高校生になり芳野奈都子よしのなつこという子と仲良くなれた。

 成道に仲のいい友達ができたのはよかったと思うけど、少しはお父さんの将棋の相手もしてあげればいいのに……
 
 ここんとこ、成道が全然将棋の相手をしてくれないって、お父さん凄く寂しがってるんだよね。

 私が相手をしてあげられればいいんだけど、興味がないからルールが覚えられなくて……。

「尚、もう一度試着して見せてちょうだいな。写メ撮って、お祖母ばあちゃんたちに送ってあげたいから」

「うん、わかった」

 祖父母に写真を送るだなんて、もう恥ずかしいお年頃なのだが……無理にねだって買ってもらった手前、嫌だとは言えない。

 まあ、お祖母ちゃんも喜んでくれるだろうし、祖父母孝行をするとしよう。

 自分の部屋でワンピースに着替え、写真も撮るということならと、髪型もおしゃれに決めた。

 階段をトントンと下りたところに、成道が「ただいまぁ」と帰ってくる。

「成道、お帰りなさい」

 いつもより、やさしく声をかけた。
 だっていまの私は、素敵なワンピースを着ているんだもの。

「あっ、尚。へーっ、そのワンピいいじゃん。よく似合ってるぜ」

 相手が弟であっても、褒めてもらえれば嬉しい。

 それにしても、成道は子どもの頃から私のことを呼び捨てにするのよね。
 私を姉と認識していないかのようだ。

 物心ついた頃からすでにふたりの背丈は逆転していたから、見下ろす尚は、妹の位置に据えられているのだろう。

「ありがとう」

 お礼を言った尚の視界に、ひとりの男の子の姿が飛び込んできた。

 思わず、「えっ?」と叫んでしまう。

「ああ、こいつ、俺の友達。葛城響かつらぎひびきってんだ」

「あ……初めまして。葛城響です」

「は、初めまして。いらっしゃい」

 それだけ言うのがやっとだった。
 尚は真っ赤になって逃げるように居間に駆けて行く。

「お母さん、成道がお友達を連れて来たわよ」

 報告すると、諒子は玄関に出迎えに行った。

 もしかしたら、あの子が居間にやって来るかもしれないと考え、尚は慌ててキッチンに飛び込んだ。

 だって、こんな真っ赤になった顔で、あの子と顔を合わせるのは恥ずかしい。

 心臓が異様にバクバクしてる。……私、どうしちゃったんだろう?

「尚、どうした?」

 対面式のキッチンにいる尚に、宗司が声をかけてきた。

「えっ? あ、ああ……な、成道のお友達に……の、飲み物でも淹れるなら、お、お手伝い、しようかなって……」

 しどろもどろになりながらも、なんとか言い訳を口にしたが、いまの自分の状態が恥ずかしくてならない。

 もおっ、私ってば、ほんとにどうしちゃったの⁉ いっそ、思い切り頭を叩いてやりたい。

「それは母さんがやるだろ。ほら、写真撮るから、こっちにおいで」

 宗司に呼ばれても、とても居間に出て行けない。

 その場でもじもじしていたら諒子が戻ってきた。

「あら、尚、こんなところでどうしたの?」

「な、成道の友達に飲み物を持って行くでしょ? 私、い、淹れてあげようかなって、思って」

 なるべく平静に見えるように口にするが、うまく言えているか、はなはだ不安だ。

「私がやるからいいわよ。うん? そのワンピースやっぱりあんたに似合うわね。お祖母ちゃん喜ぶわよ。ほら、お父さんに写真撮ってもらいなさい」

「な、成道たちは?」

「部屋に上がったわよ。……ああ、なんだ尚ってば、成道の友達が来たから照れ臭かったのね」

 言い当てられて、ドキリとする。

「写真を撮るところを見られるのが恥ずかしかったんでしょう?」

写真?

「あ、う、うん」

 母の誤解に乗っかれて、尚はほっとした。

 写真を撮るから恥ずかしい、というわけではなかった。

 なぜかあの子に対してだけ、物凄く恥ずかしいという感情が湧いてくるのだ。
 
 照れ臭い……なのかな? 自分でもよくわからない。

 私、ほんとにどうしちゃったんだろう? あの子の顔が頭から離れない……

 葛城響……名前も素敵だ。

 けど、成道と同級生だから、当然私より三つ年下なんだよね。
 
 そう考えたら、ちょっと熱が冷めた。

 やだ。あの子、まだ中学一年生なんだ。

 私ってば、ドキドキしちゃってバカみたい。
 
 尚は、響のことを頭から締め出し、居間に入っていった。

「おっ、似合うな。俺の娘は最高に可愛い」

 親馬鹿発動だ。
 なんて思いつつも、尚は父の前に出て、両手を広げて一回転してみせる。
 
 すると、キッチンから母が出てきた。

 諒子はジュースを載せたトレーを手にしている。

 私が持って行こうか? そう言いたかったが、そんな勇気はない。

「あら、やっぱりいいじゃないそれ。にしても、尚は私に似て美人よねぇ」

 そんなことを言いつつ、母は部屋から出て行く。

 閉じたドアを見つめ、尚は肩を落としたが、すぐに顔をしかめた。

 だから、あの子は私より三つも年下だってば!

 自分に呆れつつも、尚はずっと居間から動けなかった。

 もしかすると、響が居間に来るかもしれないとそわそわしてしまう……

 だが期待は外れ、彼が居間に来ることはなかった。
 
 私ってば、どうしてあの子のことをこんなにも気にしてるの?

 一回顔を合わせて、目を合わせて、それだけなのに……

 あんたおかしいわよ、尚。
 あの子は中学生、しかも一年生なのよ。

 何度自分を諭しても、心は言うことを聞いてくれない。

 苛立ちを感じていたその時、帰っていく響を見送った母が戻ってきた。

 尚は何気ない感じで立ち上がり、自分の部屋に駆け戻った。

 もう帰ってしまったかもしれないけれど……

 そう思う一方で、まだいるかもしれないという思いに急かされる。

 自分の部屋に入り、尚は窓に駆け寄った。

 レースのカーテン越しに響の姿を懸命に探す。

 あっ、いた!

 彼はまだ玄関先に居て、成道と話をしていた。

 自転車で来たようで、サドルにまたがっている。

 レースのカーテン越しに見る響はすらりと背が高くて、ひどく大人びて見えた。

 なんだか、私より年上みたい……

 その時、響がすっと上を向いた。

 目が合った気がして、尚は慌てて窓から飛びのく。

 心臓が壊れそうなほどドキドキした。

 両手で胸を押さえ、尚はずっとその場に立ち尽くしていた。





   
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