笑顔に誘われて… | |
第13話 憮然たる面持ち 「貴方のアパートには、私の車を止めるところがありますか?」 「来客用とかの余分な駐車場はないんです。路上駐車することになっちゃいますけど…」 アパートは大きな道からは外れた、奥まった場所にあるから、車の通りも少ない。 路上駐車しても、住人にそう迷惑はかけないはずだが… 「貴方の車を、いま置いているあの場所に置いたままというわけにはゆきませんよね?」 「は、はい。それはちょっと…」 明日も店はやっている。 裏の駐車場に車を置きっぱなしにしてたら、やっぱり変に思われるだろう。 主任の弘子は、明日も店に顔を出すだろうし… 由香が自分の車を置き去りにして、吉倉の車で出かけたことも弘子は知っている。 翌朝も由香の車があの場所にあれば、そりゃあもう、おかしな誤解を生むに違いない。 「必要な材料を持って、私の家で作るというのは?」 吉倉の提案に、由香は首を横に振った。 「場所は私のアパートのほうがいいです。必要な材料を集めて持っていくなんて、かえって手間ですし…あの、吉倉さん、私ひとりで作ります。だから…」 「かえって邪魔ですか? 私では役に立たないかな?」 ひどく肩を落とした吉倉を見て、由香は慌てた。 「そ、そんなことないですよ。手伝ってもらえたら助かります。あの…吉倉さん、路上駐車するのは嫌ですか?」 「周りに迷惑をかけないのであれば、私は構いませんが…」 「一晩くらいなら、許してもらえます」 「では、そうしますか」 話がまとまり、ふたりは店の駐車場へと戻った。 由香は自分の車に乗り、吉倉の車を従えてアパートに帰った。 「どうぞ。狭いところですけど…」 アパートの玄関に立っている吉倉を、自分の部屋へと招くのは、ちょっと違和感を感じ、由香は落ち着かない気分になった。 「お邪魔します」 少しためらいを感じている表情ながら、吉倉は中へ入ってきた。 由香は、先に部屋に入り、すぐさまエアコンをつけた。そして、お茶でも用意しようとキッチンに入った。 やらねばならないことがあるわけで、お茶など飲んでいる場合じゃないが、部屋が冷え切ってしまっている。 まずは部屋が温まるまで、温かい飲み物でも飲んで、身体を温めたほうがいい。 手がかじかんでいたら、針仕事など出来ない。 「吉倉さん、座っててくださいね。部屋が暖まるまでは、コートは着てた方がいいです」 立ったまま、部屋を眺めていた吉倉は、由香の方へ顔を向けて頷いた。 「お茶を用意したら、すぐ必要な材料を出しますので…」 「慌てなくていいですよ。落ち着いている方が、何事もはかどる」 そうかもしれない。 「ですね」 吉倉は由香の返事に笑みを浮かべて頷き、テーブルを前にして直接ラグに座り込んだ。 さほど大きくない真っ白なテーブルを前にして男性が座っていることに、正直かなりドギマギする。 馴染みの空間が、完全に色を変えてしまっているようだ。 由香はお湯を沸かしている間に、物入れからプラスチックのケースを取り出した。 「それは? 高知さん、材料ですか?」 ケースを吉倉の近くまで持ってゆき、由香は「はい」と答え、蓋を開けた。 「この中に布地が入っているので、吉倉さん、お茶が入るまで、サンタとトナカイに使えそうな布地を探しててくれます?」 「了解」 そっけないような返事をした吉倉は、ケースを自分の手元に引き寄せて、中身を物色し始めた。 「色々あるな…」 「赤と白と、肌色、それから茶色とか、こげ茶が必要ですね。…よいしょっと」 そう答えながら、由香はミシンをテーブルの上に置いた。 裁縫箱を持ってきてテーブルの横に置き、ミシンを使える状態にセッティングしているところでお湯が沸き、由香は急いでキッチンに戻った。 「吉倉さん、飲み物、何が良いですか?」 「そうだな。お茶か紅茶かな。どちらでもいいですよ」 「それじゃ、紅茶にしますね」 彼女は手早く紅茶の支度をし、トレーに載せて吉倉のところに運んでいった。 「どうぞ」 「ああ、ありがとう」 吉倉のほうを見ると、引っ張り出した布を床に広げている。 底冷えしていた部屋も、震えることのないくらい暖まってきていて、吉倉はすでにコートを脱いでいた。 床に無造作に置いてあるコートを、由香は遠慮がちに拾い上げた。 「あの、ハンガーにかけておきますね」 「ああ、すまない」 布地に気を取られているらしく、吉倉は無意識に答えたみたいだった。 ずっと敬語だったのに… 遠慮が取れた彼の受け答えに、由香は笑みを浮かべていた。 吉倉のコートをハンガーにかけ、ついで自分もコート脱ぎ、ハンガーにかけた。 そして少し迷ったものの、両方ともクローゼットの扉の前にかけておいた。 「こんなものかな」 彼の言葉に振り返ると、紅茶を飲みながら並べた布を指す。 由香は近づいていって、一枚一枚手に取り、選定した。 赤は五枚ほどあった。 だいだい色、暗い赤、真っ赤なもの…さらにサイズもまちまちだ。 由香はだいだい色を除き、充分なサイズがある二枚だけを残して見比べた。 次に肌色のものを手に入り、その二枚に並べて色合いが合うもの、一番サンタの色と感じるものを選び出した。 「これがいいですね。眉やひげの白は、このアイボリーにして、縫い目で髭の感じも出せると思います。 「目の位置は大丈夫かな? 私は被って合わせてもらえるが、靖章さんは合わせられないから、もしずれると、被っているのが大変になると思うんだが…数分のことじゃないからな」 「目の部分は少し大きめにしてみます。眉毛を太くしておいて、マジックテープでくっつけるようにして、位置をずらせるように…」 「凄いな」 感心したように言われ、由香は戸惑った。 「はい? あの、凄いって?」 「いや、問題点に、即座に解決案を出してくる」 「そんな凄いとかじゃ…これも経験です。それじゃ、まず型紙を作りますね…あの」 「うん?」 「吉倉さんの頭のサイズ、計らせてもらってもいいですか?」 「ああ、どうぞ。…けど、どうやるのかな?」 由香は頷き、裁縫箱からメジャーを取り出し、さっそく吉倉に近づいた。 「あの…すみません。失礼します」 メジャーを顔に近づけようとして、無礼なことをしているように思えて、由香は腰が引けた。 「高知さん、どうしました?」 メジャーを構えて、動きを止めている由香を見て、吉倉が眉を寄せる。 「い、いえ…なんか顔のサイズを測るなんて…失礼な気がして…」 「気にすることはない。遠慮なく計って。ほら、仕事が進みませんよ。ぐずぐずしていたら夜が明けてしまう」 いくぶん叱責するように言われ、由香は気まずく頷いた。 確かに、その通りだけど… 男の人に近づくようなことって、由香の人生、これまでまるきりなかったし… 由香は、おずおずとメジャーを近づけ、まずは吉倉の頭の周囲を測った。 ふたりの身体は接触しそうなほど接近しているし、彼の頭に触れてしまっていることにどうしてもドキドキしてしまう。 「メモは、しなくていいですか?」 「あ、そ、そうですね。それじゃ…」 由香は焦って立ち上がり、メモ帳とペンを取ってきて吉倉に渡した。 吉倉は、由香が測ったサイズを書きとめてくれた。 ずいぶん綺麗な文字を書く人だ。 測ったサイズを参考に、必要な部位の型紙を手早く作る。 吉倉は出来上がった型紙から順に、はさみで切り抜いてくれた。 彼女が指示するより早く作業をやってくれる感じで、彼の頭の回転のよさに感心してしまう。 サンタの分の型紙をすべて作り終えたところで、彼女は型紙をテーブルに並べてみた。 「ふーむ、確かにサンタだな」 感心したように吉倉が言う。 「そうですか?」 「こんな風に作るんだな。しかし、何も見本が無いのに、どうしてできるのか不思議ですよ」 「だって、サンタさんもですし、トナカイのぬいぐるみも作ってますから。どちらも人気ありますから、たくさん作るんですよ」 「ああ、そうか…綾美の部屋にもトナカイがいたな…あれも工房で作られたものだったのかな?」 「そういえば、綾美ちゃん、気に入って買ってましたね。工房のぬいぐるみ、従業員割引で買えるんですよ」 由香の言葉を聞き、吉倉は由香の部屋を眺め回す。 「貴方の部屋には、ぬいぐるみがないんだな」 「これまでたくさん作ってきたから…全部を部屋に置くのは無理ですし、けど気に入ったのだけいくつかって、他の子が可哀想な気がして…」 吉倉が笑った。 「貴方らしい」 「そ、そうですか?」 「この型から、どんなものが完成するのか楽しみだ」 「物作りは根気が必要ですよ」 「そうだな。根気を楽しめるようでないと…」 型紙を布地に載せている由香の手元を見ながら、吉倉が言い、由香は思わず顔を上げて彼を見た。 由香の視線が自分に向いたのに気づいたのか、吉倉も顔を上げてきた。 「高知さん、どうしました?」 「い、いえ…」 由香は彼に笑顔を向け、作業を進めた。 吉倉は、本当に好ましい人だ。 ミシンで縫える部分はミシンで縫ったが、ほとんど手作業だ。 初め、針を持つ手つきもぎこちなかった吉倉だが、彼の、根気と作業を楽しもうという意識の表れか、そう時間をかけぬうちに、針仕事に慣れてきたようだった。 そんな彼の様を見守るのは、ウキウキするほど楽しかった。 吉倉が由香の指示通りにサンタを縫ってゆく傍らで、由香はトナカイの作製に取り掛かった。 ほとんど無言で作業をしていたが、時たまおしゃべりに花が咲いたりして、時は知らぬ間に過ぎていった。 「やはり、貴方の作業は早いな。私がひとつのことをやり終える間に、十倍ほど作業を終えている」 ほぼ完成に近くなったサンタをしげしげと眺めながら、吉倉は感嘆したように言った。 「ぬいぐるみ職人ですから。単に慣れてるだけです。吉倉さん、それ被ってみてください」 吉倉は笑いながら頷き、サンタの被り物をさっと頭に被った。 「どうです?」 とても温厚そうなサンタが言う。 由香は思わず吹き出した。 「吹き出すほど滑稽ですか?」 「いえ。とってもサンタさんらしくて…」 「ふむ」 吉倉はサンタを脱ぎ、由香に差し出してきた。 「高知さん、被ってみてください。私も見たい」 自分が被ることとなり、由香はためらいを感じたが、ここで嫌だともいえない。 サンタを受け取った由香は、ポスッと頭に被った。 「どうですか?」 由香のサイズで作ったものではないため、被り物の目のところが微妙にずれている。 両手でサンタの頭を少し上に引っ張り、ようやく吉倉の顔が見えた。 笑いを堪えている。 「おかしいですか?」 「いえ。高知さんがサンタに変身したのがおかしくて…いや、良く出来てますよ。表情がいいな。それにたっぷりの髭が…縫っただけで髭らしく見せる技術が凄いな」 「そうですか?」 由香は、被りものの内側の肌触りや、どこかに違和感がないか、長時間被っていられるか調べながら答えた。 「うーん。あまり顔にくっつかないように…小さなクッションみたいなものをつけて、顔からなるべく離すようにするといいかもしれませんね」 「そうですね。特に唇には触れない方がいいな。息がしやすいようにしてもらったほうがいい」 そんな報告を真面目にしてくる吉倉をふと見ると、トナカイに変身している。 「吉倉さん」 サンタの由香は、トナカイの吉倉に話しかけた。 「なんですか?」 トナカイの吉倉が返事をする。 彼が微かに頭を動かすたびに、頭の角が微妙な動きをする。 お、面白い! サンタどころでなく、面白い… 由香は笑い声を上げないように口元を固くした。 そして、ひょうきんすぎるトナカイ吉倉を目にしないで済むよう、顔を俯けた。 「高知さん?」 「は、はい」 口元を強張らせているせいで、声も強張る。 「笑ってますね?」 由香は、無言で首を横に振った。 スポッとサンタの被り物が頭からはがされた。 「あっ」 トナカイ吉倉が、サンタの被り物を握り締めている。 ひくひくと頬を引くつかせていたものの、由香は我慢が尽きて大声で笑い出した。 吉倉は、トナカイの被りものをゆっくりと脱いだ。 「どうやら、明日は、遊園地のスターになれそうだ」 憮然たる面持ちで吉倉が言った。 |