笑顔に誘われて…
第30話 意外すぎる登場



呼び出し音が続き、由香は眉を寄せ、ぎゅっと唇を噛み締めた。

いま何回、呼び出し音を鳴らしたのだろう?

五回超えた? もう十回近い?

鳴り続ける呼び出し音に、心臓の鼓動が次第に速まる。

もう切った方がいいんじゃないだろうか?

吉倉はいま、忙しくて、出られない状況で……そ、そうよ。もしかすると運転中なのかも……

なら、出たくたって出られない。

もしかすると、人と会っていて、話をしているところだったりするのかも。

焦りが湧き、由香は慌てて電話を切った。

緊張していたのかなんなのか、無意識に息を止めていたらしく、いまさら息苦しさを感じて大きく息を吐き出し、新鮮な空気を肺に入れる。

わたし、いま何回鳴らしたんだろ?

数えておけばよかった。
十回以上コールし続けてまで粘ったりしてたら、いくらなんでもしつこすぎるわよね。

運転中だったりしたら、吉倉さん、しつこい電話だったなと思ったかも。

ぐじぐじと根暗な思考をしている自分に、由香は顔を歪めた。

な、なんか……嫌だわ。

もおっ、わたしってば……自分で自分に呆れちゃう。

とにかく、アパートに帰ろう。

それからもう一度、電話すればいい。

吉倉に逢いたいとか、彼の声を聞きたいという気持ちから電話をかけるのではなくて、姉のことに関する報告と、これからのことを相談するという目的でかけるんだから、かけることをためらう必要はないのだ。

エンジンをかけ、ハンドルに手をかけてアクセルを踏み込もうとした時、携帯の着信音が鳴り始めた。

慌ててブレーキを踏み、車体が前後に揺れる。

「もう、由香、慌てることないのよ」

自分を叱り、エンジンを切り、携帯を手に取る。

「は、はい。すみません、よ……」

「高知さん」

女性の声に、由香はハッとして口を閉じた。吉倉だとばかり思っていたものだから、驚きも大きく、由香は焦って口を押さえた。

「あ、あの……た、高知……さんですよね?」

焦りのあるおずおずとした声で、相手が聞いてくる。

まさか、綾美からかかってくるとは……

吉倉と口にせずに、本当に良かったと安堵しつつ、由香は口を開いた。

「え、ええ。そう。ごめんなさい。電話がかかってくるはずで……そのひとだとばかり思っていたものだから……」

いいながら、汗が滲んでしまう。それが綾美の兄だということが、なんとも気まずい。

別に悪いことをしたわけでもないのに……わたしときたら、なんで気まずいなんて思うの?

それでも、綾美ちゃんに、実はあなたのお兄さんと、かくかくしかじかなんて……口にできないものね。

「あっ、それじゃ電話してちゃ、まずいですか?」

「ああ、いいわよ。何か用事なんでしょう?」

「用事というか……実は、ちょっとびっくりするようなことがあって」

「びっくりするようなこと?」

「ことというか……話を聞いたというか……」

「話?」

「はい。あの、高知さん、そのことについても話したいなと思って。お暇だったら、これからお茶でもしませんか?」

綾美と、これからお茶?

「え、えっと……」

「あっ、電話がかってくるんでしたね。予定があるなら、明日以降でもいいです」

「いえ。予定があるというわけではないの」

「それなら……大丈夫ですか?」

もちろん、お茶するくらい別に構わない。

綾美とは、クリスマスパーティに同行する約束をしながら、仕事のためにキャンセルしてしまったし……

「そうそう、綾美ちゃん、クリスマスパーティはどうだったの? 楽しめた?」

「ま、まあまあ……かな。それなりに楽しかったですけど……」

ためらいがちな口調に、由香は眉をあげて「けど?」と問い返した。

くすくすっと笑い声が聞こえ、「実は、激しく自己嫌悪、及び自信喪失中です」と言う。

声は明るいのに、しょんぼりしているのが伝わってくる。

由香は眉をひそめた。

こ、これは……パーティで、落ち込むようなことがあったらしい。

由香と話をすることで、少しでも元気を取り戻せるなら……役に立ちたい。

「いいわ。それじゃ一緒にランチはどうかしら?」

「えっ、いいんですか?」

「ええ。何時に……」

そのとき、着信の知らせが入り、横に流れていく文字をつい追ってしまう。
やはり、吉倉からだ。

「ランチなら、早い方がいいですよね。レストラン一杯になっちゃう前に入れた方がいいし……わたしのお勧めのレストランでいいですか?」

「ええ。もちろんいいわ」

着信の表示が消えてしまい、少し気を揉みながら綾美に答える。

「お洒落なレストランなんですよ。ランチも女の子の喜ぶ感じのお料理が……ってそんなこと、いまはいいですね」

そう言って、くすくす笑ってから、待ち合わせ場所と時間を口にする。

「わかったわ。それじゃ、十一時にね」

「はい」

電話を切り、改めて吉倉からの着信を確認し、深呼吸した由香は、吉倉に電話をかけた。

呼び出すものの、また出ない。

運転中とかだろうか?

電話を切り、そのまま十分待ったが、吉倉からの電話はかかってこず、由香は諦めて車をスタートさせた。

五分ほど走ったところで、着信が鳴る。

運転しているから確認はできないが、きっと吉倉に違いない。

まったく、こんなにもすれ違ってしまうなんて……縁がないってことなのかしら?

そんなことを考えてしまったせいで、気が落ちた。

初体面から色々あってずっと一緒に過ごしたふたりだけど、もしかすると、彼との縁は急激に薄まってしまったんじゃないだろうか?

由香は運転しながら、ため息とともに笑みを浮べた。

なら、ちょうどいいじゃない。
自分の心の底に、彼に恋愛的なものを求める気持ちがあったとしても、これで完全に消せるでしょ?

「確かに……。それにしても車が多いわね」

いつもは渋滞しないような場所で車が数珠つなぎになったまま、動かない。

その間、携帯には何度も着信があったが、運転しながら携帯を弄るわけにはいかないから確認もできず、由香はもどかしくてならなかった。

渋滞の原因は交通事故だった。交差点で車同士がぶつかったらしい。
迂回路もない道だったから、渋滞もひどかったのだ。

そんなことで、アパートに帰り着いたときには、すでに十時半になっていた。

そのまま待ち合わせ場所に行けたらよかったのだが、さすがにいま着ている普段着では出掛けたくない。

由香は大慌てで着替えて化粧を直し、アパートを飛び出た。

これでは完全に遅刻だ。

車を走らせながら、どうしてアパートにいる間に、綾美に遅れそうだと電話をかけなかったのかと悔む。

車を停められる場所を探して、綾美に電話しようかとも思ったが、この時間では、綾美もすでに家を出てしまっているに違いない。

とにかく待ち合わせ場所に行くしかないと思うものの、事故が起きていた交差点を避けたために遠回りすることになり、さらに時間がかかってしまう。

「うまくいかないときって……ほんと、こんなものよね」

諦めを口にし、焦る自分を落ち着かせる。

結局、十五分ほど遅刻し、待ち合わせの本屋の駐車場に到着した。

広い駐車場の中を、綾美の車の色である淡いピンクを目印に進んだが、それらしい車がない。

「おかしいわね?」

綾美も遅くなってしまったとか?

そうだ。携帯……

いっぱいになってしまっている駐車場に、ようやく空きを見つけた由香は、そこに車を駐車し、携帯を取り出した。

携帯を開いて、着信履歴を確認してみる。

「あ、あら?」

電話してきていたのは吉倉ではなかったらしい、すべて綾美だ。

どうしたのだろう?

急な用事が出来て、キャンセルしたいということだろうか?

急いで綾美に電話をかける。綾美はすぐに出た。

「あっ、高知さん。ごめんなさい。電話が繋がらないから、もうどうしようと思ってたんですけど……。いま、待ち合わせ場所なんですよね?」

「ええ」

そう返事をした時、運転席の窓を叩くコンコンという音がし、由香はぎょっとして顔を向けたが、そこに目にしたものがあまりに意外で、目玉が転げ落ちそうなほど目を見開いてしまう。

「ど、どうし……?」

「兄が代わりに向かってくれたんですけど……アイボリーのコート着てて……目印にと思って、高知さんの新作のでぶうさちゃん、持たせたんです」

ガラス越しに、たったいま話に出たでぶうさちゃんが、由香に向けて、おどけた仕種で手を振る。

「でぶうさちゃんをもってたら、高知さんにすぐにわかってもらえると思って。でぶうさちゃん抱えた背の高い男性、そこらあたりにいませんか?」

「ええ、綾美ちゃん、いたわ」

「ああ、よかったあ。怪しい者じゃありませんから、それ兄なので、高知さん、安心して声かけてやってください」

「わかったわ」

「それじゃ、とにかく兄に声をかけてもらえますか? ……高知さんから声をかけないことには、兄は高知さんのことわからないと思うんで……それに、そんなところででぶうさちゃん抱えたままじゃ、変質者扱いされても可哀想なんで」

変質者うんぬんの言葉に、由香は吹き出しそうになり、必死に堪えた。

「ええ、そうね」

当の吉倉は、いまだ、でぶうさちゃんの手をコミカルに動かしている。

由香は笑いながら、ドアを開けて車から降りた。

ふたり向かい合うと、吉倉が唇に指を当て、「綾美?」と潜めた声で言う。
由香はこくりと頷いた。

「それで話を聞いてやってくださいね」

「ええ、わかったわ」

携帯から聞こえた綾美の声に、反射的に返事をする。

「それじゃ、高知さん、あとで」

安堵の含まれた声を最後に、電話は切れた。

「おどろ……」

「由香、びっくりしたろ?」

由香が口にしたと同時に、吉倉は親しみを込めて問いかけてくる。そして、でぶうさちゃんを手渡してきた。

頷いた由香は、でぶうさちゃんを受け取って胸に抱え、くすくす笑い出した。

まったく、意外すぎる登場だ。

本当に、吉倉には驚かされてばかりだ。





   

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