笑顔に誘われて…
第31話 つかめないひと



「いったいどうして?」

由香は、楽しそうに笑みを浮べている吉倉に、問いかけた。

「君と会うのに、目印なんて必要ないんだが、綾美がどうしても、それを持って行けと言うんでね」

吉倉は手を伸ばしてきて、由香の抱えているおでぶなうさぎ……綾美が言うところの、でぶうさちゃんの耳をちょいちょいとつつく。

「綾美も持っていたとは。これを出された時には、笑いを堪えるのに苦労したよ」

くっくっと笑う吉倉を見て、由香まで笑いが込み上げてしまう。

吉倉の口にした場面が頭に浮かび、さらに笑いが膨らむ。

「さて、どうしようか?」

くすくす笑っていると、吉倉は由香の車を見つめ、それから別方向に視線を移しながら言う。

「あの、綾美ちゃんは? 用事でもできて、来れなくなっちゃったんですか?」

そのこととを知らせようと、綾美は由香に電話してきていたのだろうが、彼女が出なかったものだから、吉倉に頼んで……

「ああ、まだ綾美から聞いていないんですね」

「聞くって、何を?」

「話はあとにしましょう。うーん……車は、どうするかな?」

吉倉は由香の車を見つめながら、思案顔をする。

うん? どういうことだろう?

「後ろについてきてもらうのは……心配だしな」

考え考え口にする吉倉に、由香は首を傾げた。

「あの、吉倉さん?」

「いったん、貴女のアパートに戻って、私の車で……それでいいですか?」

「あのお……話がよくわからないんですけど」

由香がそう言うと、吉倉は、えっ? という感じで、眉を上げる。

「綾美のところに貴女を連れて行くつもりで、話しているんですが……」

連れて行く? 綾美ちゃんのところに?

「貴女を連れてきてくれと頼まれたんです」

「えっ、そうなんですか?」

「嫌……ですか?」

窺うように聞かれ、由香は焦って手を振った。

嫌というわけではない。戸惑ってしまっただけ……

「そんなことはありません」

「それじゃ、車に。私は、貴女の後をついて行きますから」

テキパキ言うと、吉倉は即刻踵を返し、歩いて行ってしまう。

でぶうさちゃんと一緒に取り残され、由香は唇を突き出した。

吉倉ときたら、行動が早すぎる。

とにかく私は、車に乗ってアパートに帰ればいいのよね?

そして吉倉は、自分の車で由香のあとをついてくる……と。

綾美は、いったいどうしたんだろうか?

話はあとでと言っていたから……吉倉の車に乗り込んだらということなんだろう。

吉倉の姿を視線で追いながら考えていた由香は、彼が車に乗り込んだのを見て、自分も慌てて車に乗り込んだ。

抱えていたでぶうさちゃんを助手席に座らせ、エンジンをスタートさせる。

そうしているうちに、吉倉の車がやってきた。

彼は由香に向けて、先に行けという身振りをする。

由香は頷き車を発進させた。





アパートに戻り、車を駐車場に止めた由香は、綾美のでぶうさちゃんを連れて吉倉の車に乗り込んだ。
「あの、それで綾美ちゃんは、どうしたんですか?」

「実は、綾美のやつ、貴女と会うために出かけようとして玄関先で足首をひねってしまったんですよ」

「え、ええっ!」

まさかそんなこととは?

「綾美ちゃん、大丈夫なんですか?」

驚いて問うと、吉倉は笑いながら首を横に振る。

「心配は無用です。あいつはおっちょこちょいで……こういうことがよくあるんです。貴女もご存知かもしれないが……」

確かに綾美は、擦り傷が絶えないかもいれない。
しょっちゅう指に針を刺したりしてるし……普通に歩いていても、よく転びそうになる。

「尻餅ついたくらいなら、運転できたんでしょうが。今回は足首を捻ってしまって、いまはまだ痛みがひどいらしくて……」

そうか。それで綾美ちゃん、何度も連絡をくれてたんだ。

「綾美ちゃんに、悪いことしちゃいましたね。わたしが電話に出ていれば……」

「そうそう、電話」

電話と口にした途端、吉倉が言う。

「は、はい?」

「くれましたよね?」

そう聞かれて、すぐにはピンと来なかった。

「電話……あ、ああ、しました」

そ、そうだった。彼にかけたけど、繋がらなかったんだっけ。

「あのとき、運転中だったんですよ。折り返し電話しようとしたら、綾美から電話がかかってきて。実はそのとき、私はちょうど実家に向かっていたんです」

「ああ、そうだったんですか」

「……それで?」

それでとは? ……ああ、電話の内容を聞いているのか。

「それが……あれから、姉と色々話ができたんです」

喜びが改めて湧き上がり、つい勢い込んで言ってしまう。

そんな由香の様子を見て、吉倉はやわらかな笑みを浮べた。

その笑みに、思わずどきりとしてしまう。

やっぱりこのひと、魅力的過ぎる。

いけない、いけない。もう男性として意識しないと決めたのだ。

「どうか……しましたか?」

眉をひそめて聞かれ、由香は首を横に振った。

「それじゃ、走りながら聞かせてもらうかな」

吉倉はそう言い、車を発進させた。





「そうか……携帯を壊してしまったのか……」

姉の携帯に届いた画像のことを聞いた吉倉は、考え込みながら口にする。

「ええ。写真が残っていれば、犯人を突き止められたかもしれないんですけど……そのときの姉の気持ちもわかるし……」

「靖章さんの携帯から送ってきたのは、間違いないんですね?」

「間違いないかまでは、ちょっと……でも、姉はそう言ってました」

「そして、それは浮気相手から送ってきたのだと?」

「ええ。それについては、そうとしか思えなかったからで……もちろん確証があったわけではないですよね?」

吉倉は前を向いたまま頷く。

「靖章さんの携帯から写真が送られてきたわけか……それで、その画像には何が写っていたんですか?」

「えっ?」

吉倉の問いに、由香は面食らった。

浮気相手から送られてきたというからには……送ってきた相手である、女性の写真だろうと思っていたのだが。

これって、わたしの勝手な思い込み?

「すみません。どんな写真だったかは、聞き損ねました」

「なら、お姉さんに聞いてみてください」

「あの……姉は、吉倉さんも一緒に相談に乗ってもらいたいって、言ってるんですけど……」

「私も?」

「はい。あの、甘えてしまって……いいですか?」

「もちろんですよ。そうか……お姉さんが……」

吉倉は声に喜びを滲ませている。迷惑には思われていないみたいだ。

由香はほっとした。

「由香」

思案しつつ、吉倉は上の空のような感じで呼びかけてきた。もちろん、呼び捨てにされてドギマギしてしまう。

「は、はい」

「もっと情報が欲しいな」

「情報ですか?」

「私は、お姉さんとは、そう頻繁に会って話はできないだろうし。三人で顔を合せた時には、なにかしら作戦なり立てられたら、話が早い」

「それはそうですね」

「それで、お姉さんは、その壊れた携帯を処分されたのかな?」

「ど、どうでしょう。……今日帰ったら、姉に聞いてみます。写真がどんなものだったかも」

「うん。あと、送られてきた時の状況をもっと詳しく聞いてみてください。送られてきた月日と曜日。それと時間。何時何分だったかまでわかるなら」

「はい」

「それから、そのとき靖章さんは、どこにいたのか。これについては、早紀さんと靖章さんの両方から聞いてみる必要があるな」

要点を押さえた吉倉の言葉に、感心してしまう。

「靖章さんのほうは、私に任せてくれますか?」

吉倉から言われ、由香は大きく頷いた。

「はい。お願いします」

靖章は吉倉を信頼しているし、男同士のほうが色々と話しやすいだろう。

「えーっと、それじゃ、わたしは……姉に、どんな写真だったのか、いつ送られてきたのか、そのとき靖章さんはどこにいたのかを聞けばいいんですね?」

「ええ。その写真以外にも、何か不審なことがなかったか聞いてみてください。どんなささいなことでも」

「はい、わかりました」

こうして吉倉と話していると、すでに解決への道を進んでいる実感が持てて、心が軽い。

動き出せたんだ。絶対に無理だと諦めていたのに……

諦めという言葉に、由香は胸がズクンと痛んだ。

わたし……諦めて、何もしなかった。いや、それどころか、離婚という最悪の結果に平安をみていた。

わたしってば、最悪をよしとしてたんだわ。

「由香さん?」

やさしく呼びかけられ、由香は顔を上げて吉倉に目を向けた。

「どうしました?」

前を向いたまま、気がかりそうに問いかけてくる。

「吉倉さん、耳の辺りにも目がついてるんですか?」

「はい?」

「こっち向いてないのに、そんな風に聞いてくるから」

「ちらっと目を向けたら、考え込んでいるから……まあ、耳の辺りにも目がついていたら便利かもしれないが」

「恐いですよ」

「貴女が言い出したんですよ」

「そうですけど」

「それで、何を考えてたんですか? 話せないことなら、聞きませんが」

「姉たちのことです。……わたし、最悪をよしとしてたんだなって、反省してました。姉が離婚して、最悪の結果になったけど、とにかくもうこれで決着がついたんだって……わたし、ほっとしたんですよね」

「時が必要だったと考えることもできますよ」

「時が?」

「ええ。離婚し、時が過ぎたからこそ、靖章さんも早紀さんも、当時を冷静に振り返ることができるんじゃないかな」

「そう……かも」

「いまが最良の時なんですよ。その時を……」

吉倉は、唐突な感じで押し黙った。

「あの?」

戸惑って問いかけると、吉倉が口を開いた。

「運命の神様は、待っていたんでしょう、きっと」

運命の神様という言葉には、とても重みがあった。

運命の神様か……

「いるんでしょうか? 運命の神様」

由香が問うと、吉倉がくすくす笑い出した。

「さあ、どうでしょうか」

吉倉ときたら、自分から言い出したくせに……

「わたし、いると思います」

「驚いたな。断定するんですか?」

からかうように言われて、ちょっとむっとする。

「なら、吉倉さん、信じてないのに、口にしたんですか?」

面白くなくて、強く言い返すと、吉倉は急に笑みを消した。

「勇気が好物なんだと思いますよ」

「は、はいっ?」

面食らっている由香をよそに、吉倉は淡く笑む。

「由香さん、あそこの喫茶店、コーヒーがとても美味しいんですよ。今度一緒に行きましょう」

前方の建物を指して吉倉が言う。

吉倉ときたら、ほんとつかめないひとだ。

由香は苦笑しつつ、誘ってもらえたことに胸を弾ませた。





   

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