笑顔に誘われて…
第36話 なんだか人気者



「高知……」

「吉倉さん」

呼びかけられた途端、由香は吉倉の言葉を封じるように呼びかけ返した。

もう色々と突っ込まれたくない。

「駅でいいですので」

由香は早口に言った。

「えっ? アパートまで送りますよ」

「綾美ちゃんのことが、心配なのでしょう?」

「あー、まあ」

困ったように答えた吉倉は、「ですが」と言葉を続ける。

「貴女のアパートは、駅からが遠い。あの辺りはバスもないはずですよ。夜道を歩いて帰らせるわけには……」

「タクシーがあります。けど、今日のところは両親の家に直接帰ろうかと思います。夕食を食べに行くことになっているし。あそこだったら、駅も近いので」

「ご自分の車がないと困りませんか? あっ、そうだ……どうせ明日会うんですから、私が迎えに行こう」

「そうしていただけたら、助かります」

この場は、吉倉に納得してもらうため、遠慮なくお願いする。

「それならば、ご両親のマンションまで送りますよ。アパートよりはだいぶ近いですからね」

「いえ、駅で……」

「もう過ぎましたよ」

由香は眉を寄せた。

「いいんですか? 心配なのでしょう?」

とはいっても、綾美は好きな人とふたりきりでいられて嬉しいに決まっているし……兄の吉倉には帰ってきてほしくないはず。

うーん、わたしはどちらに味方すればいいのかしら?

綾美ちゃん、それとも吉倉さん?

「難しい顔をして、どうしたんですか?」

「あ……いえ、何も」

「綾美と……」

「はい?」

「いや……どんな話をしたんですかと聞こうとしたんですが……こんな質問、ぶしつけですよね」

反省したように吉倉が言う。

「それって、綾美ちゃんのことが心配でってことですか?」

「えっ? いや……まあ……」

また口ごもる。なんだか今の彼はおかしい。

「あの、吉倉さん、どうしたんですか?」

「どうしたとは?」

「なんか……吉倉さんらしくない気が……」

遠慮しつつ指摘したら、吉倉は黙り込んでしまった。

「なんか口にしちゃいけないこと、言いました?」

「そんなことは……そういうことじゃないんですよ」

やはり、らしくない。こんな濁した返事をするひとじゃないのに。

どうやら、なにかわけがあるらしい。由香の知らないことが……

それは綾美のこと? それとも……

「清水さんってかた……」

「えっ!」

何気なく口にしたら、由香がぎょっとしてしまうほど、吉倉は大きな声で叫んだ。

「あ、あの?」

「あ、いや、すまない。……清水が……何か?」

そう問いかけてくる吉倉は、運転しながらちらちらと由香を窺ってくる。

態度はぎこちないし、その表情も緊張を帯びているように見える。

もちろん由香には、彼がこんな態度を取る理由がわからない。

「高知さん? あの……もしかして……」

「はい? なんですか?」

「いや……その……」

由香は首をかしげた。

「いったいどうしたんですか? 吉倉さん、いつもと違いすぎますよ。おかしいです。何か言いたいことがあるのなら、はっきり言ってもらいたいんですけど」

「う」

吉倉は小さく呻いたあげく、黙り込んでしまう。

「……吉倉さん?」

「待ってもらえませんか?」

「は、はい? 待つって?」

吉倉は大きく息を吸い込み、覚悟を決めたように口を開いた。

「貴女に話さなければならないことがあるんです。ですが……いますぐは話せない」

いったい?

「あの、そんなことを言われたら、ものすごーく気になるんですけど」

「でしょうね」

苦笑しながら言う。由香は眉を寄せて吉倉を睨んだ。

「もう、そんな風に納得しないでください。それって、綾美ちゃんに関係することなんですね?」

「ノーコメント」

「は、はい?」

「それより、お祝いをしましょう」

唐突に話が変わり、由香は顔をしかめた。

「お祝いって……なんの?」

「もちろん、あのうさぎのぬいぐるみの、特大注文が入ったお祝いですよ」

「あ、ああ」

その気持ちは、とても嬉しいけど……彼にお祝いをしてもらうというのも……なんか……普通に考えると……おかしな気が……

綾美ならまだしも……

「いつから取りかかるんですか?」

「正式に取りかかるのは、お正月明けになります。けど、製図は家でもできるので……時間のあるときにやり始めるつもりですけど」

「私も、あのぬいぐるみのミニチュア版の発注をしたいんですが……これは工房を通さないとダメなのかな?」

「そうなります」

「そうか」

吉倉はひどく残念そうに言う。

これは、年明けまで待てないということだろうか?

「どうしても、でぶうさちゃんのミニサイズがいいんですか?」

「それは?」

「違うものでいいのなら……お世話になったお礼に作らせていただきます」

「そんなわけには……」

「手のひらサイズがいいんですか?」

「だが……」

遠慮を見せる吉倉に、由香は強引に出ることにした。

「なら、勝手に創ります。仕事関係のものですか?」

「うん、まあそうですが……」

「わかりました。いくつかサンプルを作ってみますね」

「甘えてしまっていいのかな?」

その言葉に、由香は嬉しくなった。吉倉になら、いくらでも甘えてほしい。

「甘えてください。わたしもまだまだ甘えさせていただくつもりですから」

姉夫婦の相談に乗ってもらうのだ。お礼には全然足りないくらいだ。

どんなぬいぐるみを作ろうかと、考えながら、由香の口元に笑みが浮かんでしまう。

吉倉との縁は、そう簡単に終わったりしない。

まだまだ彼と繋がりを持ち続けられるのだ。

そう思うと、胸が満ち足りてならない。

彼と、どれだけ一緒にいられるのかわからないけど……由香は、今があることに、神様にいっぱい感謝したかった。





お風呂から上がった由香は、何か飲み物でも飲もうと、キッチンに向かった。

「由香」

急くような呼びかけに振り向くと、姉が自分の部屋から顔を出して手招く。

「喉がかわいちゃったの。何か飲んでくる」

「わかったわ。飲んだらすぐきてくれる?」

「真央ちゃん、寝たの?」

「ええ、ぐっすり夢の中よ」

姉の屈託のない笑顔を、由香は思わずじーっと見つめてしまった。

「なに?」

「あ、ううん。いい笑顔するなと思って」

「い、いやーねぇ、からかわないでよ」

「正直に言ったまで」

笑ながら言い、由香はキッチンに入った。カウンターの向こうから、今度は母がこいこいと手招く。

人気者だわ、わたし。

くすっと笑い、ウーロン茶をグラスに注いで、母のところに行く。

「なあに?」

「早紀のことよ。なんかあの子、すごくいいんだけど……何か心境の変化があったのかしら?」

「ん。そうみたい」

「由香が、何かしてくれた?」

「うーん、わたしっていうより、……佳樹さん……かな」

「やっぱり!」

実は知っていたと言うように、母は大きく頷く。

この母の反応は、ちょっとばかり面白くなかったが、由香は思わず吹き出してしまった。

なんだか、家の中がパッと明るくなったようで……それがたまらなく嬉しい。

「お姉ちゃんに呼ばれてるから、行くね」

ソファに座っている父も、由香と話したいようだったが、いまは姉が優先だ。

父は残念そうな表情になりつつも、姉と由香が仲良くしている状況が嬉しいらしく、行って来いと手を振ってくれた。





   

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