笑顔に誘われて…
第4話 店員初体験


針を動かしていた由香は、工房の中に人が入ってきたのに気づいて顔を上げた。

主任の弘子だ。どうしたのか、ひどく困り顔をしている。

「どうかしたんですか?」

「ああ、それがねぇ」

「何か、問題でも?」

口ごもっている弘子に、綾美が重ねて聞いた。

「実は、お店の方の子がインフルエンザになっちゃったらしいのよ。いま病院に行って、医者にそう言われたって電話もらって…」

店というのは、このぬいぐるみ工房の直営店。
この工房から歩いても五分くらいでゆけるところにある、とってもかわいらしいお店だ。

「あちゃー、いま、流行ってますもんね」

「そうみたいねぇ。困るわぁ」

綾美の言葉に答えた弘子は、ため息をつきながら肩を落とした。

「バイトって、すぐにはみつからないでしょうし…店の方、いま大丈夫なんですか?」

由香は心配になって聞いてみた。

直営店は常時三人ほどの店員がいる。
今の時期は客も多いし、ひとり休んでは大変に違いない。

「あきに連絡して、無理に入ってもらったわ」

「ああ、あきちゃんが」

「ええ。あの子、ちょうど今日が終業式でね。おかげで助かっちゃったわ」

あきとは、主任の娘さんの亜紀奈ちゃんのことだ。
彼女は高校二年生なのだが、忙しいときには店でバイトしてもらっているらしい。

「そうなんですかぁ、良かったですね」

由香の言葉に、弘子は頷いたが、それで問題解決とはいっていないらしい。

「ええ、だから今日と明日はいいの。けど、あの子、イブの日は友達と遊ぶ約束してるから、その日はどうしても嫌だっていうのよ。私が入れればいいんだけど、その日はどうしても外せない用事があって…」

そういうことか…

それが弘子の困り顔の要因だったわけだ。

「ああ。それはそうですよね。イブは…」

弘子はそう口にした綾美に、目を向けた。

「綾美ちゃんも、やっぱり予定とかある?」

その言葉に、綾美は申し訳無さそうに頷く。

「そう…」

弘子はそう呟きながら、今度はいくぶん縋るような目を由香に向けてきた。

これは手伝ってあげたいのは山々だが…
実は、綾美が誘ってくれていたパーティーに付き合うと、午前中に約束したところだった。

パーティーは二時から、店の手伝いに入るとすればもうパーティーにはゆけなくなるが…

由香は、自分を不安そうに見つめている綾美に目を向け、首を小さく振ってから弘子に視線を戻した。

「私…入りましょうか?」

「あら、高知さん、ほんとに?」

「た、高知さん。イブはパーティーに…」

焦ったように聞いてくる綾美に由香は顔を向けた。

「綾美ちゃん、ごめんね」

日曜日は午前中、イチゴサンタちゃんのところに行き、午後からパーティにと思っていたのだが…

「付き合えなくなるけど…」

「あら、ふたりしてパーティーの予定があったの?」

「は、はい」

「そうなの…。それじゃ、他の子にあたってみるわ」

「主任さん」

「いいのいいの、きっと誰か見つかるわ」

弘子は笑みを浮かべて由香に手を振り、すぐに立ち上がって行ってしまった。

「見つかるでしょうか?」

綾美は顔をしかめて弘子を目で追っている。

「どうかしら」

手伝いを引き受ける者がいるとは正直思えない。
ここのところ残業続き、土曜日は出勤で、みな心身とも疲れている。

十分もしないうちに、弘子が戻ってきた。
顔色が冴えないところをみると、やはり問題は解決しなかったらしい。

「高知さん。悪いんだけど…日曜日頼める?」

由香は、すでに諦め顔をしている綾美と視線を合わせてから、弘子に頷いた。


「ほんと残念ですよぉ。一緒にパーティーに行ってもらえると思ったのに…」

「ごめんなさいね。あの、どんなパーティーだったの? 参加するって言っといて、こんな急に、また行かないなんて言って、大丈夫だった?」

「それは大丈夫です。大きな規模のパーティーなので」

大きな規模?

「そ、そうなの?」

「はい。芸能人とか有名人とかも多いし、色々趣向を凝らした催し物もあるみたいで、高知さんにも楽しんでもらえると思ったんですけど…」

しょんぼりとした風情で言う綾美には申し訳ないが、その話を聞いたいま、由香はかなりほっとした。

どうやら、彼女には馴染めない種類のパーティーだったようだ。

「高知さん、お店の閉店まで手伝うつもりなんですか?」

「その時の状況次第ね」

出来れば、五時半くらいにはあがらせてもらいたいところだ。
イチゴサンタちゃんのところには、どうしてもゆきたい。

「そうですか」

「綾美ちゃん、一緒に行けなくなっちゃったけど…頑張ってね」

「えっ。あ…ま、まあ、はい。頑張ります」

綾美は頬を桃色に染め、困ったように笑った。





遅い夕食を食べているところに、母から電話がきた。

電話の内容は、クリスマスの日に、真央の喜びそうなところに遊びに連れて行ってくれないかというものだった。

「真央が不憫でならないのよ。でも、私やお父さんみたいな年寄りと遊びに行くより、あんたの方が真央も楽しいんじゃないかと思ってね」

母の声は、疲れが滲んでいた。
姉の心配と、孫の世話とで、母はひどく疲れているのに違いない。

「ええ、もちろんいいわよ。そうだ、その日は真央ちゃんが嫌がらなかったら、そのまま私のところに泊まらせるのってどうかしら?」

「いいの?」

「うん。月曜日から、もう私、仕事も休みだから。遊園地にでも遊びに行って、その帰りに、真央ちゃんと一緒に、お姉ちゃんのところに寄るわ」

「そうしてくれる? 助かるわ」

「お母さん…あの、大丈夫? 疲れてない?」

「…まあ…ね。でも大丈夫よ。それじゃ、月曜日頼むわね」

「うん。日曜日は、私、仕事になっちゃったけど、七時くらいにはあがれると思うから、ケーキ買って持って行こうか?」

「ああ、日曜日の夕食は、三人でレストランに行くことにしてるの」

「そうなの?」

「イブだしね。真央の好きなハンバーグを食べさせてあげようと思ってるのよ」

「あら、いいじゃない。真央ちゃん喜ぶわ。それじゃ、ケーキも必要ない?」

「由香、あんた、イブに予定とかないの?」

「まあ、あるにはあったんだけど…仕事になったから断っちゃった」

「あんたがいいなら、ケーキ頼もうかしらね」

「うん、わかった。それじゃあね」

電話を切った由香は、ため息をつき、夕食の続きに戻った。





やれやれ…

三時近くになり、由香は店内を見回しながら、肩の疲れをほぐした。
店員なんてしたことがないため、どうにも客の対応というのは緊張する。

あのイチゴサンタの店員さんみたいに、笑顔だけでこちらの気持ちをしあわせにできたらいいのに…

店は、いい感じに込んでいるし、やってきたお客の大半は、クリスマスのプレゼントとしてぬいぐるみたちを買って行ってくれる。

疲れはするが、数あるぬいぐるみの中から、由香の作ったぬいぐるみを選び出してもらえたら、顔がしまりなく緩むほど嬉しい。

さらに、贈り物として可愛くラッピングされてゆくのを目の当たりにするのは、喜びもひとしおだ。

「高知さん」

店の裏口から姿を見せたのは、弘子だった。

「主任さん」

「今日はありがとうね」

「いえ。けど、店員なんて初めてで、役に立ててるのか…」

「そんなことないわよぉ。高知さんのおかげで、助かったわ。用事も終わったし、これから私も入れるから」

「そうですか」

仕事に慣れている弘子が入ったことで、由香はぐんと楽になった。

正直、弘子がいれば、由香など必要がないくらいだ。

わたし、もういなくてもいいかも…

時間は四時半、イチゴサンタちゃんは、ちゃんといるだろうか?

由香は落ち着かなくなってきた。
イブで、いつもより早く仕事をあがったりとか…ないだろうか?

「あの、主任さん」

「はい?」

「私、これであがらせてもらってもいいですか?」

「あら、何か用事? ああ、パーティとかって行ってたわね。これからだと、まだ間に合う?」

「いえ、そうじゃないんですけど…。行きたいところがあって。いいでしょうか?」

「もちろんいいわ。高知さん、今日は本当にありがとうね。ほんとに助かったわぁ」

由香は笑みを浮かべて頭を下げ、色々と世話を掛けてしまったほかの店員さんふたりにも声を掛け、仕事をあがらせてもらった。





   

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