笑顔に誘われて… | |
第54話 ふたつの「ごめん」 ううっ、なんか緊張する。 走る車の中、助手席に座った由香は、身を硬くしていた。着慣れない着物を着ているせいもあるが、どうしたのか吉倉が黙り込んだままなのだ。 沈黙が耐えきれず、なんでもいいから話しかけたいが、それができずにいる。 この振袖姿を気に入ってくれたと思うのに……いまになって気持ちが変わっちゃったとか? もしそうだったら、どうしよう? 顔を歪めた由香は、あれっと後部座席を振り返った。 いまになってなんだが、綾美がいないではないか。一緒に行くことになっていたのに…… 「あの、綾美ちゃんは?」 「あいつとは、神社で落ち合うことになってます」 「そうなんですか」 そう返事をしたが、ちょっと腑に落ちない。 一緒でよいのに、どうして別々に? あらっ、そういえば…… 「清水さんって方……」 「ふたりきりで……」 ふたり同時に口を開いてしまい、同時に口を閉じる。 「……清水が、どうかしましたか?」 黙っていると、吉倉が問いかけてきた。その声に、少しこわばりがあるように思え、由香は首を傾げた。 「あっ、はい。……昨夜の電話のとき、自分も一緒に行くとかっておっしゃってましたけど?」 清水が一緒であれば、綾美も嬉しいだろうと思ったのだが、ずいぶんと酔っていたようだし……酔いの上の発言だったのか。残念だ。 「実は、綾美は清水の車で神社に……」 「は、はいっ?」 「いつの間にやらそういうことになってしまって……」 よ、よくわからないのだけど…… とにかく、綾美ちゃんは好きな人とふたりきりで、神社にいけたということなのよね。 新しい年の幕開けから……綾美ちゃん、やったわね! 心が弾み、由香はここにいない綾美に向けて、声援を送る。 「由香」 「はい」 「あの……できればふたりきりで過ごしたいんだ。綾美と落ち合うことになっている神社はやめて、別のところにいかないか?」 由香は面食らった。 別のところ? 「で、でも綾美ちゃんが……」 由香は途中で言葉を止める。 考えてみれば、綾美のためには、そのほうがいいんじゃないだろうか? 好きな人とふたりきりで過ごせる……あっ、でも…… 由香は眉をひそめた。 吉倉は、綾美と清水をふたりきりにしたくないようだったのに…… だって、ふたりきりになるのを、ずいぶん心配していて…… 「でも、綾美ちゃんを、清水さんとふたりきりにしてしまって、佳樹さん、いいんですか?」 「うん?」 「ほら、わたしが佳樹さんのご実家にお邪魔したとき、清水さんと綾美ちゃんをふたりきりにするのは心配だって……」 「ああ……まあ、家にふたりきりというのは心配だが、初詣なら心配する必要はないかとね」 「そういうことですか」 兄の許しが出ているのだから、これ以上言うことはない。 綾美も、最高にしあわせな時間を過ごすだろうし…… 「それじゃ、別の神社に行きましょうか」 よくよく考えれば、綾美にこの派手な振袖姿を見られなくてすむんだし、ラッキーな成り行きだ。 心も軽く、由香は笑みを浮かべた。 「あっ、でも、それなら、別の神社に行くってことを、綾美ちゃんに伝えないと」 「あ、ああ……」 どうしたのか、吉倉が口ごもる。 「佳樹さん?」 「……そう、ですね」 吉倉は渋々というように言う。 「どうかしたんですか?」 「いや……」 「佳樹さんは運転中ですし、わたしが電話しますね」 携帯を取り出していると、吉倉が困った様子で息を吐き出した。 戸惑った由香は吉倉を見つめる。 明らかに吉倉はおかしい。 「あの……?」 「もう……話すしかないみたいだな」 「はい?」 意味深に言われ、由香はどきりとした。 「話すって、何をですか?」 何か良くないことでも? 不安がむくむく膨らんでゆく。 「その先のコンビニの駐車場に入るから」 吉倉は前方を指さし、由香は頷いた。 コンビニの駐車場に車を停め、吉倉は由香に顔を向けてきた。 「由香」 厳しい表情を向けられ、由香を見つめる。 「はい」 返事をし、吉倉の言葉を待つ。 彼は言葉を探すかのように、伏せた瞳を揺らしている。 シンとした車内、何がどうしたのかわからぬまま、もじもじしていると、携帯に電話がかかってきた。取り出して確認してみたら、綾美からだ。 「あっ、綾美ちゃんからです」 吉倉がきゅっと眉を寄せ、顔をしかめる。彼はこちらに向けて手を差し出そうとしてやめた。 なんだろう? 由香は戸惑いつつ、電話に出る。 「はい」 「あっ、高知さん」 「綾美ちゃん、明けましておめでとう」 「ああ、はい。明けましておめでとうございます! って……うちの兄貴、ちゃんと迎えにきました?」 「ええ。いま一緒にいるわ」 「一緒にいるそうです」 その言葉は、由香に向けられたものではなかった。いま綾美と一緒にいる清水という人に言ったのだろう。 好きなひとと一緒にいる綾美のことを考えて、ついにまにましそうになる。 これはさっさと、お邪魔虫は現れないぞと教えてあげよう。 口ではなんと言おうとも、綾美は嬉しいに違いない。 「あのね、綾美ちゃん、わたしたち……」 話しかけたところで、今度は吉倉の携帯に電話がかかってきた。 吉倉はすぐに携帯に出る。 「高知さん?」 「はい。ごめんなさい。実はいま、お兄さんの携帯にも電話が……」 「なんだ」 吉倉が電話をかけてきた相手に重い返事する。 なにやら様子が妙だ。 歓迎できない電話のようだが……いったい誰からかかってきたのだろう? 「その電話、清水さんですよ」 潜めた声で綾美が言い、由香は「えっ?」と声を上げた。そして、吉倉が耳に当てている携帯を見つめてしまう。 清水も吉倉に電話をかけてきたのか? 思わずくすっと笑ってしまう。 清水さんは、やはり面白い人のようだ。 「お前、高知由香さんと一緒にいるって? ほんとか?」 はい? わたしの携帯から声が聞こえた男性の声は、清水さんなのだろうけど……このひといま、わたしの名前を口にしたわよね? 「あの、清水さん?」 綾美が面食らった声をかけた。目の前の吉倉は「ああ」と返事をする。 「どういうことだ?」 清水が鋭い声で怒鳴った。 由香は眉を寄せた。 このやりとりって……どういうことなんだろう? 携帯を耳に当てた吉倉は、由香のことをじっと見つめている。由香は問いを込めて吉倉の目をまっすぐに見つめ返す。 「政充、あとで……今夜にでも話そう」 「今夜?」 清水は苛立ったような返事をする。 「初詣……悪いが、俺たちは別の神社に行く」 「俺たち?」 清水は皮肉めいた声で言う。 「綾美のこと、頼めるよな?」 「ああ。もちろんだ。……何をどう言えばいいのかわからないがな」 「それじゃ、今夜。また連絡する」 吉倉は通話を終えた。 「え、えっと……あの、綾美ちゃん?」 まだ繋がっている綾美に話しかけたが、吉倉が、「由香、ちょっと借してくれないか」と言ったと同時に手を伸ばしてきて、携帯を取り上げられた。 「あ……」 「綾美。悪いが、清水と初詣してきてくれ。由香は俺が……ああ、綾美、俺と由香は結婚を前提に付き合うことになったから」 「よ、佳樹さん!」 綾美にさらりと伝えた吉倉に、慌ててしまう。 「ええーっ!」 大きな叫びが携帯から聞こえる。 由香が唖然としている間に、吉倉は「それじゃな」と電話を切ってしまった。 吉倉は無言で携帯を返してくる。 受け取ったものの、吉倉の発言に、いまさら心臓がドキドキと高鳴る。 「よ、佳樹さんってば……」 「うん?」 こちらは大混乱しているというのに、何か考え込んでいる吉倉の反応は鈍い。 「うん、じゃないですよ。あまりに唐突です」 顔をしかめて文句を言う由香を、吉倉はじっと見つめてくる。なにやら物言いたそうだ。 「な、なんですか?」 「いや……どうして俺は……こんなにも君が好きなんだろうと思って」 「は、はあっ?」 至極真剣な吉倉の発言に面食らったが、次の瞬間、顔がカッと熱くなった。 「な、な、な……」 激しく動揺していると、すっと吉倉の顔が近づき、唇が重なった。 短いけれど、唇を味わうようなキスで、唇が離れたあと、由香は思い切り身を引いた。 こ、こ、こ、ここは……コ、コ、コ、コンビニの駐車場で…… 周囲を焦って見回した由香は、コンビニの中にいる女性と目を合わせてしまい、激しく狼狽した。 「よ、よ、佳樹さん。場所を考えてくだ……」 抗議している途中で、吉倉の手が唇に触れる。思わず口を閉じてしまう。 「確認したかったんだ。キスを許される立場だと……ごめん」 申し訳なさそうに謝った吉倉だが、次の瞬間、彼は小さく噴き出した。 「でも、こういうのも悪くないと思ってる。ごめん」 今度の「ごめん」には、まるで反省の色はなかった。おかげで、由香まで笑いそうになる。 本気では怒れない。それどころか、ときめいてしまっている。 ぷっと噴き出したら、吉倉が「ありがとう」と言った。 「どうして、お礼を言うんですか?」 「君がここにいてくれるから」 吉倉は真面目な顔で囁くように言う。 胸が苦しいほどきゅんとし、由香は息が止まった。 |