笑顔に誘われて… | |
第69話 だからこそ イチゴちゃん、いるかしら? そわそわとした足取りで、由香は宝飾店に向かう。 そんな由香に寄り添うようにして、佳樹は悠々とついてくる。 それにしても、ショッピングセンターの店内、どこもかしこもピンクと赤で、バレンタンイデーの彩りが濃い。 バレンタインデーか。 これまでのわたしにとっては、あまり意味のある物ではなかったのよね。 けど、いまは佳樹さんがいるから、特別な意味のあるものになっちゃって。 人生は面白いものだな、なんて、しみじみと感じ入ってしまう。 バレンタインデーのプレゼント用にラッピングされたアイテムがディスプレーに飾られているのを目に入れ、由香は考え込んだ。 そうだ。佳樹さんに渡すのなら、チョコだけでなく、贈り物も添えたいわよね。 そういえば、高校の頃、彼氏のいる友達はマフラーを編んだりしてたっけ…… 手作りか…… けど、すでに手袋も編んで渡しちゃったし…… セーターはさすがに無理だから……編み物だと、あとはマフラーとか帽子、靴下ってところかしら…… ほかに、何か佳樹さんの喜びそうなもの…… 「由香」 通りすがる店の品物を眺めながら歩いていたら、佳樹が注意するように呼びかけてきた。 彼に振り返った由香は、前方からキャッキャッと可愛らしい声を上げながら駆けてくる小さな男の子に気づいた。 ぶつかりそうになり、わっと思った瞬間、由香は佳樹にぐっと抱き寄せられ、おかげで難を逃れた。 子どもの父親らしき人物がすぐ後を追って来ていて、由香と佳樹に謝罪を込めたお辞儀をし、子どもを抱き上げた。 それを確認し、由香は佳樹に顔を向けた。 「よそ見していて、ごめんなさい。佳樹さん、ありがとう」 「僕は君を守るナイトだからね。役目を果たせて嬉しいよ」 冗談めかして言われ、どうにも顔が赤らむ。先ほどの子どもの父親と、母親もそこにいて、佳樹の台詞を聞いたようで、いくぶん驚きの表情をする。 「よ、佳樹さん」 顔を赤らめて抗議の声を上げた由香は、佳樹の手を取ると、その場から逃げようと急いで歩き出した。 「真央さんくらいだったな」 早足で歩きながら佳樹がぽつりと言う。さっきの子どものことだろう。 「うーん、もう少し小さいかしら」 「そうか。……なかなか会えないな」 物足りなさそうに言う佳樹に、由香は笑みを浮かべた。 彼が真央を気に入ってくれている。 「わたしが実家に戻ったら、もっと会えるようになると思いますよ。実家にはけっこう顔を出してますから」 「そうらしいね」 その返事に、由香は笑みを浮かべた。 佳樹は靖章とちょくちょく電話で話をしているようだ。ふたりがとても気が合うようで、由香としても嬉しい。 「あのくらいの子どもは、どんどん成長するんだよな。会うたびに驚いてしまう」 「そうですね」 そう答えて、少し悔い感じる。由香自身、このところ真央と会えていない。 「わたしも会いたくなりました」 「なら、このあと会いに行ってみないか?」 「えっ?」 「靖章さんに電話してみよう」 佳樹は、さっそく携帯を取り出す。 迅速過ぎる行動に、由香は笑った。 迷うことなく行動しちゃう、そのスタンス。わたしは見習うべきね。 残念ながら、姉一家は靖章の実家に行っていて、会いに行くことはできなかった。 その代わり、来週の週末、由香の実家で会う約束をした。 土曜日の夜泊まり込もうという話になり、由香の両親には早紀のほうで伝えてもらうことになった。 「来週が楽しみだな。……けど、大勢で押しかけることになってしまって……君のご両親は……」 「そっちは気にしなくていいです。賑やかなの、喜びます」 これまでのことを思いつつ佳樹に告げると、彼は黙って頷いてくれた。 心が通じ合っているのを感じられて、どうにも胸が膨らむ。 視界に目的の宝飾店が見えた。 由香は急いで視線を巡らし、イチゴちゃんを探す。 きっと、バレンタインフェア用のコスチュームを着ているはず。 「あっ、いた」 派手な衣装の女の子が、探す必要もなく目に飛び込んできて、由香は思わず声を上げた。 「ほお。凄いな」 「ええ、すっごく可愛いです」 由香は佳樹に答え、宝飾店に急ぐ。 かなり近づいたところで、由香はぴたりと足を止めた。 あれれ? な、なんか、印象が違う? あれは、イチゴちゃんじゃないの? 可愛らしいコスチュームを着ているものの、仕種がとても上品なのだ。 「由香、どうしたんだ?」 「それが……あれって、イチゴちゃんじゃないのかなって」 「うん? そうなのか?」 「なんか……仕種が、これまでと違うっていうか」 「とにかく、行ってみようじゃないか」 「え、ええ」 躊躇いつつ店内に近づく。 上品に接客していた彼女が、近づいてくる由香たちに気づく。 目が合った瞬間、パッと嬉しそうな笑顔を浮かべてくれ、由香はほっとした。 なんだ、やっぱり、イチゴちゃんだったんだわ。 イチゴちゃんのすぐ近くにいた、すでに顔馴染みの凛々しい店員さんが、イチゴちゃんが担当していたお客さんの接客に入った。 どうやら由香に気づき、気を回してくれたらしい。 その気転の良さに、さすがだと感心してしまう。 イチゴちゃんが、こちらに歩み寄ってくるのだが、その姿にやはり違和感を感じた。 「お客様、いらっしゃいませ。ご来店していただきまして、嬉しいです」 たおやかな身のこなしと上品な物言いに、面食らう。 「あ、あのイチゴちゃん?」 困惑して呼びかけたら、イチゴちゃんが、ちゃめっけたっぷりににっと笑った。 そして、背後をそっと窺い、それからずいっと由香に近づく。 「真似っこ接客中だったんです。びっくりしました?」 ひそひそと囁かれた言葉に面食らう。 「は、はい?」 真似っこ接客? 「あの、なんなの、真似っこ接客って? ……イチゴちゃんのイメージがぜんぜん違って見えて、驚かされちゃったんだけど」 「実はですね。苺、ちゃんとした言葉遣いができなくて……それで、あのぉ」 イチゴちゃんはまた背後を振り返り、凛々しい店員さんをそっと指す。 「あの藍原さんが、岡島さんの真似をして接客をすればいいって言い出して、ですね」 「岡島さんの真似?」 「はい。お客様もたぶん会ったことがあると思うんですけど……上品で凄く綺麗なひとなんです。いまは、スタッフルームに引っ込んでお仕事してるんですけどね」 ざっくばらんな物言いをするイチゴちゃんに、由香はほっとして笑いが込み上げてきた。 なんて斬新なことをさせる宝飾店だろう。 隣にいる佳樹も由香と同じ思いのようで、笑いを堪えている。 「わたしは、いまのままのイチゴちゃんが好きだけど……」 「そうですか? ありがとうです。でも、高価な宝石が大根を売ってるみたいになっちゃ、やっぱり困るですから」 「あらら。それって、誰かに言われたの?」 「はい。実は店長さんに」 「鈴木さん、私がなんです?」 イチゴちゃんの背後から、この店の店長がすっと現れた。 店長に呼びかけられたイチゴちゃんは、ビクンとし、顔を強張らせる。 話すと気安い感じだけれど、そうそうお目にかかれない気品のある男性だ。 この店長さんは、イチゴちゃんの特別なひとのようなのだけど…… イチゴちゃんと店長さんって、見た目や雰囲気はまるで違うのに、不思議とピッタリなのよね。 「い、いえ。たいしたことは言ってないですよ」 イチゴちゃんの言い訳を苦笑しつつ聞いた店長は、洗練された身のこなしで由香と佳樹に向き直った。 「お客様、いらっしゃいませ」 「こんにちは」 由香が挨拶すると、佳樹のほうも軽く会釈する。 「鈴木さんに会いに来てくださったんですか?」 「はい。バレンタインデーのコスチューム、期待以上の可愛らしさです」 「そうですか。ありがとうございます」 その言葉に合わせ、イチゴちゃんもぺこりと頭を下げる。 ほんと可愛いなぁ。愛らしさでは真央にも負けてない。 それから少しだけおしゃべりさせてもらい、由香は帰ることにした。 あまり居座っては邪魔になってしまう。 「それじゃ、また来るわね。お仕事頑張ってね」 名残惜しく思いつつ声をかけると、イチゴちゃんのほうも、とても名残惜しそうにしてくれる。 イチゴちゃんは、互いの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれていた。 「ほんとにインパクトのある宝飾店だな」 ショッピングセンター内を歩きながら、佳樹がぽつりと言う。 「ですよね」 「洗練された上品さ……そこのところの基盤がしっかりしているから、何をしても気品がある」 佳樹の言葉に、由香は感心してしまった。 「そうそう、そういうことなんですよね。ただ気品があるってだけでは、こっちが緊張しちゃうけど、イチゴちゃんの存在があって、わたしもすんなり入り込めるんです」 「あの店長は、商売そのものが好きなんだろうな。それに、たぶんあの店のオーナーも」 そう言った佳樹が、由香を見つめてくる。 「佳樹さん?」 「君も同じだな」 「えっ、わたし?」 「そう。君も、ぬいぐるみたちを愛おしみながら作っている。そして、君が作り上げたすべてのぬいぐるみたちの先行きを、気にかけているんじゃないか?」 その通りだ。 「だから、魂がこもる。僕もそんなふうに仕事をしたいと思ってる」 由香は思わず佳樹の腕を握りしめていた。 そんな佳樹さんだからこそ、わたしはこれからもずっと彼と一緒にいたいと思うのよね。 佳樹が由香の手を取り、ぎゅっと握りしめる。 こちらを見つめてくる佳樹に、由香は胸いっぱいのしあわせを感じながら小さく頷いた。 |